平安幻想異聞録-異聞- 17 - 18
(17)
佐為は何かを叩くような小さな物音に目をさました。
気のせいだろうかと耳をこらすと、もう一度。どうやら誰かが
木戸を叩いているようだ。
こんな早朝に何か火急の用事だろうか?
それにしても、自分も、元々眠りはあまり深くないほうとはいえ、
よくあの小さな物音に気づいたものだと妙に感心しながら、
簡単に着替えて、門へと急ぐ。
もう一度、門をゆるく叩く音がしたので
「はいはい、こんな朝も明けやらぬうちになんのご用ですか?」
と、独り言のようにつぶやきながら、カンヌキを外して門を開けると、
そこに座り込んでいたのは護衛役の近衛ヒカルだった。
自分で呼びだしたくせに、まるで佐為が出てきたのが意外とでもいうように、
大きな目をさらに大きく見開いて佐為の顔を見上げている。
だが、そんなことより佐為が驚いたのは、そのヒカルのいでたちだ。
引き裂かれた狩衣、あちこちが血と土にまみれ、月明かりでよくみれば、
ヒカル自身の顔や手足にも無数の切り傷、擦り傷が……
「どうしたんです、ヒカル!その格好は…!!」
(18)
あぁ、どうしよう…。自分のうちに帰るつもりが、佐為のうちにきちゃったよ。
そんな事を考えて藤原家の門をぼう然と見上げながら、
それでもヒカルの手は最後の力を振り絞って、木戸を叩いた。
でも、その音は、自分が期待したよりも小さく弱々しく、
到底まだ寝ているだろう佐為が気づいてくれるようなしろものではなかった。
だから目の前で木戸が開いて、佐為がその美しい顔を見せたとき、
ヒカルは本当にびっくりして、そして安心したのだ。
「どうしたんです、ヒカル!その格好は…!!」
そのたおやかでいて凛とした声がひどく懐しい気がした。
一瞬にして、体中から力が抜ける。
意識して体から切り離していた痛みの感覚が戻ってきて、
体中が痛いと悲鳴を上げはじめる。
(よかった、もう泣いてもいいんだ。泣いても……)
そう思ったとたん、熱い塊が喉の奥から込み上げてきて、
もうヒカルには、それを止めることが出来なかった。
「うわぁぁぁぁぁ…!」
突然、自分ににしがみつき、擦れる喉を振り絞るようにして
大声で泣き始めたヒカルに、佐為は一瞬戸惑った顔をしたが、
すぐにその腕をヒカルの背中に回し、やさしく抱きしめた。
ヒカルは、佐為の白い狩衣が土と血で汚れるのもかまわず、
その頬を佐為の胸に押し付けて、思う様泣いた。
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