クローバー公園(仮) 16 - 20
(16)
「――ごめんなさい…、…ひっ…うぅっ…、ごめ…なさ……… 」
泣いているボク。遠い日の記憶。あぁ、これは、夢だ…。
これはいくつの時だろう?幼稚園くらいだったかな?
おかあさんと縁日に行って、金魚すくいをしたら一匹も取れなくて
何回もしたけど全然とれなくて、帰り際におじさんが見かねて
お椀で2匹掬って持たせてくれて、それが凄く嬉しくて、
家に帰ったら金魚鉢がなかったから、お気に入りの青いサラダボウルに入れて
器の斑のある青と、金魚の赤の対比が凄く綺麗で、それがまた嬉しくって
飽きずにずっと眺めて、餌もやって、楽しみにしてたのに
ある朝起きたら二匹とも死んでて、淋しくて、悲しくて、それより
ちゃんと金魚さんたちの面倒を見てあげてなかった自分が悔しくて
金魚をくれたおじさんにも申し訳なくって、金魚さんやおじさんやおかあさんや
とにかくあらゆる人たちに、ごめんなさいって……
ゆっくりと視界が開け、目の前の白い枕には小さな湖が記されていた。
夢から持ち帰った切なさがきりきりと痛んで苦しい。
隣に眠るヒカルの右手をそっと取って、注意深く眺めると
中指の第二関節だけ、青く強調されている。
碁打ちの右手、しかも中指に歯を立てるなんて。まだ、痛むだろうか?
この痣だけで済んでいればいいけど…。
アキラはその手にゆっくり頬を寄せた。
(17)
まだ眠るヒカルの指に、アキラは軽く口付けながら考える。
それにしても、なんで進藤はあんなに怒ったのに帰らなかったんだろう。
いつもなら、もう知らない、の次は、帰る、で出ていくところなのに
今日は、もう寝る、って、首だけそっぽを向いただけだったな…
巡らせた思考は、自分を呼ぶヒカルの声で遮られた。
何か違和感を感じて目覚めたヒカルのすぐ側で、アキラが無心に
自身が噛んだヒカルの指を舐めている。ぴちゃぴちゃいう音と、
ちろちろ見える舌が、まるで猫のようだとヒカルは思った。
そうだ、コイツって猫みたいだ。気まぐれで勝手で、プライドが高くて。
あーでも猫は噛みついたりしないよな。
猫っぽくて、もっと凶暴な感じって…、トラ、かな?うん、そうかも。
だけど、いつからこうしてるんだろ?何のために?なんかのおまじないとか?
…うーん、それはないか。そういうの信じる奴じゃないし。
「塔矢、なにしてんの…?」
アキラはびくりと動きを止めた。
ヒカルを見ずに、逆にもっと顔を伏せるようにして、アキラはまた続きを始めた。
「塔矢…」
空いていた左手でアキラの頬を捉えると、アキラが身を堅くしているのが分かった。
「なーに、してんの?」
(18)
何をしているのかと問われたところで、別に何をしていたわけでもない。
強いて言うなら、気休め、とでも言えようか。
答えに窮したからヒカルの問いは聞かなかったことにしたが
それでは済まないようだ。頬に当てられた手が、行為の中断を余儀なくする。
アキラに解放された右手を、ヒカルはアキラのもう片頬にあて、顔を上げさせた。
おびえるように伏せた目がちらりと赤く見える。
更に覗き込むようにすると、アキラはわずかに身体を引き、顔を背けた。
「もしかして、泣いてた?」
アキラは小さく、でも力強くかぶりを振って否定したが、そのそばから震え始め、
あっというまにしゃくり上げて泣き出した。
驚いたヒカルは慌ててアキラを宥めたが、ますます激しく泣き始めるアキラに
涙の理由どころか、泣く姿すら想像できなかったヒカルには為す術も無い。
顔を隠すように両手のひらで目元を拭うアキラを、ただ胸に抱えるだけしか
できなかった。
「すまなかった、みっともない所を見せてしまって」
収まったアキラの言葉は、いつも通りのよそゆきだった。
「昔の夢を、見たんだ……」
アキラは言い訳をするように、自ら話し始めた。
(19)
「……バッカだなぁ、オマエ。金魚掬いで取ってきた金魚なんて、
すぐ死んじゃうに決まってんじゃん。どーせ、掬われるなんて
間抜けか、そうでなきゃ弱ってるやつなんだから」
―――そう、さっき見た(気がする)赤や青のヒヨコだって…。
「それに、お祭りとかで、金魚もだけど、色つきのヒヨコ取ってきて
大きくなってニワトリになってコケコッコーって毎日鳴いてうるさい、なんて
普通、聞かないだろ?あーゆーのは、長生きしないんだって」
アキラは夢の話をしながらまた少し零れた涙を、指で拭っている。
「そりゃぁ、そうかもしれないけど、あの時はまだ小っちゃくて
そこまで考えられなかったし、凄くショックだったし、
なんかこう、その時の感情がまた沸いてきて……」
また思い出してしまったのだろう、うなだれるアキラを見ながら
改めてヒカルは思う。アキラほど理解出来ない人間はいないに決まっている。
人前で『良い子』を演じることが上手くて、考えてることは表に出さなくて
他人に対して冷めててサバけてて、そのくせ頑固で口うるさくて。
なのに、ずーっと昔に金魚すくいの金魚が死んだの思い出したからって
「金魚さん、ごめんなさい」って突然わんわん泣き出して……
大体さ、『金魚さん』って。いい歳して何だよ、それ?
(20)
弾けたようにヒカルは笑い出し、ぎゅっとアキラを抱き締めて、
ぽんぽんと背中を叩いた。
「塔矢、オマエ、カワイイなぁ〜、ホント、可愛いよ。サイコー!」
「可愛いって、何だよ……。キミだって幼稚園の頃は可愛かったろうに。
そんな昔のこと笑われても、何ともしようがないじゃないか」
この言葉が、ヒカルの笑いをますます煽ってしまった。
ヒカルは笑いが止まらないまま、アキラが逃げようとするのも構わず
顔中にめちゃくちゃに、もう隙間なんてないくらいにキスしまくった。
「ボク、男なんだけど…。可愛いはないだろう?」
「そんなの関係ないって。塔矢、オマエ、マジカワイイよ」
アキラは憮然とした顔でヒカルを睨んでいるが、ヒカルはそんなこと
お構いなしだ。ちょっと考えてから、勢い良く前髪を捲って
両手でしっかりアキラの顔を挟むと、盛大な音を立てて額に口付けた。
一方アキラは当惑気味で、その表情がますます可愛らしく思える。
「塔矢、ほんとカワイイ…」
耳元で囁いてみると、返事はないが、拒絶の言葉ももうない。
いつもクールで冷静、で通っている塔矢アキラが、こんなにもカワイイなんて
誰が思うだろう?そう思ったら、愛おしくてたまらない気持ちになって
ヒカルは、今度はそっと、アキラの唇に自分のそれを押し当てた。
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