平安幻想異聞録-異聞- 171 - 176


(171)
「あのまだ何も知らぬ幼い肌に男同士のまぐわい事を教え込むのは、さぞや楽しいこと
 であったろうのう。儂もぜひあやかりたいものよ」
「佐為殿もそのような御趣味ともっと早くに聞き及んでおれば、この顕忠、見目のよい
 寵童の一人やふたり、世話をさせていただいものを。いや、もしや、佐為殿は抱くほう
 より抱かれる方がお好みなのかもしれませんな、座間様」
目の前の二人を睥睨するように、佐為はゆっくりとまぶたを上げた。
「ヒカルに……ヒカルに何をしているとおっしゃられた」
その声は、谷の底から聞こえる風鳴りの様に低い。
その瞳の奥に燃え立つ、凍るような青い怒りの炎に気付いて、二人は一瞬
たじろいだが、すぐにそれを恥じたように、口を開いた。
「お怒りになられたか? いや、これは失敬。なるほど貴殿にとっては、自らが
 喰らうつもりで育てた果樹の実を、横から出た儂たちの手に攫われたようなもの。
 これはとんだ不作法であったのう」
「どうやら、果樹の番人は御立腹の御様子。男女の仲の悋気より、男同士の仲の
悋気の方が激しいと聞き及びますが、まことのようでございますなぁ」
薄ら笑いを浮かべながら菅原が座間に迎合した。
二人が、佐為を言葉で嬲って楽しんでいるのはあきらかだった。それが佐為の内の
怒りの炎に、油を注いでいるとは気付いているのかいないのか。
「近衛ヒカルは、警護役として座間殿のおそばに参ったはず。しかし、今のお言葉から
 察っせらるるにどうやらそれ以外の仕事にも従事させられている様子…」
「あの検非違使をどう扱おうと、儂の勝手であろう。検非違使庁からは儂の
 特別警護の手当ても十分に近衛の家に届けられてお……」
座間はその言葉を最後まで紡ぐことはできなかった。
佐為の手が、座間が持っていた扇を奪い取り、それを床に叩きつけたからだ。
高い音を立てて、その親骨が折れた。
「近衛ヒカルの身を、あなた方はそのように奴婢でも扱うように、金銭で取引き
 されたのかっ!?」
菅原が気色ばむ。


(172)
「何をされるか!? 不敬ですぞ!」
「かの妖怪退治の折り、我らに先手を取られた事がそんなに口惜しくていらっ
 しゃるか! 藤原一門が内裏にて権勢をふるうのが、そんなに不愉快で
 あられるか! ならば、その恨みは私や行洋様にぶつければよい事! ただ
 我らがそばにいるというだけの、一介の検非違使でしかないかの者に、その
 憎しみをぶつけるなど、筋ちがいも甚だしい。それとも、座間殿は身分が下の
 者へでなければ、怒りをぶつけるすこともできぬ卑小なお方か!」
「言葉が過ぎますぞ、佐為殿!」
座間の手が、進み出ようとした菅原を押しとどめた。
「儂が、内裏での権力争いで近頃振るわぬ様なのを、あのような検非違使一人、
 手に入れることで溜飲を下げていると、そうおっしゃられるか、佐為殿は」
口元に浮かぶ嘲笑うような笑みは消えていなかったが、その座間の声色に
ふくまれた凄みに、近くにいた菅原でさえ、ひいた。
「それこそ、勘違いも甚だしい。確かに、行洋殿に先手先手と取らるるは
 口惜しいが、儂はその恨み辛みを、小者ひとりにぶつけて満足するほど
 堕ちてはおらぬ。儂があの検非違使を、貴公から奪ったのは、純粋に肉の
 楽しみの為よ。安心されよ。あの野の鳥も手なずけられて、今では夜毎に
 儂の寵愛を欲しい欲しいとなきよるわ」
佐為の唇に、彼にしてはめずらしい、嘲笑うかのような笑みが浮かんだ。


(173)
「そのような、言葉。私が信じるとでも」
「あれは、儂のものじゃ」
「近衛ヒカルの身は近衛ヒカル自身のもの以外にはなりえません」
「ふん。たかだか市井の碁打ちでしかない者が、藤原の名を冠しているという
 だけで、帝の御前に上がり、あまつさえ、この儂にそのように偉そうな
 口をきくとはな。まあ、よい。そんなにもあの検非違使の身を物憂いていると
 いうのなら、あの者を手放してもかまわん。が、なにぶん、毎夜の褥が寂しく
 なるのでのう。そうじゃな、かわりに、そなたが閨に侍るというのなら考えて
 やってもよいわい。そなたほどの美貌の者が相手なら、あの検非違使に負けず
 劣らず、楽しい夜が過ごせそうじゃ」
挑発する座間の物言いに、佐為は一歩も引くことなく答えて見せた。
「よいでしょう。この身のひとつ、自由にして気が済むというのなら、今夜にでも
 貴殿の元にまいりましょう。だが、そのかわり、ヒカルの身の上はすぐにでも
 近衛の家にお帰し下さると、お約束くれましょうな」
言葉の内容とは裏腹に、それを真に受けて閨に引き込もうものなら、そのまま
のど笛を噛み千切られるのではないかという佐為の眼光の凄烈さに、さしも
の座間も言葉を失った――その時だった。
「帝のおわすこの清涼殿の入り口で、いったい何の騒ぎであるか?」
現れたのは、今、内裏で帝についで絶大な発言力を誇ると言われる人。藤原行洋であった。


(174)
行洋はその場にいる三人の間に流れる緊迫した空気を見て取ると、
まずは佐為に声を掛けた。
「争い合う声が聞こえたように思ったが、何事か?」
佐為は、座間と菅原をじっと睨みつけたまま動かない。
「座間殿、菅原殿、この者の身はこの内裏において私が後見人をかって出ている。
 この者が何か失礼なことを申したか? ならば、私がかわりに謝罪いたそう」
「そのようなことは無用。私は佐為殿に直接お謝りいただきたいですな」
「佐為。座間殿はこう言っておられるが…」
「…………」
自分の言葉にも和らがない佐為の態度に、行洋の方があきらめた。
「いったい、何があったのかは存じぬが、この者がこのように、声を荒げて怒る
 など、めったにないこと。口論の理由を御説明願えますかな、座間殿、菅原殿」
「この者が、差し出がましくも、座間様の新しい用人の扱いにけちをつけたのです、
 藤原殿!」
菅原が、手にした扇で、佐為を顔を指し示した。
「帝の囲碁指南役を任されたからと言って、座間様の私事にまで口を出すなど、
 この者の思い上がりにも困ったものですな! 藤原殿、貴殿の責任でも
 ありますぞ、これは!」
「ほう…、用人とな。それはもしかして、近頃噂になっている、あの近衛という
 警護役の事ですかな」
僅かに眉をあげて、佐為が行洋の方を見た。
「重陽の節会であの者が披露した舞は、つたないながらなかなか楽しめるもので
 あった。しかし、座間殿、私はあの者の着任に関して、近頃、妙な話を
 聞きましてな」
「噂とな?」


(175)
「あの近衛と言う者の人事に際して、ある公卿から衛門府の官人へ、金が流れた
 とか流れないとか」
座間と行洋が睨みあった。
「検非違使はその務めの性質上、立場の中立が原則。それをそのように金を使って
 動かし、思うように自分の警護役をさだめるなど、たとえどのような大貴族でも
 許されぬ行い。今日明日にでもその官人を問いただそうと思っているのですが、
 これに本当に名のある公卿が関わっているとなれば、大変な騒ぎになりますな」
張りつめた雰囲気の中、かすかに聞こえた歯ぎしりの音は、座間のものか。
歯ぎしりの間から、座間の低い声が漏れる。
「行洋殿、貴公も知っておろう。衛門府の小役人など、金や位階の一つで、
 舌を何枚にも使い分けるもの……、貴公の方こそ、官人に金を握らせて、儂に
 不利な証言を引き出そうとするような真似はくれぐれもなさらぬよう、願いたい
 ものですな」
「いえ、しかし、近衛ヒカルの任官に関する不正の噂はわたしも聞き及んでおります」
突然に割り込んだ四人目の男の声に、皆がそちらを向いた。
「伊角殿」
意外な人物の姿に、つぶやくようにその名を口にしたのは藤原行洋。その伊角の姿を
認めた座間の顔が苦々しげに歪んだ。
「わたしのような若輩者が、このような場に口をはさみ、申し訳ありません」
「いや、いっこうにかまわぬが。噂とな…?」
藤原行洋が面白そうに、若者の顔を見た。
「いいえ、まだ公正なる評定の前。件の官人の正式な尋問もこれからとのこと。
 ここで私のようなものが、根拠もない風聞の内容を軽々しく口にする事は
 いたしますまい。が、座間殿…」
伊角が、体ごと座間の方に向き直る。
「確かに、近衛の任官の件はまだ証拠もない噂事…しかし、私自身がこの目で
 確かめた他の事実もございます」


(176)
空気が揺れた。藤原行洋の糾問にも引かなかった座間が動揺しているのが、
近くで見ていた佐為にも感じられた。伊角には昨日、座間の屋敷に使いを頼んだ。
そして伊角もまたおそらく、そこでヒカルがどんな扱いをうけているのか知ったのだと、
佐為は悟った。
「その事実に関わった他の三人の公卿の顔立ち、姿形についても近衛ヒカル本人より
 聞き及び、だいたい誰が、一昨日の晩の「酒興」とやらにお関わりになられたのかも
 想像がついております」
「ほう、興味深い話ですな、伊角殿」
「伊角殿、それを申すなら、貴公もその三人の公卿と同類であろうが!」
「彼らと一緒にしないでいただきたい。座間殿は御存知なかったかもしれないが、
 私と近衛は旧知の仲。昨日今日知りあったのではないのです」
その事実を今初めて知ったのだろう座間が、目をむいた。
「友人が友人に会いに行って、何がおかしいことがありましょうか? 
 心して聞いていただきたい、座間殿。わたしがこの場で全てをあきらかにしないのは、
 座間殿の立場を思いやってのことではありません。この事が明るみに出た場合、
 検非違使としての近衛の評判に傷がつくのがあまりにも哀れだからです。そして、
 なにより! 国のまつりごとを司る人間がこのような人道にもとる行いをしている
 事が、同じ内裏に務める人間として恥ずかしいからですぞ!」
佐為が殺気だった。



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