交際 16 - 20
(16)
ヒカルの言いたいことはだいたい見当がつく。それは自分も望んでいることだ。しかし、
自分の部屋で一緒に寝るわけにはいかない。
アキラは北斗杯が終わるまでは、ヒカルに触れないと決めていた。一度でも触れてしまうと、
自制が効かなくなりヒカルに無体なことをしてしまいそうだ。ヒカルが泣いても、
きっと止めることは、出来ないだろう。それは、自分にとっても、ヒカルにとっても
よくないことだ。北斗杯に向けて、碁だけに全神経を集中させたい。それより、何より
ヒカルを大事にしたいのだ。
「あのさ…」
「進藤、布団どこに敷こうか?」
アキラは、ヒカルの言葉を遮った。ヒカルは、顔を上げてアキラを見つめた。
「ここと…隣の部屋でいいかな?」
社と同じ部屋に寝かせるわけにはいかない。彼は、ヒカルに興味を持っている。ヒカルに
手を出さないという保証はない。
「……ここでいいよ…二部屋も使わなくてもいい…」
ヒカルはアキラから手を離した。そして、背中を向けた。大きな瞳に涙が滲んでいたのが、
チラリと見えた。
まずい…ヒカルを泣かせるつもりはなかった。正直に自分の気持ちを告げた方が
よかったかもしれない。だけど、余計なプライドが邪魔をした。ヒカルが欲しくて、
欲しくて堪らないなんて…欲望のままメチャクチャにしたいなんて、面と向かって本人に
言えない。あのあどけない大きな瞳でキョトンと見つめられたら、恥ずかしさと罪悪感で
いっぱいになりそうだ。ああ…それより、社と同じ部屋で眠るなんてとんでも無い!
「進藤…」
背中を向けたままのか細い肩に手を置くと、ものすごい勢いで振り払われた。
「……オレがキライになったんだろ?だったら、ハッキリ言えばいいじゃんか!」
ヒカルが言い様振り返った。涙の溜まった大きな目で睨み付けてくる。
頬が紅潮しているのは、風呂上がりだから……というわけではなさそうだ。自分が
原因だというのに、アキラは『怒った顔も可愛いな――――』と、暢気なことを考えた。
(17)
ヒカルの頬を大粒の涙が、こぼれ落ちる。それを手の甲でゴシゴシと擦った。
「ち…く…しょぉ――なんで…こんなヤツ…好きになっちゃったんだよ……」
一度寝たら相手に興味がなくなるというのはよく聞く話だ。ヒカルにしてみれば、今の
アキラの態度はまさしくそれだった。だけど、こんなに酷いヤツなのに、自分はやっぱり
アキラが好きだった。自分は本気で好きなのに、アキラの「好き」は全部ウソなのだ。
そう思うと、涙がますます止まらない。情けなかった。
チュッ―――と、音をたてて、突然キスをされた。
ヒカルはビックリして、アキラをまじまじと見つめた。およそアキラがやることとは思えない。
「ゴメン…でも…社がいるのに、その…できないだろう?」
アキラの言うことはわかる。でも、アキラはあの日以来自分を避けている。そのことに
ついてはどうなのかと、訊きたい。
ヒカルに問いつめられて、アキラは困ったような顔をした。天井を仰いだり、畳に視線を
落としたり、何か言いかけては止めたり…。ヒカルはアキラを見つめ続けた。
やがて、アキラは観念したように話し始めた。
「ボクはキミが好きだ。いつも、キミのことばかり考えて、キミにいやらしいことをしたくて堪らないんだ…」
「キミに触れたり、触れられたりすると…頭がカーッと熱くなって…もう…」
ヒカルは穴があくほど、アキラの顔を見つめた。その視線をまともに受けて、アキラは
紅くなって横を向いた。頭が混乱してきた。
「えっと……この間みたいに?」
「この前以上のこともしたい…」
ヒカルは絶句した。アレ以上にスゴイことがあるというのだろうか?急に、心臓が
ドキドキしてきた。頭がクラクラして、息が詰まった。
(18)
「…塔矢…オレ…オレ……」
ヒカルは怖じ気づいてしまった。あの時でさえ、ヒカルには一杯一杯だったのだ。それ以上の
ことといわれても……。今、自分の顔色は真っ青を通り越して、白いだろうと思った。
アキラはそんなヒカルを見て、黙って頷いた。
「わかっているよ…キミには、無理だと思う……」
その言葉にちょっと引っかかった。だが、それを問いつめる気にはならなかった。これ以上、
とんでも無いことを言われては堪らない。それに……アキラの気持ちがわかって嬉しかった。
すごく、すごく嬉しかった。
ヒカルはアキラの腕をとった。
「もう一回して。」
目を閉じて、顎を上げた。躊躇いがち唇が触れて、すぐに離れた。あんまり短いキスだったので、
ヒカルはちょっとがっかりした。
「そんな顔しないでくれよ…ボクを試してるのかい?」
アキラの言葉にヒカルは俯いた。試してなんていない。ただ、キスをして欲しかっただけだ。
「ゴメンよ…」
アキラがヒカルの髪を梳いた。たったそれだけのことで、単純にもヒカルの機嫌は直ってしまった。
(19)
ヒカルの誤解が解けてホッとした。アキラは、襖を開けて、隣の部屋に布団を運ぼうとした。
それを持ち上げたとき、
「わざわざ二部屋も使わなくても、ここでいいじゃん。」
と、ヒカルがアキラの腕を押さえた。
「さっき、そう言っただろ?」
聞いていなかったのか?と、不思議そうな顔をしている。
今度はアキラの方が驚いて、ヒカルをまじまじと見つめてしまった。ヒカルは、ニコニコと
笑っている。アキラの本当の気持ちを知って、すっかり機嫌も直っていた。
「……でも、社と…その…」
ハッキリ言っていいものか…。ヒカルの無邪気な顔を見ると、アキラは先を続けることが
出来なくなった。
「え?」
ヒカルがアキラの顔を覗き込んできた。大きな瞳に自分の狼狽えた顔が写っている。
―――――どうして、こんなに無防備なんだ…?
社にいきなりキスをされて泣いたんじゃなかったのか?その社とどうして同じ部屋で
寝る気になれるんだ?警戒心ってものが、ヒカルにはないのか?
ヒカルはアキラを無視して、さっさと布団を敷き始めた。
「進藤、待って…」
アキラは、ヒカルを止めようとしたが、その時、社が戻ってきてしまった。
(20)
「あーエエお湯やった。」
部屋に入ろうとして、ギクリと足を止めた。二つ並んで延べられた布団を交互に見比べた。
「………え〜っと…もしかして、進藤と一緒なんか?」
アキラの方を振り向いて、訊ねた。
彼が口を開こうとしたとき、ヒカルが憤慨したように言った。
「なんだよ!不満なのかよ!」
不満がどうとかの話ではないのだが……。アキラがそれを承知するとも思えないし…。
「進藤!」
アキラがヒカルを自分の方へ引き寄せた。正面から、ヒカルを見据える。その表情は
険しかった。
「な、なんだよ?」
ヒカルには、彼が何故怒っているのかがわからないらしい。
『進藤…塔矢はオレがお前に気があるん知っとるんや…』
ヒカルは、キスをされたことを社の「冗談」だと信じているらしいが、実際はそうではない。
確かに、最初は気の迷いからだったが、今はヒカルが可愛くてしょうがない。ヒカルの
無邪気な笑顔や、少し生意気な仕草を見ると、抱きしめてキスをしたい衝動に駆られる。
そんなわけで、ヒカルと同じ部屋で寝るのは、とにかく勘弁して欲しい。ハッキリ言って
自信がない。
アキラは切れ長の瞳を更に吊り上げて、自分を睨み付けている。そんなに睨まれても
自分だって困る。止めるんだったら、あんたが止めてくれ。自分はヒカルを拒否するなんて
絶対できない。
「もう!なんだよ、オマエら!ハッキリ言えよ!」
ヒカルがイライラと言い放った。社もアキラも何も言わない。と、いうより、言えない。
「もうイイ!オレ、寝るからな!」
ヒカルは布団に潜り込み、二人に背中を向けた。
|