日記 160 - 162
(160)
(上に続けてください)
三人が同時に息を呑んだ。その仕草は彼らの目には、酷く可憐に写ったらしい。だが、ヒカルには、
それがわからなかった。ただ、三人の瞳の中に別の色が混じったのを瞬時に見て取り、
心の中がざわめいた。
「………でも…ホント…マジで可愛いよ……」
「お前、危ねーよ!」
茶化す男の声も、心なしか上擦っている。
「………ホント、惜しかったな…さ、行こうぜ!」
自分たちの中に芽生えた感情を振り払うかのように、残る男がせき立てた。
口々に「ゴメン」と謝りながら、彼らは去っていった。ヒカルは、一人取り残された。
「……………なんだよ…チク…ショ…!」
小さく毒づいた。なんだよ!アイツら!ヒカルの心臓を凍らせておいて…死ぬほど怖がらせて
おいて……。
「………チクショウ…チクショウ…」
涙が出てきた。止めたくても止まらない。ゴシゴシと目を擦った。
誰に向かっての言葉なのか…彼らに対してなのか…それとも…自分に対してなのか…
「チクショウ…」
緒方の言葉は本当だ。愛だとか恋だとか、好きか嫌いか、そういう感情を抜きにしても、
自分は、男にとって十分そういう対象になるのだ。認めたくはないが、それが事実だ。
(161)
ヒカルは、植え込みのブロックの上に腰を下ろし、人の流れをぼんやりと見ていた。
―――もしかしたら、緒方の車が通るかもしれない…アキラが偶然ここに来るかもしれない…
そんな淡い期待を抱いていた。
『ばっかでぇ…来るわけねえのに………』
来てくれたとしても、ヒカルには何を話せばいいのかわからない。どうせ、隠れるか逃げること
しか出来ないのだ。
ヒカルは立ち上がった。いつまでもここにいても仕方がない。帰らないと両親が心配するし、
また、怖い目にあうかもしれない……ズボンの汚れを払っていると、後ろから声をかけられた。
アキラでも緒方でもない。だけど、よく知っている人の声だった。
「…………伊角さん」
手を振って、自分の方へ駆けてくる相手を驚いて見つめた。
『……どうしよう…会いたくない…』
ヒカルは、背中を向けて、走り出した。よたよた走るヒカルに伊角は、簡単に追いついた。
「待てよ。」
肩を掴まれ、くるりと反転させられた。
「どうして逃げるんだよ?」
「……別に…逃げてなんか…」
俯いてモゴモゴと口ごもる。そうだよ。逃げたいわけじゃない。でも………
肩におかれたままの手が妙に気になる。きっと自分の気にしすぎだ。だが、先ほどのことも
あり、ヒカルは必要以上に伊角を警戒していた。
「病気だって聞いたぞ?こんなところをフラフラしていて大丈夫なのか?」
気遣わしげな声音に思わず顔を上げた。声同様に心配そうに自分を見つめる瞳がそこにあった。
「伊角さん……」
ヒカルは伊角を慕っていた。頼りになるお兄さん。大好きだった。……………そして、
和谷のこともそう思っていた。
けれど和谷は自分を裏切った――――――ヒカルは唇を噛みしめた。
「どうした?気分が悪いのか?熱があるんじゃないのか?」
伊角の手が、額に触れようとした。咄嗟にその手を払いのけた。
「何でもねェ…何でもねェよ……!」
身体を捩って、肩に置かれた手もはずした。そのまま、ヒカルは伊角から身体一つ分離れる。
(162)
「………進藤…」
逆毛を立てて威嚇する子猫のように自分を睨み付けるヒカルに、伊角は払われた手の持って行き場を
失ってしまった。
「どうしたんだよ…お前…」
伊角が一歩近づくと、その分だけヒカルは後ずさった。
「何でもネエったら!」
ちょっとでも触れたら、噛み付いてやる!と、言わんばかりのその瞳には、警戒と不安と
怯えが
入り交じっている。
進藤はおかしい―――――最初に見たときはあまりの変わりように愕然とした。人違いでは
ないかと何度も目を瞬かせて確認した。掴んだ肩のか細さや、やせた頬の青白さは伊角を
慌てさせた。そして、それは外見だけの変化だけではない。ヒカルの中の何か確実に変わっていた。
無理矢理ヒカルの腕を取ると、身体がビクリと震えた。
「や…離してよ…」
「進藤…どうしたんだよ?」
道行く人が自分たちに好奇の視線を向ける。カップルの痴話喧嘩と間違われているのか
ひやかしたり、ヤジを飛ばしたりする。
『冗談じゃない…コイツは男だぞ…コイツのどこを見れば女と間違えるんだ…』
そう思いながら、自分から逃れようと抵抗するヒカルの顔を見直した。
少女めいた華奢な作りの目鼻立ちや、折れそうなくらい細い身体をマジマジと見てしまった。
『進藤って、こんなだったけ?』
確かに以前から可愛らしい顔をしていたが、もっと少年らしい明るさや元気さを持っていたはずだ。
こんな…胸を騒がすような…こんな……身体の奥がざわめくような…色気はなかった…
そんな自分の胸中を読んだかのように、ヒカルの顔色がサッと変わった。伊角の手を
振り解こうとますます激しく暴れる。
「やだ!離して!離せよ!」
「進藤…」
伊角は困り果てた。今のヒカルは酷く興奮していて、自分が何を言っても聞きそうになかった。
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