日記 175 - 177
(175)
「自分でもわからない………前はそんな気持ちじゃなかった………」
和谷は伊角と視線を合わせないまま、話し始めた。
確かに以前はそんな気持ち微塵もなかった。いや、もしかしたら、気が付いていなかっただけかも
しれない。何れにしろ、あの時、あの二人――ヒカルとアキラがキスしているところを
見てさえいなければ、彼を欲しいなどとは思わなかっただろう………。
「……………進藤と…………塔矢が………?」
伊角は絶句している。それはそうだろう。自分も最初は信じられなかった。二の句が継げずに
いる伊角を和谷はちらりと盗み見た。
青い顔をして狼狽えているだろうと予想していた伊角の表情は、顔の青さだけはそのままに
意外にも、鋭く強い瞳で和谷を見つめていた。
「………それから…?」
伊角は促した。
和谷は伊角の強い視線に居心地の悪さを感じながら、先を続けた。
「………それ以来、なんだかいつも進藤のことが頭から離れなくて………」
「『好きだ』って言ったら、進藤は悪ふざけはやめろって………」
自分は真剣だったのに………ヒカルは冗談の一言で片づけた。軽蔑するように自分を睨み付ける
あの瞳。アキラにはとろけるような笑顔を見せながら、和谷にはその欠片さえも与えては
くれなかった。
「気が付いたら、オレは進藤を………」
乱暴に押し倒して、殴っていた………そう伊角に言った。
ウソつきめ!――――和谷は自分自身を罵った。気が付いたらなんかじゃない!
自分は最初からヒカルを抱くつもりだった。和谷の言うことを信じて素直に付いてきたヒカル。
部屋に通し玄関に鍵をかけ、逃げ場をなくしてから、ヒカルに告白した。そして――――
黙って和谷の話に耳を傾けていた伊角が口を開いた。
「………お前は本当に進藤のことが好きなんだな?」
「………?伊角さん………?」
「………………塔矢への当て付けで進藤を抱いたんじゃないんだな?」
思いもよらないその言葉に和谷は言葉を失った。
(176)
「ち………違う………」
「本当だな?」
念を押す伊角の言葉に、和谷は動揺した。
違う!違う!当て付けなんかじゃない!!――――――――そう叫びたかったのに、
喉に言葉が張り付いて、出てこない。
「違う!」と悲鳴を上げる心のどこかで、迷いがある。考えれば考えるほど、「違う」と
断言できなくなっていく。本当に………本当に………オレは進藤が好きなんだ………!
それなのに何故、アイツの顔が浮かぶんだ?
きっかけは確かにあの時だ。和谷に見られていても関係ないというように……………
相手にもしてないように、ヒカルにキスをしていたアキラ…。でも………!違う!本当に
違うんだ!それなのにどうして、そう言えないんだ?
返事をしない和谷を伊角は静かに見つめていた。
「………どっちにしろお前が進藤にしたことは最低だ………好きだろうとなんだろうと
許されない……最低の行為だ……」
「………伊角さん……」
「………塔矢はきっとお前を許さないだろう………でも……」
「………」
「………オレは後悔して………傷ついているお前が少し可哀想だと思う……ほんの少しだけ
だけどな………」
「………!伊角さん……オレ……」
「だけど……進藤はもっと可哀想だ………」
伊角はそれだけ言うと、静かに部屋を出ていった。後には静寂が残った。
(177)
和谷は小さく溜息を吐いた。伊角に告白したことで心の中が少し軽くなったような気がした。
だが、それと同時に自分の中の醜いものを改めて思い知らされた。どうして、はっきり違うと
言えなかったのか………答えはわかっている。僅かでも、そんな気持ちがあったからだ。
「進藤……ゴメン……」
絶望して人形のようにされるがままになっていたヒカル………放心したヒカルがフラフラと
出て行くのを和谷は止めることが出来なかった。
あの時自分は何を言ったっけ………?「ゴメン」と言ったのか?それとも「行くな」と
言ったのか?何にしろそれは意味のない言葉だった。自分にとってもヒカルにとっても………。
昨日、久方ぶりに会ったヒカルは、和谷が恋い焦がれたヒカルとは別人だった。生気のない
蒼ざめた頬。大きさばかりが目立つ怯えた瞳。和谷が好きだった夏の陽射しのような眩しい
笑顔はどこにもなかった。そして、ヒカルをそんな風にしたのは自分なのだ。それを思うと
胸が裂かれそうだった。
「進藤………進藤………好きだ………本当に好きなんだよ……」
その気持ちだけはウソではなかった。
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