平安幻想異聞録-異聞- 177 - 178
(177)
「その「酒興」とやらの話、まことですか?! 伊角殿」
「伊角殿、そう興奮召さるな。これこのように、菅原殿も座間殿も、貴公の
勢いにのまれて腰が引けておる。いや、座間殿。伊角殿のかわりに私がお詫び
申そう。このような場所に不似合いな大声をあげるとは、評判の伊角殿も
まだまだお若い…」
若い公達をいさめるように穏やかに語る藤原行洋もまた、次には相手を追い落とす、
容赦のない政治家の顔になる。
「しかし、おかげでなかなか趣き深い話が聞けた。どうやら、例の衛門府の役人
買収の件、もっと深く慎重に調べる必要がありそうですな、座間殿」
笑みを絶やすことのなかった座間の口角が、初めてひきつった。
「座間殿、今の伊角殿の話はまことであられるか?」
「行くぞ、顕忠!」
さしものこの大貴族も、内裏でひとかどの名を馳せる三人の貴族に取り囲まれ、
責められては分が悪かった。
佐為の殺意さえ帯びた糾弾の声を無視して、座間と菅原は、清涼殿から足早に
退出した。
その背中を佐為の呪いの言葉が打つ。
「ご覚悟召されよ、座間殿、菅原殿! その所業にふさわしい鳴神のいかづちが、
近く必ずその頭上に落ちましょうぞ!」
(178)
宜陽殿のいつもの書庫で軽い仮眠をとった後、ヒカルは座間達の近従の控える
部屋へ戻るために廊下へ出た。今日はいつもに比べて体が軽い。
それはきっと、昨日の相手が伊角だったからだろう。
伊角はまるで壊れ物でも扱うように、丁寧に自分を抱きしめてくれた。
見知った顔だということで、ヒカルの体の緊張もいつも程でなく、素直に
身を任せられた。
それでも伊角には悪いことをしたと思う。彼にそういう趣味があるなんて
露程も聞いた事がなかったし、もしかしたら、ちゃんとした恋人だっていたのでは
ないだろうか。
(それに俺、次に伊角さんに会ったとき、どんな顔して話せばいいんだよ)
あんな、遊女みたいに褥に誘って、自分から進んで彼の広い背中に手を回した。
最中には足を開いて、快感を逃がすまいと彼の腰を膝ではさんで締めつける
事までした。
思い出しただけで、顔が赤くなるのがわかる。
嫌ってはいないと言ってくれたけど、少なくとも軽蔑はされたんじゃ
ないだろうか。
ヒカルは、じっと自分の右手を見た。
自分の手は、武官として太刀を持つための手だ。なのに、この十日ばかりは
剣を持つどころか、自分や他人の精液にまみれていることの方が多い気がする。
そう考えただけで、事の後で部屋に充満する淫液の独特の生臭い匂いが
思い出されて気が滅入った。
正直言って、夜を迎えるのが怖い。最初こそ、そんな風に思うこと自体を
恥ずかしく思っていたが、今はそんな小さな矜恃も凌駕するほど、その
恐れは心に広がっていた。
今夜はいったい、何をされるのだろうと、そればかり考えてしまう。
そして、自分は今夜も、男子としての誇りや尊厳やそんなものも全て心から
はぎ取られて、誰か男の腕の中で泣きむせぶことになるんだろうか。
何より、それを受け入れつつある自分の体が恐ろしい。
「なーに、暗い顔してんだよ」
後ろから、扇でコツンと頭をはたかれた。
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