平安幻想異聞録-異聞-<水恋鳥> 16 - 20
(16)
佐為は馬に水をやり、そのあと自分の荷物をほどいた。
中から碁盤を取りだす。
自宅でいつも使っているようなよい木を使った立派なものではないが、低いながらも
ちゃんと足がついている。
ヒカルが目を覚ましたらきっと「こんなところまで来て碁かよ!」と呆れるだろうと
想像しつつも、佐為はそれを持って庵に戻った。
鳥の鳴き声を枕にヒカルは相変わらず寝ている。ただ寒いのか、掛けられた着物の
下で体をまるめていたので、佐為は自分の白い狩衣を脱いで、更に上からかけてやった。
単衣だけになって、部屋の隅に碁盤を起き、碁笥の蓋を静かにあける。
それだけで、庵の中の空気が何かピンと張りつめる気がする。
相手はいないから、頭の中にある過去の棋譜を盤上に並べる。
(本当はヒカルが相手をしてくれると嬉しいのだけれど……)
ヒカルは強い打ち手では決してないけれど、佐為はヒカルと打つのが好きだった。
碁の一手にはその人となりが現れる。
ヒカルの打つ手は、実に彼らしく伸びやかで素直なのだ。打っていて気持ちがいい。
(ただ、素直すぎて先の手が簡単に読めてしまうのが難点なのですけれど)
そんな事を考えてしばらく石を並べていると、庵の中の静寂を声が破った。
「こんなところまで来て、碁かよ」
床に寝転がり、上に三枚の着物を羽織ったまま、ヒカルがこちらを呆れた顔で
見ている。
「一緒に打ちませんか?」
笑って返せば、ヒカルの顔にもすぐに笑顔が乗った。
「しょうがねーなぁ」
掠れてはいたが、持ち前の明るい声音で答えて、立ち上がる。
だが、息を飲むような悲鳴があがって、佐為は盤上にむけていた目を慌てて
ヒカルにやった。
着物を羽織ったまま立ち上がったヒカルの足元に、ポトポトと落ちる白い物がある。
先ほど佐為がヒカルの中に放った精が、ヒカルが立ち上がった為に溢れて落ちて
来てしまったのだ。
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粘液が糸を引いて、ヒカルの股の内側を伝い落ちてゆく。
立ち尽くしているヒカルを慌てて座らせて、佐為は汚れた足と床をぬぐい、それから
懐紙をそえて、ヒカルの中の己の残滓を掻き出してやった。
終えて、ヒカルの中から去ろうとした指を、ヒカル自身が手を添えて押しとどめた。
顔を恥ずかしげに赤く染めながら、つぶやく。
「最後まで、いかせて」
気付けば、ヒカルは前を隠すように、しっかりと羽織った着物の前を押さえてはいたが、
前のモノがその着物の布を押し上げてしまっているのが佐為にも判った。
「恥ずかしがる事はないんですよ」
ヒカルの耳元に囁いて、佐為はその体を横抱きにすると、指をそのまま綺麗にした
ばかりの狭道の奥へと差し込んだ。ヒカルのいいところを繰り返し圧して、嬲るように
してやる。
ヒカルは、佐為の与える快楽に身を任せた。
ヒカルは佐為の膝の上で盤上の石の運びを吟味している。
佐為がヒカルをいかせてやった後、碁盤を間に向かい合って座った二人だったが、
ヒカルが床の上に座るのを辛そうにしていたので、佐為が自分の方に呼び寄せたのだ。
先程、自分の腕の中のヒカルをいかせてやりながら、佐為も下肢が熱を持ち、そのまま
もう一度ヒカルの中に自身を押し入れたい衝動にも駆られたが、どちらかというと
今は、ヒカルと碁を打ちたいという欲望の方が先にたった。
佐為の膝の上に座らされて、最初はどうにも不服そうだったヒカルも、打ち始めて
しまえば静かになって、なかなか真剣に盤上を見つめている。
「じゃあ、十の三」
声に出して宣言してから打つところが、なんともヒカルらしい。
「それでは、私は十の四に」
つられて、自分も打つ場所を言いながら石を置いてしまう。
「うわっ、あぁ、そうか、そうだった、ん〜〜〜」
自分の失敗に気付いたらしいヒカルが難しい顔をして考え込む。
そうして石を打ち合っているうちに、ヒカルの言葉の間隔がだんだんと伸びて、
やがてすっかり黙りこんでしまった。
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気付けば、ヒカルは自分の胸に体を預けてすっかり気持ちのよさそうな寝息を
立てている。
外を見やると、日が傾いて山林が美しい橙色に染まっていた。その光の一部が
庵にも差し込んでいる。
佐為は自分の腕の中で眠るヒカルの頬を愛おしげに撫でた。
ふと、自分と一緒にいてヒカルは幸せなのだろうかと思う。
ヒカルは自分と出会いさえしなければ、座間との事件に巻き込まれることもなかった。
今ごろは好きな女房のひとりもできて、普通にその女の元に通っていたのかも知れない。
しかし、例えヒカルを不幸な目に合わせても、手元に置いておきたいとさえ思って
しまう自分がいるのを佐為は知っている。
それが、自分が抱える業の深さだ。
昔から自分はものごとに執着しない子だと言われ続けてきた。興味がないものを、
自分の周りから切り捨てることに躊躇はなかった。
その代わり、碁にしてもヒカルの事に関しても、一度愛したものへの、その執着の
深さは並ではないのだ。
どこまでも突き詰め、欲し、縛りつけたくなってしまう。
佐為には母のように相手のことを思って身をひくなんてことは出来ない。
深く求め、固執してしまう。
それが相手に不幸な事だとわかっていても。二人に不幸だとわかっていても。
「お前、何また暗いこと考えてんだよ」
いつのまにか、腕の中からヒカルが眠そうなまぶたを開けて佐為を見上げていた。
「ひとりで考えてると、早く年取るぞ」
そう言って、ヒカルは少々だるそうに腕をあげて、佐為の額をこづいた。
「悩み事があるんだったら、ちゃんとオレに言えよ」
佐為はあいまいに笑った。
ごく近くで赤翡翠が鳴いた。
まるで鈴が坂道を転がり落ちていくような美しいが、不思議な声音に、ヒカルが問う。
「何、これ、鳥?」
「赤翡翠ですよ」
話をそらしたくて佐為は、ここぞとばかりに答えを返した。
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「赤翡翠?」
初めて聞く鳥の名に、鳶色の瞳がまばたきしながら佐為を見返えす。
「水辺に住む、とても珍しい鳥ですよ。この近くに居着いているようです。
明日、探しに行ってみましょうか?」
ヒカルは佐為の胸にもたれたまま、嬉しそうに笑って目を閉じた。
佐為は、何かが風を切る音に目を覚ました。
隣りに寝ていたはずのヒカルの姿がないのに気付いて、外に出る。
外はまだ夜が明けたばかりのひんやりとした空気に包まれ、佐為の足元を朝露が
濡らした。
草の匂いがつんと鼻の奥をつく。
案外に霧が濃い。
その乳白色の朝靄の中に、近衛ヒカルが立っていた。
狩衣の片肌だけを脱いで、太刀を手に、虚空に何かを見つめている。
その腕がゆっくりと上がり、太刀を振りかぶり、その切っ先が美しい弧を描いて
振りおろされ、それが空気を切るシュンという鋭い音をさせた。
佐為はそこに踏み込んでいってはいけない気がして、その美しい光景を壊すのが
もったいなくて、動かずにじっとヒカルのさまを見ていた。
ヒカルの姿そのものが、まるで抜き身の剣のようだった。
以前、ヒカルが佐為に「碁を打ってるときのお前に触っちゃいけない気がする時が
あるよ」と言った事があるのだが、その時のヒカルの目にも、自分はこんなふうに
映っていたのかもしれない。
肩から背へ伸びる肌の輪郭が、とても美しい。
ふいに、自分とヒカルの間に見えない壁があるような錯覚に捕らわれた。
今、目の前で太刀を振る少年が、昨日、自分の下で快楽のままに喘ぎ、腰を
ゆらしていた者と同一人物だとはとても思えなかった。
ヒカルを酷く遠くに感じる。
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どんなに深く肌を絡ませても、結局自分とヒカルは別々の人間なのだ。どんなに
その体を貪り、その時だけはひとつになれたように思えても、今は――こんなに
遠いではないか。
なぜ、ひとつになってしまえないのだろう。こんな肌寒さを感じることなどない
ほどに。
林の中に朝日が差し込んできた。
明るい陽の光が、ヒカルの肌を照らした。
それまでは判らなかったが、はだけられたその肩に昨日の名残の口付けの痕が、
点々と薄く紅色に散っているのが見て取れた。
その事がたったひとつ、昨日、自分の腕の中にいた人物と目の前で太刀を振る
人物が同じであることを示すよすがだった。
ヒカルが手を止めて太刀をおろした。
こちらを見る。
そして、初めて佐為の存在に気がついたようだった。
「なんだ、いたのかよ」
太刀を鞘におさめ、歩いてくる。
「いつもの半分も打ち込めなかったよ」
苦笑いのような、照れたような複雑な表情を浮かべるヒカルに、理由は訊けなかった。
昨日の無理が腰にきて辛いのだとわかっていた。二人で肩をならべて黙って庵に戻る。
歩きながら、はだけた肩の着物を元にもどすヒカルの所作が奇妙になまめかしい。
途中、ヒカルが厩によって自分の荷物をほどき、朝食を取ってきた。干し物ばかりの
質素なものだ。雉かうずらか取ってこようかなぁと、ヒカルがつぶやいたが、
あいにく弓を持って来ていなかった。
食欲を満たすと、次に頭をもたげたのは性欲だった。
先程、垣間見たヒカルの肌の上に散る、名残りの花びらの赤さが目の前にちらついた。
ヒカルの着物をはだけて、その、今は慎ましやかぶっている肌を、思うさま乱したい
ような、残酷な気分になっていた。
慌てて立ち上がる。
「ちょっと外に出てきます」
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