白と黒の宴4 16 - 20


(16)
あまりの激しさにアキラの目は一度閉じかけて、慌てて見開き社を強い視線で見つめる。
あくまでこれは約束の取り決めであってそれ以上の意味はないと言いたげだった。
社も頭の片隅でそれを理解しながらも、強制するように舌でアキラの唇の隙間を強く愛撫する。
すると意外にもアキラの歯列が開いた。
導かれるように社は舌をアキラの口腔内に差し入れアキラの舌を探る。
アキラの舌を絡め取り強く吸う。
「んんっ…」
アキラの後頭部が後ろの壁に押し付けられ、さらに社の体全体で自分の体を抑え込まれる。
それでもアキラは抵抗しなかった。
ドア付近の薄暗いルームライトのみの室内に、しばらく唾液が行き交う音とその合間に漏れる
呼吸音だけが繰り返される。
そうしながら社はアキラの真意を読み取る事が出来た。
アキラの意識は、壁を隔てた向こうの相手に向けられているのだ。

高永夏に対するものか、ヒカルに対するものか、今のアキラは怒りといら立ちで隙だらけなのだ。
そんなアキラに、社は次第に怒りを覚えた。
いや、本当に腹立しかったのは自分に対してだった。
強く望めばもしかしたらアキラは今夜このまま自分を受け入れるかもしれない。
アキラの精神状態はそういう危うい場所に今ある。本人にその自覚があるかどうかはわからないが、
社にはそれがわかった。わかっていて手を出すのは卑怯者だ。


(17)
ゆっくりと唇が離されると、唾液で紅く濡れた唇を光らせてアキラがもう一度睨み返して来た。
だがその目からは完全に力が失われていた。
「出て行け」とも「もう止めろ」とも言わない。
お望みであればその先までしても別に構わない、と投げやりになっているように見えた。
社はアキラの体から離れた。
アキラを囲うように壁に手を付いたまま歯噛みをし、必死に自分に何かを言い聞かせるように
呟き、頭を振る。
アキラはぼんやりとそんな社を見つめる。
そのアキラの体を一瞬だけ社は両腕に捕らえて強く抱き締めた。腰の部分を密着させる。
「あ…っ」
驚いたアキラが小さく声をあげる。アキラの下腹部は熱く昂りっていた。それを知られたのを
恥じるようにアキラは思わず両手で社の胸を押し退けて体を離した。
「…悪かった、…おやすみ」
壁に背をつけて乱れた呼吸を整えようとするアキラを残して社は部屋を出た。
社にしてみれば拷問に近いほど辛い行動だったが、今の自分にはアキラを抱くだけの価値は
ない事を自覚していた。
「明日…一勝してみせる…絶対…!」

社が出て行った後、アキラはコツンと壁に頭を持たれかけさせて息をつく。
壁の向こうに居る、いつまでたっても手が届いたという実感が持てない相手を思う。
「…進藤」


(18)
相手の名を呟き、自分の腕で自分の体を抱く。ひんやりとした空気だけが周囲にある。
合宿の夜に、初めてヒカルと体を重ね合わせた時の温もりを思い出そうとする。
それに代わるものなどないはずなのに、と自己嫌悪に堕ちる。
そして思いとどまってくれた社に感謝する。
それでも体内に闇を放つ炎が宿って揺れ動いている。
社の激しいキスを受けながらアキラの脳裏に浮かんだもの、それはヒカルではなく、
キリキリと手首に食い込むヒモの感触だった。限界を超えて自分を追い詰める広い胸板の
持ち主と、彼によって動物のように喘ぐ自分の姿だった。

「…しっかりしなくては…」
消去したはずの記憶の片隅から心の隙間をぬうようにしてそれはかたちを表して来る。
あれと同等の激しい熱を体が求めようとする。
気持ちを落ち着かせようとして衣服を脱ぎ、バスルームに入る。頭から一気に冷たいシャワーを
浴びる。それでも身体の奥深くが疼き、勢いを失わない。
かといって自分の手で自分自身を包み動かしても、中途半端な刺激を
得るだけでその場所まで到底行き着けそうになかった。
「…しっかりしなくちゃ…」
バスルームの壁に手をつき、社のようにアキラもまた激しく首を振って自分に言い聞かせた。


(19)
朝、チェックインの際に渡されたチケットを持って社が1階に行くと、他のイベント関係者や
旅行客で賑わうホテルの広いバイキングレストランの一角で既に倉田とヒカルとアキラが
朝食をとっていた。
「遅いぞ、社。寝坊か。」
おそらく3人前ほどの品数を運んできたらしい空の皿を積み上げて倉田が食後のコーヒーを
飲んでいるところだった。
「す、すみません」
倉田の言う通り寝過ごしてしまった。アキラの唇の感触が頭から離れず寝つけなかったのだ。
スーツの上着を空いている椅子の背に掛けて、社は和風、洋風の朝食メニューが並ぶ窓際の
テーブルに向かう。中国勢や韓国勢の姿が見当たらなないのは、もう一つある別の
アジア料理専門のレストランにいっているのだろう。

「なんかホテルの食事って落ちつかねー」
文句をつけながらもヒカルはシリアルにミルクをかけたものとソーセージとサラダを
ガツガツ交互に口に運んでいる。
アキラは静かにコーヒーを飲んでいたが、その前方のテーブルには取り皿らしきものがない。
既にボーイが下げたのか、飲み物以外口にしていないのかは社にはわからなかった。
取りあえず社はロールパンやハムやサラダ類を胃の中にかき込んだ。
気持ちを切り替えなくてはいけない。
対局開始まであまり時間がなく、全員スーツでその場に来ていたが、ヒカルはまだネクタイは
締めていなかった。社は今朝は何とか自分で出来たがお世辞にも整っているとは言えなかった。
社が食べ終わるのを待って全員で控え室に移動する。


(20)
そこでヒカルが壁の鏡を覗き込んでネクタイと格闘を始めた。
「あー、また失敗、もうイライラするっ」
ぶつぶついいながら何度か締め直すヒカルを見て、社はチラリとアキラを見るが、アキラは窓の外を
見つめるだけでヒカルに手を出そうとしない。かといって自分が手を出すのは何となく気が引けた。
「何だあ、進藤は碁以外は不器用なんだなあ。やっぱガキだな!」
しばらくヒカルの様子を見ていた倉田がひょいとヒカルの前に立って手早くギュッとネクタイを
絞めてやる。
「く、苦しいよ、倉田さん、」
ヒカルが手足をジタバタさせる。
「これくらいの気合いでいけよ。ただまあ、ネクタイくらい早く自分で絞められるようになれよ、うん。」
そんな程度の事でも倉田は得意げそうである。「ちえッ」とヒカルが唇を尖らせる。
「よし、会場へ行くぞ」
バンッと倉田がヒカルの背を叩き、ヒカルの顔が引き締まる。そうして2人で先立って部屋を出て行ったが
その時アキラがスッと社の傍に寄り、さり気なく社のネクタイを軽く整えた。
それは一瞬の出来事で、社は驚くがアキラは言葉もなく何事もなかったように控え室を出て行く。
社はアキラの後ろ姿を見つめながらが自分のネクタイを手で触れ、「…オシッ」と気合いを入れた。

だが対局会場に足を踏み入れたとたんヒカルも社とで「ウッ」と一瞬引いた。
広さと言い人の多さと言い何やらごちゃごちゃ機材が多くセッティングしてあって、普段の手合いの場とは
あまりに違う雰囲気だったからだ。しかもおもむろにカメラを向けられシャッターを切られて
さらに神経が逆撫でられる。



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