裏階段 ヒカル編 161 - 165


(161)
挑発も謝罪も全てどこか空々しい。その場限りの都合で思い付いた言葉を口にする、
今の進藤は実体がどこにもない、ただ危うく脆い存在でしかなかった。
「…あまり自分で自分を追い詰めるな、進藤。誰もそれで救われるわけでもないんだろ?」
そう言葉をかけるくらいしか、その時のオレには出来なかった。
フッと進藤が微かに笑った気がした。
その笑みに彼の負った傷の深さを感じた。
彼の身に何が起こったのか、おそらくそれを彼はこの先誰にも話すつもりもないのだろうが
言えない代りにただ傷を負った自分の姿をこうやって周囲に見せてまわっている。
ならばそれを受け容れてやるしかない。
全てを心の中に押し隠させてしまえばそれこそ彼はダメになってしまうだろう。


(162)
彼が落ち着くのを待って体を離した。
手放したくない温かさだったが、残された限りの理性で踏み止まった。
車で家まで送ろうと言ったが彼は断り、振り返る事もなく部屋から出て行った。
ドアが締まる音に体を半分に引き裂かれるような痛みを感じた。
結局何も出来ないもどかしさの苦痛だ。
もう彼はこの部屋には来ないような気がした。
これでいいと思った。少なくともこれ以上彼を汚さなくて済む、と。

しばらく彼の後ろ姿が消えた玄関のドアを見つめていたが、冷たいシャワーでも
浴びて頭を冷やそうと思い部屋の奥へ向き直った。
するとふいに玄関のインターフォンが鳴った。
心臓が躍り上がり、弾かれたようにドアに駆け寄り開いた。
進藤が戻って来た思ったのだ。

「…どうしたんですか?緒方さん…?」
上着を腕に掛けてびっくりしたようにアキラが立っていた。


(163)
「…どなかた、お客さんでも…?」
「…いや、…」
進藤が来ていたことなどアキラに伝える必要はないと考えていた。
「一局お願い出来ますか?今度萩原九段とぶつかる事になったのですが、先日
緒方さん、大手合いで萩原九段と戦ってますよね。だから…」
アキラの言葉が終わらないうちに腕を掴んで部屋の中に引き入れ、その勢いのまま
リビングの床の上に押し倒す。
「緒方さん…!?」
驚くアキラの首元からネクタイを奪い、それで両手首を頭の上で縛りソファーの足に繋ぐ。
「緒方さ…!!」
「…声を出すな」
白いシャツを開いてその下のランニングをアキラの顔の部分を隠すようにたくしあげる。
下肢の衣類も取り払う。
両腕を固定されて顔を鼻の部分から上を衣服で被われたアキラの裸身が眼下に晒されている。
さらに上着で頭部を被う事で黒髪もすっかり視界から消した。
見慣れたはずのアキラの肢体もその時は違う意味を持っていた。
ごくりと息を飲むようにアキラの喉元が動く。


(164)
「緒…方さん…」
「…黙っていろ」
喉元から胸に掛けて、ゆっくり、柔らかなキスを施す。
暴力的な行為に慣れたアキラの体は、普段と違った思い掛けない感触にみるみる反応し
間もなくアキラが甘く吐息を漏らし始める。
あくまで優しく、何かを想定するようにしてアキラの体を愛撫する。
“そう言う行為を初めて与えられる”相手のように扱う。
息を吹き掛けながら、骨の随から熱を沸き起こさせるようにじっくりとキスを重ねていく。
「……っ、……っん……!!」
その意味もわからぬままにアキラはオレの言い付けに従い、必死に声を噛み殺す。

皮肉な事にその時のアキラの肉体はかつて無い程に極上の味わいを醸し出した。
同時にアキラ自身がそれだけの反応を受けている事を示していた。
「……ッ、フッ…ンンッ…!!」
ただひたすら唇を噛み締め、健気にアキラにとって意味不明の儀式に耐えようとしていた。


アキラは誰かの身替わりに抱かれる事に慣れ、オレは誰かの身替わりを抱く事に慣れていた。
そういう事だった。


(165)
最後の最後まで彼に言葉を発する事を許さなかった。
数回の到達でアキラは唇を切り血を滲ませていた。
彼の手首から誡めを解き、顔を被っていた衣類を取り除いた時、
汗で額に張り付いた前髪の隙間からアキラは何かを問いたげにじっとオレを見つめていた。
「……一体…誰を…」
「何か言ったか?」
リビングの床にぐったりと横たわったアキラを放置して自分の衣服を整え、煙草に火を点けて
何事もなかったようにパソコンに向かう。
「…いえ…何でもありません…」
よろよろと起き上がるとアキラは1人でバスルームに入っていった。



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