裏階段 ヒカル編 181 - 185


(181)
「…緒方せんせ…、痛いよ…」
目を固く閉じ、眉を顰め、辛そうな表情で進藤が呻いた。
幾分意地になって激しくし過ぎてしまったかもしれない。
「あ…あ、悪かった…」
体を離してやると進藤はホッとしたような表情を見せた。
「終わり?…いいの?」
「ああ。オレは済んだ」
いつものように、進藤の腰を抱き寄せて彼のものを口に含もうとした。
するりと進藤はオレの腕から逃れた。
「いいよ…オレ、喉乾いちゃった」
ため息をついて仰向けに寝転がり、ベッドサイドのどこかに置いたはずの煙草の箱を
探すオレの体の上を進藤は這って横切り、冷蔵庫の中を覗き込んでいる。
異性間であれば気まずくなりかねない状況だが、進藤にはそういう部分を気にする
感覚も知識もない。
床に片足をついてポカリスエットを取り出すとプルトップを跳ね上げ、ベッドの上に
胡座をかくようにして座り、缶を呷る。
その体を、もう一度背後から抱き締める。
「…緒方先生…」
そんなオレに、進藤が何か言葉を言いかける。
「…なんだ?」
「…オレ、…もう、緒方先生の部屋には………」
言おうとして、言いにくい言葉を喉の奥に詰まらせたように進藤は苦しげに唇を歪める。
その顎を捕らえてこちらに向かせ、唇を重ね合わす。
このまま、彼の温かい舌を噛み取って飲み下してしまおうかと思った。


(182)
「…っ!」
無理な姿勢に進藤が手にしていた缶が傾き、冷たい液体が2人の膝に溢れた。
「冷た…っ!、ゴメン!」
反射的に進藤が体を離して手近にあったタオルで拭き取る。自分より先にオレの方を
何度も擦る。
そんな進藤に、彼が言葉を濁したものを、こちらから尋ねてやった。
「…アキラは、優しくしてくれるのか?」
少し驚いたような顔になり、そして進藤は小さく頷いた。
「…あいつ、碁を打つ時とか、普段はスゲエ怖いけど、…sexの時は優しいよ」
「そうか…」
「オレってヘタみたいで、やっぱり塔矢とも上手くいかない事多いけど、あいつも
絶対怒らないし…、オレが嫌がる時はあいつも無理強いしないし」
まるでアキラを必死に養護しているような進藤のものの言い方が面白かった。
そして少し妬けた。進藤の頬を指で軽く摘んでやる。
「…だったら、いいんだ」
もしもアキラがオレから暴力的なものを学んでしまっていて、彼がそれをそのまま進藤に
与えていたら、という心配があったが、進藤からその話を聞いて安心した。
アキラはやはり、オレが思っているより遥かに強いのだ。
そんなアキラと、一度囲碁から離れ、そして戻って来た進藤が、新たにゆっくりと一つの
強い絆を作り始めたという気配は感じていた。
アキラの強さが進藤に影響を与えた。それは認めざるを得なかった。


(183)
「進藤が戻って来ました」
初めて進藤との関係を持った直ぐ後に、棋院ですれ違ったアキラから
その報告を受けた。
理屈抜きでオレもホッとした。
「大手合いに出て来ました。彼と、打ちました。久しぶりに…」
「…そうか」
その時はその件でアキラと交わした言葉はそれだけだった。
進藤が囲碁の世界に戻って来た事をアキラも素直に喜んでいることは表情から
見て取れた。


「…進藤と寝ました」
進藤が戻って来たと言う報告の僅か数日後のその続報には思わず
銜えかけた煙草を取り落としそうになった。
場所が棋院内の喫茶店というその手の話題に向かない場所だったこともあった。
いや、それよりも、どこの世界にも恋人――そう考えてもよさげな相手の前で
別の男と寝たなどと告げるものはいないだろう。


(184)
周囲を見回し、それでも思わず向いの席に座っているアキラに聞き返してしまった。
「どちらが抱いたんだ…?」
「どちらだと思います?」
真顔でアキラがオレに聞き返す。
互いに何かを探りあうように静かに睨み合う。
「…ボクですよ。でも誘ったのは彼の方でした。」
その時、ウェイターがトレイにコーヒーを二つ乗せて傍らに近付いて来た。
さすがにアキラはその先の言葉を綴ろうとした唇を一旦閉じた。

ウエイターは客の会話に関心を持つそぶりを微塵も見せず、丁寧に音を立てず
テーブルにコーヒーを置いて軽くおじぎをし、引き返していった。
その気配が遠ざかった頃にアキラが話を続けた。
「碁会所で彼と打った後、彼がなかなか家に帰りたがらない時があって…、
理由を聞いたらその日は進藤の御両親が留守らしくて、“家に独りで居たくない”と…」
淡々と、棋譜の手順を並べていくように話す。
「2人で進藤の部屋で検討の続きをしていたんです。そしたら彼が急に黙り込んで、
しばらくして“塔矢はキスした事あるか”って聞いて来て。“あるよ”とボクは答えました。」
「誰と」とまでは言わなかったらしい。アキラの話は続いた。
「進藤は少し考え込んだ様子で、次に“sexはした事あるか”と聞いて来ました。
ちょっと迷ったけど、“あるよ”って答えました。進藤はもう一度何か考え込んでいました」


(185)
なんともちぐはぐな情景が目に浮かんだ。
碁盤を挟んで、腕組みをしている進藤と、正座して淡々と進藤の問いかけに
真正直に答えているアキラと。
「そしたら進藤が、“じゃあ、やり方は知っているんだな”って。それで…」
「それで…って…」
ほとんど呆れるように一息煙草の煙りを吐いた。
それでも彼等の行動を責められる立場ではなかった。
もしかしたらアキラはこの話をする事でオレの気を引こうとしているのかもしれない。
確かに多少の苛立たしさは感じていた。
何かを吹っ切って囲碁界に戻って来ただろうに、進藤の相変わらずのあまりの無防備さに。
進藤の淡い小麦色の肌と、アキラの透き通るような白い雪肌が絡み合う様はさぞかし、
趣のある情景だっただろう。
そう考えると、進藤がアキラに例の男の幻影を求めても不思議ではないと思った。


喉元まで、行為の中での進藤の様子を伺う言葉が出掛かった。
進藤の意識は、最後まで手元にあったのかと。
だがそれはある意味、敗北宣言をするようなものだ。
なけなしのプライドがそれを止めさせた。
「…ただ、進藤に、…そういう経験があるとは……思っていなかった。意外でした。
………人は見掛けによらないものですね」
そう言ってアキラが問いかけるような視線をオレに向ける。
一瞬、ヒヤリとした汗が背中を走った。



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