裏階段 三谷編 17
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「…どうしたの?」
そう聞かれてすぐには返事が出来なかった。色彩のないモノクロに近い過去の映像から
ゆっくりとベッドサイドの柔らかいオレンジの光の現実に引き戻されて行く。
体の下で彼が何を問いているのか分からなかった。ただ、ベッドが殆ど軋む音を立てない
程に緩やかなな動きを自分はしていた。快楽よりもただ人の温もりを望むように。
無意識に彼の手の5本の指のそれぞれの間に自分の指を差し入れて握りしめていた。
彼は、不思議そうにその組み合わさったものを見つめていた。
そしてオレは、もう一度あの日のあの場所で、あのプロ棋士が自分を見つめる深く
温かい目を思い出していた。全ての物が凍てつくように思えた瞬間の直後、あの
眼差しだけは温かかった。
プロ棋士の名は、塔矢行洋。今思えば伯父とは対極的なタイプの棋士であった。
猛火のごとく相手の陣地全てを焼き尽くそうとする伯父に対し塔矢プロは半目でも凌げば
善しとする、知的な戦術者であった。短時間で相手を組み伏せる事を望まず
辛抱強く時間をかけた深い対局を選んだ。記憶の限りでは伯父が勝者となる事はなかった。
「若いくせに年寄り臭い碁を打つ」
面と向かってそう毒づく伯父に対して塔矢プロはただ静かに頭を下げた。オレは初めて
人の打つ碁を“美しい”と感じ伯父に隠れて何度もその棋譜を眺めては盤上に並べた。
こちらが言葉を返さない事に半ば苛ついたようにして彼は組み合わさった手から
自分の指を外そうとした。外すまいと強く握りしめた。そうしてこちらが激しく
動きだし、その事に返って安心したように彼は吐息を漏らしながら自らも動いた。
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