敗着-透硅砂- 17 - 18
(17)
しばらく見つめ合っていたが、不意に緒方が体勢を変えてごろりとソファに寝そべった。
「進藤、オレは寝るからなっ」
「え、ちょっと待ってよ…、」
手足を長々とソファに横たえ伸びをしている緒方を起こそうとして慌ててひざまづいた。
「進藤」
「なに?」
クッションを頭の下にあてがいながら、目をつむったままの緒方が言った。
「オレの上着の内ポケットに財布が入ってる。それ、出せ」
「財布…」
だらりと置かれていた腕をどけて、喪服の上着をめくると中を探った。
「あった」
取り出したこげ茶色の長札入れを手に持って言った。
「その中開けてみろ。万札が入ってるから、それ、一枚出せ」
「――出した」
「それはお前にやる。それでタクシーつかまえて帰れ。足りるだろう?」
「えっ?そんな、ちょっとセンセ…、」
「オレは寝る」
それだけ言うと、すぐに寝息をたててしまった。
(チェ――…)
まだバスも電車もあるよ…。
取り出した一万円札をテーブルの上に置くと、札入れを閉じて内ポケットに戻した。
大きなため息が出た。
肩を落として寝室へ行って、掛け布団をずるずると引き摺ってくる。
(この人、いつも酔ってるのかなあ……)
すうすうと寝ている緒方の上に脚まで隠れるように布団を掛けると、注意深く眼鏡を外してテーブルの上の一万円札の上に置いた。
(ここ引っ張ったらいいんだよな…)
教えられたことを思い出しながらネクタイを緩めた。
そして緒方が寝ているソファの脇にちょこんとしゃがみこんだ。
起きる気配もないその寝顔を息を殺して見つめる。
(塔矢も…この顔……見たことあるんだよな……)
(18)
無防備なその寝顔をまじまじと観察した。
あまり笑わないのか、目尻の皺は少なかった。
髪と同じ色をした眉毛を凝視する。
(髪とおんなじ色…。インモーも同じ色だったよな…)
整えられているその眉毛を二度三度、人差し指の腹でそっとなぞってみた。
長くはないが、均等に生え揃った薄い色の睫毛と、伏せられて眼球を包んでいる二重瞼を眺めた。
通った鼻筋と、閉じられた口元。出掛ける前にきちんと剃ったのか、髭の剃り残しはなかった。
(お父さんと違って…電気シェーバー使わないんだよな…)
洗面台の前で髭剃りフォームを顔に塗り、T字型カミソリを使って髭を剃っている緒方を思い出した。
好奇心で顎も触ってみようとしたが、止めておいた。
(――帰ろ。)
立ち上がるとリュックを取りに行って、もう一度戻って来てから眠っているのを確認し、電気を消して部屋を後にした。
玄関の扉が閉まる音を聞いて、暗闇の中で飛び起きた。
(危なかった―――。)
ネクタイを緩めるついでにキスでもされていたら、迷わず押し倒していた。
見ず知らずの故人の棺を前にして、泥酔するわけがなかった。
(進藤…。ヤバかったぞ……)
もう以前とは違う、慣れた手つきでネクタイを緩められた感触に頭がくらりとした。
撫でられた眉毛を痒いところを掻くようにゴシゴシと擦る。
(寝てる奴の眉毛を触るな…)
ブラインドの隙間から漏れる外の仄かな明かりに、テーブルの上に置かれた一万円札が見えた。
(置いていったか……。)
小さなため息をつくと、テーブルの札の上に重しのように置かれている眼鏡を取ってかけた。
ソファに座り直すと胸ポケットから煙草を取り出し口にくわえる。
(ここに来て…何もないことが分かればすぐに飽きる年頃だ……。その頃にアキラが持っていくだろう……)
ライターを持って火を点けようとしたが、蓋を開けたり閉めたりしてしばらく遊んでいた。
腕の下で、掛けられた羽根布団がふわふわと腕の重みを撥ね返している。
(これで――、良かったんだよな――。)
そう言い聞かせると、羽根布団を軽くパンチした。
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