誘惑 第一部 16 - 20


(16)
「違わないよ!ボクが今まで平気だったとでも思ってたのか?
キミはわかっちゃいない。ボクはね、あんなヤツにキミのまわりをうろうろして欲しくないんだ。
友達だって言うから、我慢してた。ボクには友達なんていないから、キミがどういう風に彼を
『大事』に思ってるかなんてわからない。だから今までずっと我慢してたんだ。
それなのにキミときたら…」
「塔矢っ!」
ヒカルがアキラの抗議をさえぎるように叫んだ。
「なんだよ、それ…、それって、ヤキモチやいてたのかよ?
それでなんで和谷にキスするんだよ?わけわかんねえ。」
「そんなの、ボクだって知るもんか。」
「じゃあ、オレが和谷とキスしてても平気なのかよ?おまえ。」
「いいわけないだろう!?そんなにあいつが大事なのか!?」
噛み付くような形相でアキラが言った。
「はあ?ふざけんなよ、訳わかんねえ事言ってんじゃねぇよ、このバカヤロウ…!」
思わずヒカルもかっとして、アキラの手首を掴む。そしてそのまま両手首を掴んでカベに押さえ
つけ、強引に唇を塞ぐ。荒っぽいキスを与えながら、身体を密着させ、脚の間に自分の脚を割り
込ませて、アキラの下半身を刺激する。
アキラがそれに反応してヒカルの口の中に息を漏らす。ヤメロ、と唇が動いているのがわかる。
顔をはなすと、アキラがヒカルを睨みつけている。ヒカルも負けじとアキラをにらみ付けたまま、
アキラのズボンのファスナーを下ろし、アキラのペニスを取り出して手中に収めた。
「何するんだ、やめっ……」
抗議の声など最初から耳にかけず、それを両手で扱きあげながらしゃがみこんで、ヒカルの手
が与える刺激に素直にムクムクと頭をもたげかけはじめたそれを口に含んだ。


(17)
「…いい加減に…くっ……しろよっ、進藤…!」
「途中で止めていいのか?」
にやっと笑いながら、アキラの顔を見上げて言った。
「おまえも、バカな意地張ってると、昼休み、終わっちまうぜ?」
アキラは頬を上気させ、荒い息をはきながらも、ヒカルを睨みつけた。が、ヒカルが手を動かす
とその刺激に目を閉じ、頭を反らせる。そうしてもう一度ヒカルがアキラを根元まで咥えこむ。
口腔全体で絡めとるように締め付けられて、ヒカルの口中でアキラが欲望を解放する。ヒカル
は放たれたものを飲み下し、更にそれでは足りない、というように吸い上げ、丹念に舐め取ると、
ようやく腰を上げ、そして壁に寄りかかって荒い息をついているアキラの耳元でささやいた。
「つまんない事、考えんなよ。オレが好きなのはおまえだけなんだから。
おまえ以外の奴に、こんな事したいなんて思わねーよ。」
だがアキラはヒカルのそんな言葉など聞いていないように、ヒカルを睨みつけて、吐き捨てる
ように言った。
「よくも…よくも、こんな時に、こんな場所で…さっきといい、今といい、この恥知らずの色ボケ
野郎…!」
「バーカ、そんな顔で睨んだって恐くなんかねーよ。色ボケてんのはおまえだって一緒だろ。」
思わず振り上げかけた手を、アキラはぎゅっと握って、精一杯ヒカルを睨みつけた。
「…今日の手合い、負けたらキミのせいだからな。」
そんな捨て台詞を残して、くるりと背を向けて乱暴な音を立てて部屋を出て行った。
ヒカルはそんなアキラを半ば呆れ顔で見送った。
「…何言ってんだよ。負けるなんて思ってもいないくせに。」
そして時計を見、更に机の上に放り出されているコンビニの袋とそこから転がりだしているサンド
ウィッチを恨めしげに見た。
「やっぱし…時間ねぇかぁ…、昼メシ食い損ねたな。腹へった…」


(18)
自分でも無茶苦茶な事を言っているということはわかっていた。ヒカルに責められるまでも無く、
馬鹿なことをした、とは、思っていた。
進藤はボクのものだ。ボクだけのものだ。
そう、和谷に見せ付けてやりたかった。それだけの衝動であんな馬鹿な真似をして。
和谷の事を「大事な友達」と言ったヒカルの言葉が、ずっと頭に残っていた。
自分にはヒカル以外に大事なものなんてないのに、それなのに彼は「おまえとは全然違う」けど、
それでも「大事な友達」だなんて言う。その「大事な友達」である和谷への嫉妬と、そして、自分は
持っていない友人を持っているヒカルへの嫉妬心が、あんな真似をさせた。

自分にはヒカル一人しかいない。けれどヒカルには自分一人ではないのだ。
皆から好かれる、太陽のようなヒカルが好きだ。そういうヒカルだからこそ、好きになった。
なのに友達と一緒に笑っているヒカルが、眩しくて、羨ましくて、けれどそれが自分ひとりに向けら
れたものでない事が妬ましくて、あの笑顔を自分だけのものにしてしまいたくなる。
いっそ彼をどこかに閉じ込めて、自分一人のものにしてしまいたい。
その光が自分以外の人間を照らしたりしないように。
それが歪んだ独占欲に過ぎないという事を頭では理解していても、心は黒い感情を抑えきれない。
そんな時には、本当に自分が嫌になる。そして、だからこそ、自分の心の闇をヒカルに照らして欲
しいと思う。だからこそ、あの太陽を自分ひとりだけのものにしてしまいたくなる。
どうしようもない、堂々巡りだ。
自分が情けなくて、アキラはため息をついた。
彼は、どうするつもりだろう。
自分とヒカルとは特別な仲なのだと見せ付けてやりたかった。おまえなんかに出る幕はないんだと。
それだけの子供っぽい理由から、もしかしたら、不要な火をつけてしまったのかも知れない。
あのままで済むはずがない。そんな嫌な予感がした。


(19)
何とか対局中はその事を頭から追いやる事ができた。ぎりぎりで勝ちを拾って、礼をすると、
頭を上げて周りを見回した。だが彼はすでに終局したようで、そこにはもういなかった。

けれど自分の部屋に帰っても、まだ昼間の事が頭から離れなかった。
塔矢の唇の感触。それが与える陶酔感とその後の屈辱。そして、抱き合って甘い会話とキスを
交わしていた塔矢と進藤。進藤を抱いていた塔矢は、二人の雰囲気は、キスだけでは済まない
ような、それ以上の関係があるような、そんな感じだった。
どういう事なんだろう。塔矢が、進藤を抱いているんだろうか。
あんな風に甘えて、塔矢の腕に抱かれているんだろうか、進藤は。
何を、バカな想像をしているんだ、オレは。
進藤の日焼けした体と、塔矢の白い体が絡み合っている。
塔矢の白い手が進藤の身体の上を這いまわる。それに進藤が甘い泣き声を漏らす。
どんな言葉をささやくんだ。塔矢は。そしてどんな声で応えるんだ。進藤は。
やめろ、バカな事は考えるな。
オレには関係ない。あの二人が、キスしてようと、セックスしてようと、オレには関係ない。
そうじゃないか?オレには関係ない。
それなのに。脳裏に浮かんで離れない、塔矢の顔。
笑いかけてきた、にこやかな笑顔。進藤を見た時の、花のような笑み。そして進藤を見る優しい
眼差し。熱い視線。そして―
「やめろっ!」
声に出して叫び、頭を振る。それでも浮かび上がる映像は消えない。
眼前に迫る塔矢の妖しい笑み。躊躇もなく触れてきた唇。押し入ってきた熱い舌。
あれがディープキスというものなのか。男にキスされて、腰砕けになるなんて、どうかしてる。
オレのことなんかなんとも思ってないくせに。からかうだけのために、あんな風に笑って。
あんなキスをして。
許せねぇ。


(20)
許せねぇ。振り切るように、和谷は頭を振った。
気を落ち着かせよう。そう思って、PCの電源を入れた。
ネット碁のサイトにアクセスし、対戦相手を探す。今でも時々saiの名を探してしまう。
きっともうsaiは出てこないのだろうと、頭ではわかっていてもあきらめきれない何かがあった。
―やっぱり、いないな。
わかっていた事なのに気落ちしてしまって、なんとなく、ネット碁を打つ気にはなれなかった。
和谷はそのまま、前によく行ってていた掲示板にアクセスした。
何でもありのその巨大掲示板は、根も葉もない噂の中に時折真実のようなものが混ざっていて、
半分以上はウソだとわかっていながらその混沌とした情報の中を漂うのは刺激的でもあった。
だが、あまりにもくだらないウソや中傷や、なんの根拠もないような憶測に辟易して、最近はここへ
はアクセスする事は少なかった。
―ここに、アイツらの事を、書き込んでやったらどうなるかな…?
誰にでもわかるような簡単な当て字で―いや、「若手プロ棋士のTとS」と言えばそれだけで十分通
じるだろう―二人のことをぽろっと書いてやれば、後は適当に尾鰭がついて噂は面白おかしく作り
上げられていくだろう。
頭の中で文面を考えながら入力し、書き込みボタンをクリックしようとした。だがその時、なんだか
急に虚しくなって、和谷は手を止めた。所詮、ここは便所の落書きのようなものだ。それに、ここに
書き込んだことが、当の本人達の目に触れる可能性は少ないだろう。進藤はパソコンを持ってい
ないし、塔矢がこんな所に出入りするとは思えない。それじゃ、なんの憂さ晴らしにもなりゃしない。
奴らの知らないところで噂になってたって、あいつらは痛くも痒くもないんだ。
「ちぇっ、つまんねーな。」
なんか、面白いとこ、ねぇかな、そう思いながら、和谷はサイトの目次を表示させた。



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