黎明 17 - 18
(17)
ならばいっそ、救おうなどという大それた望みなど放棄して、共に闇に堕ちてしまうのもいいか
も知れない。そんな甘い誘惑に一瞬、飲み込まれそうになりながら、けれども、思いとどまる。
堕ちたところで、彼の闇と自分の闇とは異なるのだ。
同じ闇に堕ちられるのなら、厭うものなど何もない。いっそ、それこそが望ましい。けれど彼の
闇の中にいるのは自分ではなく逝ってしまったあの人で、闇の中にあってさえ、彼は変わらず
同じ人を見つめ続けている。
それが、それこそが耐え難いから、自分は彼を闇から引きずり出そうとしているのだろうか。
結局、彼を救うなどと言う事は大義名分や言い訳に過ぎないのかもしれない。
ただ、闇の中に失った人だけを見つめる彼に耐えられないから。
だからこうやって無理矢理に彼を闇から引き摺り出そうとしているのかもしれない。
彼のためではなく、単に自分のために。
彼に生きていて欲しいと思うのは、元のような、その名の通りの明るい日の光のような彼に戻っ
て欲しいと思うのは、何よりもそういった彼を愛する自分のためで。
(18)
天を見上げ、降るような星々を仰ぎ見る。夕刻には低い空に細く光っていた月は既に沈み、そこ
には見えない。
天を見上げながら、宮中にその才を名高く知られたこの歳若い陰陽師は、天に見える幾千万の
光を、その現象と理(ことわり)とを思った。天にある日も月も星も、みな整然として乱れなく、定め
られた刻に定められた通りに昇り、また、沈んでいく。それらを計り、数え、天の動きから地の動
きを図ることも、彼の才の一つであった。
人々の目には異常とも見える月の赤さも、妖しく強く光りはじめた星も、長く尾を引くほうき星も、
日中に太陽が削られゆき昼日中に都が闇に包まれる事でさえ、全ては天の理の内で、不思議
な事など何一つなく、そうあるべき理由の元に正しい結果としてそう見えるのだということを、彼は
知っていた。ただ、何も知らぬ人にはその過程は見えないから、突然あらわれる現象にある時は
怖れ惑い、ある時は吉兆を見るだけなのだ。
天地(あめつち)の理はゆるぎなく秩序立てられ、その幾何学模様は整然と美しく、流れゆく万象
は彼の目には手に取るように明瞭で、それを見る彼を魅了した。
けれどそれでは、美しく優しかったあの人が自ら命を絶たねばならなかった事も、天の理なのか。
あらかじめ定められた秩序の内なのか。
そんな事はない、と、否定したい気持ちとは裏腹に、それもが正しく秩序であることを認めざるを
得ない自分がいる。それすらも定められた条理の内で、正当な因果として、なるべくしてそうなっ
たのだと言う事は、才長けた陰陽師である彼には否定できない事であった。
世界を司る真理は唯一絶対の真理で、ただそれを見るひとが、ただ一つの真理のうちにそれぞ
れ異なる真実を見るに過ぎないのだ。
それらを深く知った上で、陰陽師は自らの無力を嘆く。陰陽道などと言うものは、所詮、ひとの生
き死ににも、苦しみにも、悲しみにも、何の力にもならぬのだと。
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