少年サイダー、夏カシム 16 - 20
(16)
「オレ達、友達だろう? 約束だからな」
和谷は喜びのあまりヒカルに抱きつこうとした。しかしそれを調子に乗るなとでも言うようにヒカルの手が待ったをかける。
「言っておくけど・・・完全におまえを許したわけじゃない。本当はすっげームカツクし、ぶん殴ってやりたい気分だ」
和谷はガクッと肩を落とし、頭をたれた。そしてやさしい言葉をかけられ、つい舞い上がってしまった自分の単純さに呆れ、腹をたてた。
「けど、・・・それよりも」
ヒカルは突然涙声になる。和谷が顔を上げると、そこには今にも大声をあげて泣き出しそうなヒカルの顔があった。
「もう・・・、誰かが自分のそばから消えるのは、嫌なんだ・・・」
ヒカルは布団で顔を隠すと、声を押し殺して泣いた。
和谷はその脆く儚い姿を痛々しそうに見つめる。
「誰か大切な人がいなくなったのか?」
状況を理解できない和谷はそう尋ねた。しかしヒカルはひっきりなしに泣くばかりで答えない。
和谷は黙って泣き止むのを待った。
「病気のせいかな。涙が止まんねーや」
ヒカルは止められない涙を病のせいにして笑った。
「進藤、辛いことがあるなら何でも相談しろよ。オレが解決できるような問題じゃねーかもしれねェが、話せば少しは楽になることだってあんだぞ」
それを聞いたヒカルは、布団から顔を出して和谷を見た。一瞬何かを言おうと口を開いたが、すぐにまた布団の中へもぐってしまった。
「・・・無理に話さなくてもいいよ。けどさ、オレこんなおまえを放っておくなんてできねェ。散々なことしといてこんなこと言う資格無いかもしんねェけど、辛かったらいつでも言えよ。力になるから」
和谷は誠意をこめて言った。ヒカルがサンキュと小さく言うのが聞こえる。
「あ、けど盆の時期は勘弁な。母親の実家に手伝いに行くんで、ちょっと忙しいんだ」
和谷はすまなそうに頭をかいた。
「お盆!?」
ヒカルは突然起き上がった。
(17)
「お盆がどうかしたのか?」
驚いてヒカルの顔を見つめる。ヒカルは何か考え事をしているのか、一点を見つめて動かない。
「お盆って、霊があの世から戻ってくるんだっけ・・・」
ヒカルの口元に笑顔が少し戻る。それを見た和谷は、訝しげに聞いた。
「もしかしておまえが泣いてる理由って、その大切な人が亡くなったからなのか?」
「違う。別にそんなんじゃない。これはただ・・・病気だと・・・なんだか寂しくて泣いちゃっただけだ」
言い訳のようにそう言ったヒカルは、思い出したのか、また泣き出した。
けれどそれは図星であることを和谷に知らせるようなものだった。
和谷は複雑な気持ちでヒカルを見る。自分にできることなんて何もないような気がしてきたからだ。
それでもそばにいて、ヒカルのために何かしてあげたかった。抱きしめてあげたかった。
「進藤・・・」
和谷はゆっくりと手をのばし、ヒカルの涙をぬぐってあげようとした。
しかしヒカルは悲鳴をあげて後ずさる。そしてうずくまって、自分の体を抱きしめて震えだした。
和谷は犯した罪を後悔して、その手を引っ込めた。そして自分を恐れながらも友達として見てくれるヒカルを、どうにかして救ってあげたかった。
(18)
しばらくの沈黙のあと、ヒカルは嗚咽をもらしながら苦しそうに言った。
「ごめん。ちょっと・・・眠りたいから、もう帰ってくれないか」
いつまでも寂しそうに泣き続けるヒカルを独りにすることはできなかったが、和谷は自分がまいた種だと諦めて、帰ることにした。
「それじゃ、またな」
和谷は荷物とペットボトルを手に持ち、名残惜しそうに立ち上がると、ドアの取っ手に手をかけた。
「和谷! オレが今日泣いてたこと、忘れてくれ。本当にたいしたこと・・・無いからさ」
ヒカルは涙をこらえて精一杯の笑顔をつくって見せた。オレは大丈夫だからと強がってみせるヒカルを見て、和谷は切なくなった。
ふと突然手合いを何度もサボったあのことも、時折見せる寂しそうなあの顔も、その人が原因なのだろうかという疑問がわいた。だとしたら、今までのヒカルの深い悲しみと奇行を理解できる。
もしそうだとすれば、ヒカルをここまで苦しめるのは誰なのだろうか。恋人? 友人? 自分の知らない人だろうか。ヒカルとその人との間にいったい何が起こったというのだろうか。
ヒカルを慰めたいという気持ちと、ヒカルからそんな風に想われる者への嫉妬心から気になって仕方がなかったが、和谷はわかったと微笑むとヒカルの家をあとにした。
(19)
外へ出ると虫たちが忙しなく鳴いていた。いくらか気温が上がり、蒸し暑くなっている。
のどの渇きを感じた和谷は、ふと手に持っていたペットボトルを見つめた。
『少年サイダー』と商品名が書かれた横に、小さくキャッチコピーが書かれている。
「“少年時代に飲んだ、あの懐かしい味を”、か・・・」
和谷はペットボトルのふたを開けると、その中身を一気に飲み干した。
炭酸の抜けたぬるいそれは、さっきの爽やかではじけるような味とは違い、ベタベタするような甘い砂糖水のようだった。それなのに後味は思ったよりも爽やかだ。
和谷はふと、この飲み物とヒカルとが重なるように見えた。
出会った頃のやんちゃではじけるような活発な少年は、時間とともに砂糖水のように甘くなった。
その甘さはしつこいものではなく、癖になるような爽やかな甘さで、一度味わうと止められない。そして味わった後も甘い味と香りを体の中に刻み込んでくっきりと跡を残す。
見た目は水と同じで無害そうなのに、甘い香りをいつまでも漂わせて離さないところなんてそっくりだ。
最悪だ。和谷は笑った。ラムネの香りが口からなかなか消えない。それと同じようにヒカルとのあの行為も忘れられずにいた。
(20)
もう一度、いやチャンスがあれば何度でも、飽きるくらいに甘い砂糖菓子のようなヒカルを抱きたいと思う。
しかし和谷はもう二度としないと決めた。それは罪悪感や後悔からというよりも、最後に見たあの笑顔が目に焼きついて離れないからだ。
あれは強がりだ。本当は大声で泣き叫びたかったに違いない。
けれどそうしたところで何も変わらないということがわかっているのだろう。もう諦めるしかないということがわかっているのだろう。そんな顔を幾度も見た和谷だからわかる。
和谷はなぜヒカルが大人びて見えたのかわかった気がした。それと同時にあの頃の元気でやんちゃな少年はもういないのだと、なんだか寂しくなった。
進藤をそんなふうに変えた人物は、進藤にとってそんなにも大切な人だったのだろうか。
会うことも忘れることもできないまま傷つきながら、進藤はずっとその人のことを想い続けるのだろうか。
だとしたら羨ましい。進藤に限らず、人からそんな風に想われるなんて。
和谷はヒカルがその人にまた会えることを願いつつ、空を見上げ目を閉じた。
いつのまにか赤紫色に染まり始めた空に、ヒグラシの夜を告げる声が鳴り響く。
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