pocket size 17 - 20
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「初めはゆっくり。右手の親指で皮を押さえながら少しずつ剥いて・・・
そうそう、お上手ですよ」
胸ポケットの中からやししく指導してくれるアキラたんに従って、俺は野菜の皮を
剥いていた。
自分一人なら三食レトルトでもいいが、アキラたんがいるとあってはそうはいかない。
料理の本でも買ったほうがいいのか?と頭を抱えていた時、アキラたんが「料理なら
ボク、少しはお教えできると思うんですけど・・・」と口元に手を当て考え込むような
仕草で言ってくれたので、二つ返事でアキラたんの「生徒」になることにした。
碁が強くて頭が良くてまだ15歳なのに礼儀正しくて料理もできるなんて、
やっぱアキラたんてすげーよ!と俺は惚れ直した。
以来、食事の準備をする時はアキラたんが俺の胸ポケットから色々指導し、俺がそれに
従って実際の調理を行うという習慣ができていた。
「こ、こんなもんかなぁ。アキラたん」
慣れない手つきで剥きあげたニンジンは、皮と一緒に身まで落としてしまった部分があり
デコボコしている。
だがアキラたんはポケットの中から微笑み、力強く頷いてくれた。
「とってもお上手です!」
こんなボコボコのニンジン、お世辞にも上手とは言えないだろうに・・・
(俺が初心者だから、気を遣って励ましてくれてるんだろうなあ・・・)
アキラたんの優しさへの感動と申し訳なさで、俺は目頭が熱くなってしまった。
「アキラたん、やししいんだね。ほんと言うと俺、アキラたんの教え方ってもっと
スパルタかと思ってドキドキしてたんだ」
「えっ、スパルタ?・・・ボクがですか?」
アキラたんが驚いたようにポケットの中からあのネコ目で見上げてきた。
こんなにちさーいアキラたんなのに、キラキラした強い光を放つ大きなネコ目は
そんじょそこらの目薬CMのタレント美少女なんかでは到底敵わないくらいの目力で
俺を痺れさせる。
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「いやー、たとえばさ、教えている間は先生と呼んでもらおうか!とか、同じことを
3日前にも注意した!やる気がないのかっ!とか、もっと色々厳しく言われるかなって」
軽い気持ちでそう口にした俺の頭にあったのは当然、越智の指導碁の時のスパルタ
アキラ先生だった。
「え・・・」
後で思うとアキラたんはその時何か言いかけたのだが、ちょうど鍋が吹きこぼれたので
お流れとなってしまった。
「わ、うわ、うわっ、」
「あ、大丈夫です。落ち着いて布巾を被せて蓋を取って、弱火にして・・・」
アキラたんの冷静な指導でなんとか被害を最小限に抑え、額の汗を拭う俺に
アキラたんが言った。
「ボクは確かに少し短気な所があって、相手によってはたまにきついことも言って
しまいますけど・・・一生懸命上手くなろうとしている人に必要以上に厳しくしたり
しません。それに、英治さんは本当に上手ですよ!普段ほとんど料理をしないなんて
信じられないくらい」
にっこり笑いかけてくれるその笑顔は、営業スマイルではなく本当に優しさ溢れる
温かいものだった。
「アキラたん・・・」
感動のあまり俺がその場に立ち尽くしていると、アキラたんはまた口元に手を当てた
考え込む仕草で、まな板の上のデコボコのニンジンをまじまじと見つめシリアスな声で
言った。
「本当に・・・どうやったらこんな風に上手に・・・」
「あ、いやアキラたん、いくらなんでもそこまで・・・」
「でも、ボクが皮を剥くと・・・この3分の2くらいの大きさになってしまいますし・・・」
「え」
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「お母さんや芦原さんに教われば、手順は一回で覚えられるんですが・・・いざボクが
一人でご飯を作ると、教わった通りにしているはずなのに同じ味にならないのは・・・
何故なんでしょう・・・」
「・・・・・・」
「でもボクが教えた通りに英治さんが作ると、ちゃんと美味しいものができるという
ことは・・・手順は間違っていないということですよね。同じことをしていて何故ボクだと
違うものができてしまうのか・・・」
「アキラたん・・・」
アキラたん・・・君はもしかして頭はいいけどすごく不器用な子なのかい?
(それでも、俺の愛は変わらないよ・・・)
深刻な表情でブツブツ呟きながらず、ずっとポケットの中に身を沈めてすっぽり姿を
隠してしまったアキラたんに、俺はニンジンを持ち上げて明るく言った。
「アキラたん、俺が上手いとしたらアキラたんの教え方がいいせいだよ!このニンジン
だってさ、皮は剥けたけどどうやって切ったらいいか俺一人じゃわかんねーし。
これこの後、どうしたらいい?教えてくれよ!」
「・・・・・・」
「なっ、アキラたん!いやアキラ先生!」
「・・・ボク、そんなに教えるの上手いでしょうか?」
ポケットの中からアキラたんが小さな声で呟く。
「・・・うん!やししいしわかりやすいし、もう最っ高!俺の先生はもうアキラたん以外
考えられないよ!」
すると胸ポケットの中がもそもそ動いて、少しおかっぱを乱したアキラたんの小さな顔が
すぽんと現れた。
平静を装っているが頬が綺麗なピンク色に輝き、シリアスな声が心なしか弾んでいる。
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「そんな・・・ボク、料理に関しては本当に素人で、先生なんて言われると恥ずかしい
ですが・・・でも、そうですね、それじゃこのニンジンは、乱切りにしてみましょうか」
「らんぎり?」
「こう、形は適当でいいですから大きさが一定になるように・・・慣れないうちは
大きさが揃わなくて大変ですが、練習しているうちにきっと上手くなります。
大丈夫です、ボクも最初は苦労しましたから」
アキラたんがピンク色のほっぺで微笑んでくれる。
俺はゴクリと唾を呑み込んで、不慣れな手つきで包丁を握り直した。
「う、うん。やってみるよ、アキラたん」
俺の人生初の乱切りニンジンは、アキラ先生の目から見てとても良い出来だったらしい。
「アキラたーん、出てきてくれよー」
「・・・・・・」
「頼むよー」
「・・・・・・」
ショックを受けたのか再びポケットの中に隠れてしまったアキラたんを引っ張り出して、
やっと二人で夕飯にできたのはいつもより1時間ほど遅い時刻だった。
「ごめんなさい・・・英治さん」
「ん?」
野菜の煮物を頬張りながら俺は聞き返した。苦労の甲斐あってなかなかに美味い。
「毎日お世話になっているのに。英治さんがお料理してくれるのも、ボクのためなのに・・・
我儘で困らせて」
専用のちさーい座布団に座りお猪口のお碗を持ったアキラたんが申し訳なさそうに
上目遣いで見上げてくる。
アキラたんには最初のうち、折りたたんだハンドタオルを座布団代わりにしてもらって
いたのだが、三省堂のステーショナリーコーナーでアキラたんぴったりなちさーい座布団が売られているのを偶然見つけ、以後はそれに座ってもらっている。
本来は招き猫や十二支など縁起物の置物を置くためのものなのだろうか?
水色の地に金魚と出目金の模様が夏らしく、アキラたんも気に入ってくれているようだ。
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