平安幻想異聞録-異聞- 165 - 166


(165)
「そうだ、さっきはすまなかった」
「え?」
「お前にこんな事をさせる奴は、…確かに敬称をつけて呼ぶ必要はないな」
星明かりを背中に配した伊角の表情は、黒い影になって、ヒカルには
わからなかったが。


伊角が去って、情交の疲れを眠りで癒していたヒカルは、ほどなく視線の
ようなものを感じて目を覚ました。
なんとなく気になり、体の動きが鈍いのを無理して、中庭に面する高欄の
縁まで出てみる。
視線の源を探すと、座間邸敷地の中央に位置する寝殿のその屋根に、
一羽の鳥が留まってこちらを凝視しているのに気がついた。
カラスにも似ていたが、体はやや細く尾羽が長い。何よりその体はただ
漆黒なだけでなく、肩のあたりと腹が染め分けたように純白をしている。
ヒカルはその鳥を、佐為の家の絵巻物で見たことがあった。
カササギ――この世とあの世を行き来する鳥。
唐の国にしかいないと言われるこの鳥が、なぜこんなところにと疑問に思う
間も無く、その鳥はふんわりと羽根に風をためてヒカルの目の前に降り立った。
それから、足元にポトリと小さな結び文を落とすと、羽音もさせずに
飛び去ってしまう。
ヒカルはその文を拾い、広げた。
賀茂アキラからの手紙だった。
小さな紙に、短く簡潔に。
必ず助ける手立てを算段するから、今しばらく耐えて欲しいと。
この手紙も、先に伊角に託して渡した札も、座間に見つからぬよう、
くれぐれも気をつけるようにと。
そして、その手紙の隅にそえられた、慣れ親しんだかの碁打ちの人の文字。
体に気をつけて、と、たった一言。
文からは、ヒカルの好きなあの菊の香の薫りが幽かにしていた。
ヒカルは、たったひとり、その手紙を抱きしめて、夜が明けるまで
声を殺して泣いた。


(166)
「ここは、こちらより、あちらの方に石を置いた方がようございました」
清涼殿の一角、帝を前に、佐為の凛としながら穏やかな声がひびく。
近頃は参内も休みがちな佐為であったが、かといって帝への囲碁指南は
完全に休業してしまうわけにもいかず、こうして仕方なしに出仕している。
碁石をはさむ指先の形は、あいかわらず周囲の者が溜め息をもらすほどに
美しかったが、
その白い皮膚は、細かい擦り傷などで、見る影もない有り様だった。
近衛ヒカルの身が座間の元へと渡り、賀茂邸にその事情を聞きに行ったあの夜
以来、佐為は毎夜のように、ヒカルを縛る元になる蠱毒の壺をさがして都の夜を
さまよっている。
最初の日に、賀茂アキラが書き出した、壺が隠されている心当たりのある場所の
見当をたよりに、アキラと供に歩き回り、建物の影や下をのぞき込み、土の色
が変わっている場所、落ち葉がかき分けられている場所を注意深くさぐる。
壺の周りには結界が張られているために、式神には見つけることが出来ない。
だからすべて人である自分とアキラの、目と耳と手が頼りだった。
壺はその呪を掛けられた者の、ゆかりの場所に隠されることが多いという。
手始めは近衛家の周りから、ヒカルの祖父の許可をもらってあちらこちらを
掘り、ヒカルの常の寝所の床板をはがすことまでし、次には佐為の家、碁会所、
さらに検非違使庁の建物にまで足を伸ばした。
夜中、闇に乗じて佐為とアキラは盗人のように、検非違使庁の棟に忍び寄り、
月影に隠れて床下を調べまわりの土を掘り起こす。
なれない鋤や土ヘラを持つ手にはマメが出来、掘り起こしている最中にその鋤の
先などにカチリと硬い物などにあたれば、矢も楯もたまらなくなって道具を放り
だし、手でその正体を確かめようとするものだから、柔らかな指先は土と血に汚れ、
爪は割れて、無残なさまになっていた。



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