うたかた 18 - 19


(18)
 ヒカルにとって、佐為は母のような存在だった。
 友達とは少し違う、兄でもない、父親と言うにも語弊がある。

 全てを包み込み、温かく見守ってくれる、母のような。

(────勝手に女役にしちゃ…お前怒るかな…。なぁ、佐為…)


 浮き沈みする意識の中で、ヒカルは佐為の笑顔を思い出す。その柔らかなまなざしや、顎を引いたときにはらりと落ちる美しい黒髪を。
「っあ…!!」
 加賀が内股を強く吸った衝撃で、一瞬にして佐為の姿はかき消されてしまった。瞼の裏は、壊れたテレビのような砂嵐だ。
 意識が朦朧としてきたのは熱のせいだろうか、それとも────。

 ヒカルの唇が、「サイ」と形作ったのを見て、加賀はあからさまに眉を顰めた。
「……オレに抱かれてるときに、他の男の名前なんて呼ぶな。」
 嫉妬をぶつけるように、加賀の舌が張りつめたヒカル自身にまとわりつく。こぼれる雫を一滴も逃すまいと舐め上げる。
 その快感と羞恥にヒカルはたまらず身を捩ったが、加賀はそれを許さず、ますますヒカルの身体を押さえつけた。
「ああっ…!やっ‥ん、だめ……っ!!」
 立てた膝ががくがく震える。
「ぅああっ…ん‥────ッ!!」
 白い喉を仰け反らせて、ヒカルは加賀の口の中で果てた。加賀がゆっくりとそれを嚥下する音が聞こえる。
 あまりの恥ずかしさに両手で顔を覆っていると、加賀がヒカルの腕を掴んだ。
「……お前、すげー早いのな…。」
 からかうというよりも、可愛くて仕方ない、というような口調だった。

 ヒカルが「早い」のは、しょうがなかった。
 中学時代の大半を佐為と過ごしたヒカルは、自慰の習慣がほとんど付いていない。そういう目的を持ってその部分に触れたことは数えるほどしか無かった。
 それに、自分でするのと他人にしてもらうのでは全く違う。

 加賀の視線を避けるように布団に潜り込むと足を掴まれ、ふくらはぎに軽く噛みつかれた。
「まだだ…進藤」
 加賀の口の中で、ヒカルの精液と汗の味が混じる。それらが化学反応を起こして、加賀の野生を呼び覚ませていた。

「まだ、これからだ────。」

 まるで獣が獲物の味見をするように、ヒカルの身体を味わう。
 ほんとうに食べてしまいたいとさえ思った。


 泣き疲れたヒカルの目は、仔ウサギのように真っ赤だった。


(19)
 ヒカルのその瞳を見て、加賀は子供のころ父親に連れられて行った縁日を思い出した。
 あれは、そう。加賀が囲碁教室に通い始めて間もないころのことだ。夏休みを利用して家族で父親の田舎に帰省していた。
 実家の近くでちょうど縁日があっていて、父親は加賀の手を引いて神社に続くあぜ道を歩いた。
 加賀は別に行きたくもなかったが、珍しく上機嫌な父親の誘いを断るわけにもいかず、黙ってついていった。

 あたたかな提灯のひかりと、かろやかな祭ばやし。
 これがエンニチか。
 辺りをきょろきょろ見回していると、屋台の列の端───狛犬の蔭───で、ダンボールに何か入れて売っているのが見えた。

 ウサギだ。
 でも何かおかしい。

「…お父さん、」
 視線をダンボールの中に固定したまま、加賀は父親の袖を引っ張った。
「どうした?何か欲しいものでもあったか?}
「あのウサギ、どうしてあんな色してるんだ?」
 狭いダンボールの中でもぞもぞと動く小さなウサギたちは、みんなピンクや黄色や水色の毛並みをしていた。
「ああ…。元は普通の白いウサギなんだがな。客の興味を引くためにああやって染めてるんだ。なんだ、鉄男はあれが欲しいのか?」

 ────別に欲しいわけではなかった。
 それなのに、こくりと頷いてしまったのは何故だろう。
「お前、カブトムシしか飼ったことないじゃないか。大丈夫なのか?」
 ウサギを一羽ずつ品定めするように眺めながら、父親は言った。
「大丈夫だよ。」
 本当は、ウサギが何を食べるのかすら知らない。
「なんだかどれも元気が無いなぁ。どれにするんだ。」
「その黄色いやつ。」
 加賀は、ダンボールの隅でじっとしている、他より一回りほど小さなウサギを指さした。
「これか?こっちのよく跳ねるやつの方がいいんじゃないか?」
「こいつがいいんだ。」
 きっぱりと言い放つ加賀をちらりと見て、じゃあこれを、と父親が金を払った。

 どうして一番弱々しいそのウサギを選んだのか、今でもわからない。
 不自然な真っ黄色の毛をした、赤い瞳のウサギ。

 加賀の手のひらで、小さく震えていた。

 少し湿っていて、あたたかかった。



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