平安幻想異聞録-異聞- 179 - 180
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振り返ると加賀がいた。
「うん、ちょっと…」
「右手がどうかしたか? おまえ、剣の練習はちゃんとしてんだろうな」
「今、加賀と打ちあったら絶対負ける。筒井さんとでも危ないかも」
「おいおい」
呆れた顔で何か言おうとした加賀だったが、沈んだままのヒカルの顔を見ると
話題を変えた。
「あぁ、おまえが知りたいって言ってた、今日の朝議の話、聞いてきてやったぜ」
「ホント!?」
「空きが出た出羽の国司の任官の話だったんだが、座間派の推した奴が敗れて、
よくわかんないどっかの貧乏貴族がその座を手に入れた。推したのはほら、
なんて言ったっけ、お前の知り合いの貴族の…伊角か、そいつだってさ」
「やっぱりねー」
だいたい予想はついていた。昨晩の伊角の言動からだけではない。朝議の後の
座間の機嫌がえらく悪かったことからも想像がついた。実を言うと、いつもなら
とっくに座間邸に帰っているこの時間、まだヒカルがこの場所にいるのもそのためだ。
朝議の後、一度は帰りかけた座間だったのだが、議事が思い通りに運ばなかった
憂さを、後宮務めの女官達にちょっかいを出すことではらそうと、清涼殿のむこうの
弘徽殿に行ってしまったのだ。おかげで、いつもより余計に仮眠がとれたけれど。
「出羽の国には蝦夷がいる。座間の息のかかったやつが、他の国とおなじように
厳しい税をとりたてて私服を肥やそうなんてすれば、反乱は必至だ。まぁ、
正解の人事だろうな。……なんだよ、嬉しそうだな」
「へへっ、ちょっとね」
「しょうがねぇ、ついでにもう少しお前を嬉しがらせてやるよ」
「へ?」
「さっき、そこで会ってさ、お前に会いたいから、まだお前がここにいるようなら
引き止めておいてくれって頼まれたんだ。お、来た来た」
ヒカルは、加賀が視線を運ぶ先を見た。
渡り廊下の向こうから、ヒカルめがけて、華麗な十二単衣の裾を乱して走ってくるのは、
幼なじみのあかりだった。
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あんな、重くて邪魔な十二単衣で走れるなんて、さすがオレの幼なじみだ
なんて、変な感心をする。秋らしい女郎花襲ねの着物が、足に跳ねられて
色が散る様が綺麗だな、と眺めていると、あかりはあれよあれよいういう間に
近づいてきて、そのままヒカルの胸にまっすぐに突っ込んだ。
「うわ〜〜っっ!たったったっ!」
踏ん張りきれなくて、そのまま高欄を乗り越えて中庭に突き落とされそうに
なる。
そのヒカルの腕をすんでのところで加賀がつかんで戻して、笑う。
「まぁ、俺はお邪魔虫っぽいから退散するぜ」
「ええ! 何だよそれ!」
「じゃあな」
「おい!」
渡り廊下をずんずんと歩き去る加賀を引き止めようと延ばした手を、あかりが
袖をつかんで止めた。
「いいの! 私が頼んだんだから!」
「だいたい、お前こんなとこで何してんだよ!」
「何してんのは、ヒカルでしょう!? あんな…あんな遊女や白拍子みたいな
真似させられて! なんで怒んないの! なんで言いなりになってんのよ!」
重陽の節会の折り、自分が座間に言われて披露した舞いの事をいっているのだと
わかった。
ヒカルは体の力を抜いて、あらためて自分の胸にすがりつくあかりの顔を見た。
物心ついた頃からずっと見てきた顔なのに、今初めて会ったような錯覚を覚えた。
いつの間にか鼻筋が通って、目元からも幼さが消えて、女らしくなっていた。
いい匂いがする。佐為や、他の公達たちが香らせているような、作られた香の
匂いじゃない。女の子だけが持っている、独特の切なくなるような甘い薫りだ。
そのあかりが今、自分の胸に体を押し付けるようにして、すぐ近くから自分を
見上げていた。顔を真っ赤にして、心配に目を潤ませて。
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