落日 17 - 24


(17)
この目がいけない。
虚ろで、どこか寂しげで、庇護者を求めるような、それでいて、ひとの心の奥底に潜む暗い情欲を
呼び覚ますような眼差し。
そのような目で俺を見るな。俺を惑わすな。
「あっ、やだっ…!」
身体をうつ伏せに倒し、手近にあった紐で両の腕をまず後ろ手に縛り上げる。
それから引き裂いた衣の切れ端で彼の目を覆い、頭の後ろで縛る。
これでよい。
これで、あの眼差しが自分を惑わせる事はない。
満足げな笑みを浮かべて、捕らえた魔物の背を見下ろしながら、白い肌へ手を滑らす。
片手で胸元を弄りながらもう片方の手で幼い性を擦り上げてやると、彼は悲鳴のような泣き声を
漏らしながらも、その手に反応して未熟なそれはゆるゆると勃ち上がる。
その様子に、それ見たことか、と嘲りの笑みを浮かべながら、彼の後ろに己の欲望を押し付けて
やると、びくりと彼の身体が強張る。
「あっ…!」
両手で腰を押さえつけ強引に押し進むと、細い身体は受け入れる痛みに四肢を突っ張らせる。
奥歯を噛み締めて悲鳴を堪え、カタカタと小さく震えながら懸命に身体を支えている仔鹿のような
背をせせら笑いながら、乱暴に引き抜きかけ、次いで更に奥まで突き入れると、耐え切れずに高
い悲鳴が上がり、細い腕はもはや身体を支えることができずくず折れる。


(18)
容赦など要らぬ。
甘い顔を見せてやれば、これはまた何も知らぬげな顔をして、誰とも問わず彼を目にする男を
残らず誘惑するのだ。だからこれは正義だ。ヒトを闇に、暗い情欲に引きずり込む魔は調伏せ
ねばならぬ。
「イヤ…イヤだ……や、…あ、あぁ……っ!」
懇願する声など聞き入れず、むしろその声を楽しむように乱暴に抜き差しし、更に内部を抉る
ように動かすと、拒み続ける声は次第に愉悦を含んだものに変わり、その媚態が更に怒りを
増幅させる。前に手をやると萎えていた筈のものはまた勃ち上がり、蜜を溢している。
この淫魔め。
誰彼構わず男を咥えこみ、快楽の淵に引きずり込もうというのか。
だが俺は飲み込まれたりしない。
そのように淫らに喘いでみせても、俺は誘惑などされない。
繋がったまま強引に体勢を入れ替え仰向けに転がすと、痛みに少年が泣き叫ぶ。
萎えかけた陰茎をぎゅっと握りつぶしてやるとヒイィッと高い悲鳴が上がる。
それなのにゆっくりと抜き差しを開始すると、悲鳴はまた喘ぎ声に変わり、彼のものもまた勃ち
上がって淫らな涙を溢す。
「あ……あ、…あぁ、」
快楽に咽び泣く声が男の情欲を煽り、動きを加速させ、荒々しい動きの果てに、ついに少年の
最奥に怒りに満ちた欲望を吐き出し、同時に彼も震えながら白い精を腹の上に撒き散らす。
荒い息に胸を上下させ、半開きの赤い唇からは涎が零れている。白い身体はまだらに紅く染まり、
身体から、吐息から、男を惑わせるような甘い香りが強く薫る。麝香にも似たその香りに幻惑され
て、彼の内部で男のものがどくっと脈打ち、膨れ上がる。
身体の内部に感じる変化から身を捩って逃げようとする細い身体を逃すまいと掴まえる。
「お願い…もう、許して……」
啜り泣きながら許しを請う声は、更に嗜虐心をそそるものでしかなく、残忍な笑みが顔に浮かぶ。
手に落ちた獲物の顎を捉え、こちらを向かせる。白い布で視界を覆われた小さな顔が、怯えたよう
に頭を振る。流れ出る涙が目隠しの布を濡らしている。
顎を掴む手に更に力を込めると、彼の顔が痛みに歪み、彼は耐え切れずに小さく言葉をこぼす。
「ゆるして、伊角さん…」


(19)
はっと我に返って、伊角は頭を振った。
今、自分は何を考えていた?
耳元で心臓の音が激しく響く。背を冷たい汗が流れ落ちる。息が苦しい。
彼の声が、頭の奥でこだまする。
「許して…伊角さん……」
違う、なぜ、なぜ彼が自分に許しを請うのだ。
そんな事はない!そんな筈はない!!
違う。
あれは俺じゃない。彼をあのようにしたいなどと思った事などない。
彼を傷つけたいなどと、傷付いた彼を更に痛めつけたいなどと、思った事などない。
違う。
彼を憎んでなどいない。
愛しているんだ。守ってやりたいんだ。
俺は、彼を守りたいんだ。
彼がこれ以上傷つく事のないように、彼を脅かす全てから、守ってやりたいんだ。


(20)
目を落とすと、ヒカルが掛け布にくるまってすうすうと寝息を立てている。
震える手を伸ばしてそっと髪を梳くと、
「んん……」
と、小さな声を漏らして、布をきゅっと握り締めて横向きに丸くなった。頑是無い無垢な幼子の
ようなその仕草に、胸が痛む。
絶対に違う。あのような夢に、白昼夢に、何の意味もない。あれは俺の願望などではない。
俺はおまえを傷つけたりしない。絶対にそんな事はしない。
おまえは俺が守るから、守ってやるから、だから。
彼の顔を見つめているうちに、ぽたりとしずくが一粒、彼の頬に落ちた。
慌てて覗き込んでいた顔を離し、目元を拭う。
そして、ぶるりと肌寒さに身を震わせた。
夜闇が迫っている。秋の夜はそろそろ薄ら寒い。火桶に火をもらってこようと伊角が部屋を出よう
とした時、足が何かを蹴転がした。
「あ……」
それは和谷の持ってきた手籠だった。
布からこぼれたかけらを拾い上げて、薄闇の中で目元に近づけ、くん、と匂いをかぐ。
糖蜜の塊――いや、これは違う。
六角の格子のそのかけらを口に含むと、しゃり、と口の中でこぼれ、馥郁たる花の香りと蜜の味
が口内に広がった。
甘い。この珍しい糖菓子をどのような苦労をして手に入れ、そしてどのような弾む気持ちでここに
持ってきたのか。彼の気持ちが手にとるようにわかる気がした。
そして彼が何を目にして、そして去って行ったのか。
彼の心を思うと、まるで己の事のように胸が痛む。
けれど。
それでも譲れない事はある。
譲りはしない。


(21)
そっと元通りに籠に詰め直し、先程のように蹴倒される事のないように、部屋の隅に置かれた御台
の上に籠ごと置く。
明日になって彼が目覚めたら食べさせてやろう。きっと喜ぶだろう。「甘い」「美味しい」といって笑っ
てくれるだろう。
そして自分も今度は何か彼を喜ばせるようなものを持ってこよう。
あどけない寝顔に思わず頬が緩む。こんなに愛しいものがいただろうか。こんなに誰かを愛しいと
思った事があっただろうか。彼の顔を見つめ、そっと髪をなでていると、眠っているはずの彼の手が
伸びて自分の手を捕らえる。
どうした、と呼びかけようとすると、彼がぼんやりと目を開けてこちらを見た。
その視線が何かを探すように宙を彷徨う。虚ろな眼差しに胸がきりきりと痛むのを感じる。衝動の
ままに彼の身体を抱き寄せると、ああ、と、彼が胸の中で小さな息を漏らす。彼の目からこぼれる
涙が胸を濡らす。ぎゅっと細い身体を抱きしめてやると、震える身体は小さく誰かの名を呼ぶ。
目をきつくつぶり、奥歯を噛み締めながら、それでも彼を抱く腕に力を込めた。
いいんだ。それでもいい。たとえ今は他の男の名を呼んでいようとも。
そう、彼はもういないのだから。彼がこの少年を守ってやる事はもうできないのだから。
だから。
だから、と、伊角は自分に言い聞かせるように言う。
「何も、おまえは何も思い煩らう事はない。俺が守ってやる。
誰にも、おまえを傷つけさせたりしない。
おまえを守れるのは俺だ。俺だけだ。だから、」
だから、他の男になどその身体を預けるな。
他の男におまえを抱かせるな。
おまえは俺のものだ。俺だけのものだ。


(22)
半ばまだ眠りの中にいるようなぼんやりとした意識の中に届いた言葉が、混乱を呼んだ。
「守る」?
誰が、誰を、守るのだ?
よく似た言葉を前に聞いた事がある。
「俺がおまえの事は守ってやるから、ずっと一緒にいてやるからさ。」
そう言ったのは誰だった?
「だから誰かに苛められたら真っ先に俺に会いに来いよ。」
誰に向かって言った言葉だった?
そして自分は、今ここにいる自分は、一体何物だ?

「誰にも、おまえを傷つけさせたりしない。おまえを守れるのは俺だ。」
次いで聞こえた言葉に頭を振る。
なんだ、それは。
そんなもの、要らない。
守ってなんか欲しくない。
守りたかったのは自分だ。自分の方だ。
彼を守れなかった自分を、誰がどうやって守るって?
そんなものは要らない。庇護など必要ない。
傷つく事など恐れていない。傷が癒える事など望まない。

守ってやれなかった、大事なひと。
守るどころか、彼がどのような目にあって、どのような思いで自分を訪ねてきてくれたのか、気付き
もしなかった。
あの時俺は嬉しかった。幸せだった。
佐為が俺に会いに来てくれて、俺を頼ってくれて。そして優しくしてくれて。初めて俺を抱きしめて
くれて、俺を愛してくれて。
俺は幸せだった。
同じ時に佐為が、どんな思いをしていたかも知らずに。


(23)
辛そうな目をしていた。
どうしてそんな顔をするのだろうと思っていた。
内裏で何か嫌な事があったのか。貴族どもの妬み嫉みから嫌がらせでも受けたのか。
そんな風に軽く考えていた。
「苛められたら俺の所に来いよ。慰めてやるから。泣きたかったら頭撫でてやるから。」
そんな事を言った。
でもそんな簡単な事じゃなかったんだ。
俺は何も知らなかった。
政治というものがどんなものなのか。
雅できらびやかに見えた宮中にどんな闇が渦巻いていたのか。
妬みと欲が、羨望と憎悪が入り混じった時、ひとはどれ程まで醜く汚くなれるものなのか。


どうして、どうしてだ、佐為。
なぜ一言、言ってくれなかった。
なぜ、俺には何も言わずに、俺を置いてひとり逝ってしまったんだ。
そんなに俺は頼りにならなかったのか。
俺は何も知らなくて、俺は馬鹿で無力な子供だった。何の力も持ってなかった。
だから佐為は何も言わなかった。何も言わずにひとりでいってしまった。

知っていたらどうしたろう。
わかっていたら引き止められただろうか。
あの時俺がちゃんとわかっていたら。
そうしたら何かできただろうか。何か言えただろうか。
どうしてももう都にはいられないと言うのなら、それなら二人でどこかに行こう。
そんな風に言えただろうか。


(24)
一緒に逃げよう。
都なんて、貴族なんて、どうでもいいじゃないか。
おまえには碁があればいいし、俺にはおまえがいればいい。
おまえは碁を打つ以外は何にもできない奴だけど、俺が魚をとったり、畑を耕したりするから、それ
で何とかなるだろう。俺の碁の腕じゃおまえには物足りないかもしれないけど。
そうだ。あいつがいいって言えば、賀茂も一緒に連れてこう。そうしたらおまえはアイツと打ってられ
るし、それに賀茂がいたら怖いのものなんてないさ。盗賊やひとを襲う獣は俺の剣でぶった切って
やればいいし、妖怪や鬼が出たら、賀茂が祓ってくれる。

おまえがつまんないズルをしたなんて言う奴なんか、どうでもいいじゃないか。そんな奴は放って
おけばいい。おまえはそんな事する奴じゃないって、俺は知ってるから。だから、おまえを責める奴
らなんて、おまえをわかってない帝なんて、都なんて、こっちから捨ててやれ。
捨ててしまえ。そして一緒に都を出よう。
俺とおまえと二人なら大丈夫だ。
二人じゃ心細かったら賀茂も誘ってみよう。



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