うたかた 16 - 20
(16)
目眩がした。
ヒカルの言葉と、表情に。
「…本気で言ってんのか?」
「うん…。」
「…何されるかわかってんのか?」
「うん…。」
そこまで何も知らないわけじゃない。
怖いけど
加賀の言う通りにしてれば、そばにいてくれるんだろ?
(────佐為)
ごめん、佐為
オレはまだ弱いままだ
だから?
だから佐為は夢で振り向いてくれなかったの?
「…後悔するなよ。」
加賀が唇を重ねてくる。
それを合図に、オレはもう何も考えられなくなった。
(17)
静かな部屋に、お互いの息づかいの音だけが響いていた。
ふたつみっつしか掛けられていないヒカルのシャツのボタンを外すと、薄桃色の肌が現れる。陶磁器か大理石のように滑らかなその肌に舌を這わせれば、その度にヒカルは腕の中でびくりと身体をこわばらせた。
「…今ならまだ引き返せるぞ。」
加賀は迷いを断ち切れないでいた。加賀の中での中学一年生なヒカルのイメージが、余計に背徳感を感じさせていたのかもしれない。加賀にとって、ヒカルはいつまで経っても幼い存在なのだった。
それに────ヒカルが自分に向ける感情は、自分がヒカルに向けるそれとは違う。
(わかっているのに、何故。)
ヒカルの弱さにつけ込んで、自分はいつからこんなに卑怯になったのか。
「…ひき…かえす……っ‥ひつよう‥なんか…ない……っ」
途切れ途切れに聞こえてくるヒカルの強がりが、たまらなく愛おしい。
胸の淡紅の飾りを口に含めば、ヒカルは高くか細い声を上げた。
「進藤…」
甘い声も、艶やかな吐息も全部吸い尽くすように荒々しく唇を奪う。
引き返す必要なんかないって?
ああ、もう引き返すことなんてできねえよ
ヒカルをきつく抱きしめて、その華奢な肩に唇を寄せた。
柔肌に軽く歯をたてながらヒカルの一番敏感な部分に手を伸ばす。
「あっ…!」
涙のにじんだ瞳をぎゅっと瞑って首を横に振るヒカルの姿は、嫌がっているようにも、よがって先を促しているようにも見えた。
「ん…ぁあッ‥んぅ…っ」
標準よりも少し小さめだが、しっかり自己主張をしているヒカルのものに指を絡め、焦らすようにゆっくりと撫で上げる。
「ふ…っ‥うぇ…っ」
「進藤」
喘ぎに泣き声が混じってきたのに気が付いて、ヒカルの前髪を優しくかき上げる。
「進藤…好きだ」
ヒカルの瞳が開いた。そこに映る自分の顔を見て、苦笑する。
(なっさけねぇツラしてやがる…。)
切なさに歪む表情をこれ以上見せないように、ヒカルの頭を抱きかかえてもう一度言った。
「好きだ、進藤。」
その言葉で堰を切ったように泣き出すヒカルの額に、加賀は何度も口づけた。
ヒカルの傷を癒すように。
加賀がこの世界で守りたいのは、うたかたのように儚く脆いこの少年ただひとりだった。
(18)
ヒカルにとって、佐為は母のような存在だった。
友達とは少し違う、兄でもない、父親と言うにも語弊がある。
全てを包み込み、温かく見守ってくれる、母のような。
(────勝手に女役にしちゃ…お前怒るかな…。なぁ、佐為…)
浮き沈みする意識の中で、ヒカルは佐為の笑顔を思い出す。その柔らかなまなざしや、顎を引いたときにはらりと落ちる美しい黒髪を。
「っあ…!!」
加賀が内股を強く吸った衝撃で、一瞬にして佐為の姿はかき消されてしまった。瞼の裏は、壊れたテレビのような砂嵐だ。
意識が朦朧としてきたのは熱のせいだろうか、それとも────。
ヒカルの唇が、「サイ」と形作ったのを見て、加賀はあからさまに眉を顰めた。
「……オレに抱かれてるときに、他の男の名前なんて呼ぶな。」
嫉妬をぶつけるように、加賀の舌が張りつめたヒカル自身にまとわりつく。こぼれる雫を一滴も逃すまいと舐め上げる。
その快感と羞恥にヒカルはたまらず身を捩ったが、加賀はそれを許さず、ますますヒカルの身体を押さえつけた。
「ああっ…!やっ‥ん、だめ……っ!!」
立てた膝ががくがく震える。
「ぅああっ…ん‥────ッ!!」
白い喉を仰け反らせて、ヒカルは加賀の口の中で果てた。加賀がゆっくりとそれを嚥下する音が聞こえる。
あまりの恥ずかしさに両手で顔を覆っていると、加賀がヒカルの腕を掴んだ。
「……お前、すげー早いのな…。」
からかうというよりも、可愛くて仕方ない、というような口調だった。
ヒカルが「早い」のは、しょうがなかった。
中学時代の大半を佐為と過ごしたヒカルは、自慰の習慣がほとんど付いていない。そういう目的を持ってその部分に触れたことは数えるほどしか無かった。
それに、自分でするのと他人にしてもらうのでは全く違う。
加賀の視線を避けるように布団に潜り込むと足を掴まれ、ふくらはぎに軽く噛みつかれた。
「まだだ…進藤」
加賀の口の中で、ヒカルの精液と汗の味が混じる。それらが化学反応を起こして、加賀の野生を呼び覚ませていた。
「まだ、これからだ────。」
まるで獣が獲物の味見をするように、ヒカルの身体を味わう。
ほんとうに食べてしまいたいとさえ思った。
泣き疲れたヒカルの目は、仔ウサギのように真っ赤だった。
(19)
ヒカルのその瞳を見て、加賀は子供のころ父親に連れられて行った縁日を思い出した。
あれは、そう。加賀が囲碁教室に通い始めて間もないころのことだ。夏休みを利用して家族で父親の田舎に帰省していた。
実家の近くでちょうど縁日があっていて、父親は加賀の手を引いて神社に続くあぜ道を歩いた。
加賀は別に行きたくもなかったが、珍しく上機嫌な父親の誘いを断るわけにもいかず、黙ってついていった。
あたたかな提灯のひかりと、かろやかな祭ばやし。
これがエンニチか。
辺りをきょろきょろ見回していると、屋台の列の端───狛犬の蔭───で、ダンボールに何か入れて売っているのが見えた。
ウサギだ。
でも何かおかしい。
「…お父さん、」
視線をダンボールの中に固定したまま、加賀は父親の袖を引っ張った。
「どうした?何か欲しいものでもあったか?}
「あのウサギ、どうしてあんな色してるんだ?」
狭いダンボールの中でもぞもぞと動く小さなウサギたちは、みんなピンクや黄色や水色の毛並みをしていた。
「ああ…。元は普通の白いウサギなんだがな。客の興味を引くためにああやって染めてるんだ。なんだ、鉄男はあれが欲しいのか?」
────別に欲しいわけではなかった。
それなのに、こくりと頷いてしまったのは何故だろう。
「お前、カブトムシしか飼ったことないじゃないか。大丈夫なのか?」
ウサギを一羽ずつ品定めするように眺めながら、父親は言った。
「大丈夫だよ。」
本当は、ウサギが何を食べるのかすら知らない。
「なんだかどれも元気が無いなぁ。どれにするんだ。」
「その黄色いやつ。」
加賀は、ダンボールの隅でじっとしている、他より一回りほど小さなウサギを指さした。
「これか?こっちのよく跳ねるやつの方がいいんじゃないか?」
「こいつがいいんだ。」
きっぱりと言い放つ加賀をちらりと見て、じゃあこれを、と父親が金を払った。
どうして一番弱々しいそのウサギを選んだのか、今でもわからない。
不自然な真っ黄色の毛をした、赤い瞳のウサギ。
加賀の手のひらで、小さく震えていた。
少し湿っていて、あたたかかった。
(20)
家に連れ帰って二日目に、そのウサギは冷たくなった。
(────まだ名前も決めてないのに。)
電気を点けるのも忘れて、薄暗い部屋で加賀はウサギの横顔を見つめた。
『ウサギは寂しがり屋でね、』
ウサギ売りの声が耳の奥でよみがえった。
こいつを受け取ったときに聞いた言葉。
『ウサギは寂しがり屋でね、愛情を惜しみなく注いでやらないと、すぐに死んでしまうんだよ。』
自分がウサギに注ぐ愛情は、不足していたのだろうか。
「おい、ウサギ」
横たわるウサギの赤い瞳は、もう開かない。
「ごめんな。」
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