トーヤアキラの一日 16 - 17
(16)
対局場に入るとアキラは座席を確認する。ヒカルはアキラのすぐ後ろで対局するらしい。
ヒカルの相手は御器曽七段で、ヒカルが負ける事は考えられなかった。自分も早く対局を
終わらせないと、ヒカルが先に帰ってしまう事になる。
とにかく対局に全力を傾けるために、目を瞑って精神を集中させる。
アキラが対局を終わらせて後ろを振り向くと、ヒカルも対局を終えた所だった。ヒカルと
対局者の様子から、ヒカルが勝ったことが察せられる。予想していた事とは言え、アキラは
心の底から安堵した。もし負けていたら話しかけることが出来ないような気がしたからだ。
部屋を出て行くヒカルを追ってアキラも部屋を後にする。
荷物を取りに行くヒカルに思い切って声をかけた。
「進藤!」
声が上ずっているのが分かる。そして、振り返ったヒカルの顔を見た瞬間、心臓が高鳴る。
「あ、塔矢。お前も終わったの?」
「うん」
「そっか、勝ったんだな」
「うん」
「なんか、お前と話すの久し振りだな」
「うん」
「どうしたんだ?『うん』しか言わないのか?」
そう言いながらヒカルが苦笑する。
「え・・・っと」
「本当にどうしたんだ?何か用か?」
「うん」
アキラは緊張して声が出てこない。このままではヒカルが怒って帰ってしまうと思うのに、
何を喋ったら良いのか混乱してわからなくなっている。
(17)
アキラの様子に多少の違和感を感じながらも、ヒカルは特に気にする様子も無く
「丁度良かった、オレ、お前と話がしたかったんだ」
とサラっと言う。二人の関係からすればあっておかしくないヒカルの申し出であったが、
今のアキラにとっては驚天動地の言葉であった。
心臓は早鐘のように打ち響いて1キロ四方に聞こえそうであったし、体中の血液が顔に
集まってきて火を噴きそうだった。胸が苦しくて言葉は一切出てこない。
「ん?塔矢?具合でも悪いのか?顔が真っ赤だぞ。熱でもあるんじゃないのか?どれ」
と言って、事もあろうに右手をアキラの額に当ててきた。
「う〜ん、よく分からないな。とにかく外に出ようぜ」
「う、うん」
アキラは返事をするのがやっとだった。
エレベーターで下に降り、棋院を出て歩く。今までなら何とも思わない行動であったが、
今のアキラは全身がアンテナになった様に神経が張り詰めている。エレベーターに二人きりで
乗っていると、ヒカルの息遣いが感じられる。それだけで心臓はさらに高鳴り、立って
いるのが辛くなるほどだ。一緒に並んで歩くとヒカルの体温が伝わって来るようで、
さらに顔が発熱するのがわかる。
自転車を避けようとしてヒカルがぐっとアキラに近づいて来た。顔の発熱とは逆に
緊張で冷たくなっている手に、さっき額に当てられた時と同じ、ヒカルの暖かく柔らかい
手が微かに触れる。心地良い肌の温もりに、アキラは思う。
───この進藤の柔らかい手を取って、引き寄せて抱きしめたい・・・・・・・
アキラが初めてヒカルに抱いた淡い情欲だった。
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