0 (ゼロ) 17 - 18


(17)
彼は何分程そのままそこに居ただろうか。
ヒカルの呼吸はずっと穏やかになり、今はすぅすぅと静かな寝息を立てていた。
薬が良く効いているのだろう。苦しげだった表情も、落ち着いている。
アキラは飽きる事なくただただヒカルを見つめていた。
痩せたな、と思う。
小学生の頃のヒカルはどこかふくふくとしていて、愛らしい子供だった。
けれど今、長い睫が頬に影を落としているその顔に、過ぎし日の面影は微かにしか残っていない。
中学三年生の頃、ヒカルは一時期に急激に変化した。
成長といえばそうなのかも知れないが、著しい成長というよりはやはり変化の方がしっくり来る。
決意を秘めた瞳の力強さも、時折垣間見せる憂いのある表情も、それまでの彼にはなかったものだ。
酷く悩んでいた時期があって、けれどそれを乗り越えた時、アキラの前に現れたヒカルは
今までにないほど強い自我を持って見えた。
勿論、今日に到るまで一度たりとて、その『悩んでいた事』について触れた事はない。
その後の対局で触れた『彼についての謎』に関しても、話したその日以降は一度も話題に上らなかった。
「あ……や、いや、だ……」
微かに聞こえるヒカルの声にアキラはその顔を覗き込んだ。
「進藤……?」
「い、やだ、……いくな……」
息を多分に含んだそれが寝言だという事はすぐに分かった。
堅く閉じられた双眸から、涙が零れている。
自分はここにいるべきじゃないと自覚したアキラはそっと立ち上がった。
「……いくな、…さ、い……」
襖を閉じる瞬間、聞こえた最後の言葉はいつまでもアキラの耳に残った。


(18)
病人がいるのなら店屋物にする訳にはいかないと思い、アキラは数日振りに炊事場に立った。
冷蔵庫には幸い、日持ちのするものの買い置きがある。
ヒカルは全般的にジャンクフードが好きだが、それでも味には煩い所があったので、
とりあえず普通のお粥はやめておく事にした。
鶏ガラスープをベースに煮立たせた粥に、塩で少しだけ味をつけて長葱と油条を添える。
碁会所の市川に教えて貰った作り方だが、まさかこんな所で役に立つとは思わなかった。
ただでさえ食には無頓着な所があるアキラだ。
多分自分の為にだったらこんな手の掛かるものは作らなかっただろう。
出来上がった中華粥は、アキラの知っている病人食とは掛け離れたものだった。
だが、幸い消化は良さそうだったので、ヒカルの食欲さえ戻っていれば食べれない事はないだろう。
けれど、もし食欲もなかったらどうするべきか。
林檎とか、スポーツドリンクとかを買ってきた方が良いのだろうか。
そう考えてアキラが財布を取りにいこうとすると、台所の戸口にヒカルが立っていた。
「進藤! 起きていて大丈夫なのか?」
驚いて訊ねると、ヒカルはまだ少し寝惚けているのか、目を擦りながら裸足のまま
ペタペタと歩いてきた。
「塔矢……」
すぐ傍まで来て、あ、と小さく声を上げた後少し離れる。
二人の間に出来た間隔は友人としての距離でも、知り合いとしての距離でもなかった。
「ご、ごめ……オレ馬鹿だからすぐに忘れちゃって……」
熱の余韻か、目許を赤らめたヒカルが申し訳無さそうに俯くのを見て胸が痛んだ。
アキラのいった事を気にしていたのだろう。
なのに、この距離を寂しいと感じる自分は身勝手だとアキラは思った。
ヒカルの腕を強く引いて、思いきり抱きしめる。
「うわわ、な、何?」
「いいから」
手をばたばたと振ったヒカルはアキラの強い一言に押し黙った。
なんだよ、も〜、といいながらもまだ身体がだるいのか、アキラに凭れ掛かる。
「昨日の事、済まなかった。少なくともボクの事に関しては嘘だよ。
嘘だから、そんなに……距離を取らないでくれ」
「?? なんだ、そんな事気にしてたのかよ」
余りにもあっけらかんとした返事に、アキラは、自分はもっと気にしていた癖に、と心の中で悪態をついた。
「……って、それでコレかぁ? お前ってほんっと極端だよな〜」
良かった、元気だ。アキラはヒカルに気付かれないようにそっと息をついた。
「じゃ、もういいだろ?」
「…… ……待ってくれ、ちょっとまだ……」
「へ? あ、ああ、そっか」
しょうがねぇなぁと笑うヒカルはアキラの『待った』をどうとったのか、
くつくつと笑いながら自らも腕を回し、アキラの背中を軽く叩いていた。



TOPページ先頭 表示数を保持: ■

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!