平安幻想異聞録-異聞- 189 - 194


(189)
座間がヒカルの中心に手をのばして、探った。しかしそこは、この状況に怯えて
萎えて萎縮したままだ。
数回そこをしごきたてた座間だったが、すぐに諦めて、より貪欲にヒカルを
貪るために、つながった部分に体重をかけてくる。
苦しさのあまり、その体をどかそうとでもするように座間の腕を掴んだヒカルの
手に力が入り、爪が立てられ血が滲んだが、座間は気にもしない。
耐えることしかヒカルの選択肢には残されていなかった。
今更ながら唇を噛みしめて声を殺そうとする。
御簾で簡単に閉ざされた部屋に響くのは、荒々しく打ち付けられる尻の音と、
手負いの獣にも似た男の呼吸音と、そして、必死で唇を噛んで漏れる声を
抑えようとするヒカルの、鼻にぬけたような小さな悲鳴だけだった。
座間のモノが中で勢い良くはじけた。
この責め苦がやっと終わったことに安心して、ヒカルは大きく深呼吸をした。
ヒカル自身は最後まで萎えたままで、苦痛の余韻ばかりが体を支配した。
座間が、陽物をヒカルのそこから抜き取りながらたちあがり、汚れを
菅原から渡された懐紙でぬぐいとるさまを、ヒカルは早い息を調えながら
白刃越しに眺めた。
喉に熱い部分があって、自分が責められるうちに刃にふれて皮膚が切れたのが
わかった。
菅原の手が伸びてきて、ヒカルの喉元に突き立てられた太刀が抜かれ、近くの床に
乱暴に放り投げられる。
「帰るぞ、身支度をととのえい!」
何事もなかったように装束を正した座間が命じた。
ヒカルはのろのろと痛む体を起こすと、麻痺したように感覚のない指先で、
単衣の前を合わせ、狩衣を着直す。痛む下肢を引き寄せるようにして足を畳み、
乱れた指貫を直し、腰帯をしっかりと締め直す。


(190)
立ち上がる前に少し離れた場所に投げ出された太刀に手を伸ばす。さっきまで
自分の身動きを封じる楔になっていたそれを、ヒカルはたどたどしい程の動作で
鞘に戻した。元気な時のヒカルだったら、それを手にして後先も考えず、
自分に背を向けている座間に切りかかるぐらいの事はしたかもしれない。だが、
今のヒカルには、そんなことを思いつく気力さえなかった。
軋む体を柱で支えて立ち上がったヒカルの足を、座間の放った泥液が、腿伝いに
落ちていく感触がしたが、それをふき取る暇すら与えられなかった。



座間と菅原が清涼殿を去った後、その入り口には佐為と藤原行洋だけが
残されていた。
伊角は、帝との謁見があるとかで、すぐにその場を立ち去ってしまったのだ。
「さて……」
行洋が話を切りだした。
「先ほどの伊角殿の話、どう思う?」
「何のお話でしょう?」
「お前の様子を見て、どうやら何か座間殿について、私の知らぬ話を知っている
 ように思ったのでな」
「さあ、伊角殿は何か知っているようですが、私もかのお人については噂以上の
 ものは聞いておりませんので」
「それにしては、お前らしくない大変な憤りようではないか」
お前などと馴れ馴れしく呼ばれた佐為の方が、苛立ったように行洋を見た。
「どうやら、お前と座間殿と、あの近衛といかいう検非違使の間で何かあった
 ようだが、私にできる事があったらと、思ったのだが」
佐為が苦々しい思いで下を見た。ともすれば噴き出しそうになる気持ちを
抑えるためにだ。
今、行洋の顔を見れば、先ほど垣間見せた政治家としての顔の方が先に立ち、
一度は心の奥底に埋めた憎しみの感情が戻って来てしまいそうなのだ。
「結構です。助けなどいりません」


(191)
「そう、つんけんするな。父として何かしてやりたいと思うたまでだ」
「貴族の愛情とは、随分都合の良い物のようですね。特にあなた様のような
 大貴族ともなれば。貴族の愛情は甘い蜂の蜜のような物です。見返りに
 毒を持った針に刺されて命を落とす覚悟もしなくてはなりません。私の
 母のように」
行洋が佐為を見た。佐為も行洋を見返した。
「まだ、私を信用していないのか?」
「いいえ、母を愛していたという貴方の言葉を、今の私は信じていますとも。
 私を心に掛けて下さっているということもです。私の母もずっと貴方を愛して
 いました。しかし、それゆえに命を落としました。私が信用していないのは
 行洋殿ではありません。内裏に生きる貴族です」
「そなたも貴族だと思ったがな」
「藤原行洋という男は確かに母を愛していましたが、同じ藤原行洋とい名の貴族は
 その愛を踏み台にした上で捨てました」
「…………」
「貴方のことを許していないわけではありません。私の母はそれで満足だったの
 ですから、そういう愛、そういう生き方もあるのでしょう。ですが…」
佐為は、内裏で最大の権力を持つこの貴族を、恐れげもなく睨みつけた。
「母を哀れと思いながらもああも簡単に捨てて見せた貴方のこと、私や…まして
 数いる検非違使のひとりでしかない近衛ヒカルのことなど、苦もなく利用して
 みせるのでしょう」
「佐為…」
「私には母のような生き方はできません。近衛ヒカルと私の間のことについては、
 口出し無用。此度の近衛ヒカルの任官の件の不正について、そちらでお調べに
 なるのは勝手ですが、かの検非違使の身の上を貴方の政治謀略に利用したり、
 万一にでも彼の身が傷付くようなことがあれば、私は今度こそ貴方を許しません!」
その押さえた口調のなかにも秘められた激しい怒りに、行洋は、むしろ感心した
ように佐為の言葉を聞いた。
「もしそのような事態になったときは、私が知る貴方の過去の行状、そして
 私の母と貴方の関係も、公卿の方々や帝の御前にてすべて白日の下に告白し、
 囲碁指南役も辞去したうえで、ヒカルと供にこの都を出ますっ!」
佐為は行洋の横をすりぬけ、清涼殿を出た。ただの一度も振り返らなかった。


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常なら、帝への囲碁指南の務めのあとは紫宸殿へと出てから、宜陽殿、
春興殿と渡って内裏を出る佐為だったが、この日は反対側、校書殿、安福殿を
渡って内裏を出た。それは、座間達が宜陽殿の方向に去っていくのを
見たからだ。今は彼らと顔を合わせたくはなかった。
途中ではそれぞれの殿に務める女房達が、この珍しい人影に驚きの声を
あげ是非とも言葉を交わそうと、あわよくば囲碁指南のお約束も…と、
渡殿へと出てきたが、佐為の発する深い怒りの波動の色に気付くと、
皆言葉を失い、すぐに波が引くように道を開けた。
内裏から大内裏へと出る。
わき目も振らずに自宅に帰り、内側から閂をかけて、誰も入れないようにする。
日が傾きかけた秋の空は、澄み渡って心地よく遠くまでその蒼穹を広げて
いたが、佐為の目には入らなかった。
自室に引きこもり、心を落ち着けるために碁盤を前に碁石を手にしたが、
目の前にちらつくのは座間に無惨に嬲られるヒカルの想見ばかりで、
冷たい碁石の肌触りさえも、煮えたぎる佐為の腹のうちの温度を下げる
ことはできなかった。
そんな、今なら猛虎さえ素手で取りひしぐのではないかとさえ思われた
その怒りが収まった後、佐為を襲ったのは、深い哀しみだった。
(ヒカルは自分と出会いさえしなけでば、こんな目に遭う事もなかった
 のではないだろうか?)
それを言えばヒカルは「そんなことないよ。おまえと出会えてよかったよ」と
言って笑ってくれるに違いない。


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しかし、自分はずっとそのヒカルの優しさに甘えてきてしまった。
内裏の貴族達の心無い言葉に、心乱れるとき、いつもそうしていたように。
そうやって、自分は出会ってからずっとヒカルに守ってもらっていたのだ。
常に傍らにある彼の存在に、自分が秘すべき感情を抱き始めたのはいつから
だったか――哀しみの淵に沈みながらも、そんな風にヒカルのことに思いを
馳せていると、ふつふつと絶えることない泉のように、愛おしさが
湧き出てくるから不思議だ。
いったい自分のどこにこんな感情が隠れていたのだろうかと思う。
部屋の明かり取りの窓近く、一輪挿しに挿された、菊の花びらが
一枚落ちた。
それは菊の宴のあの日に、ヒカルの冠から盗んできた黄色い小菊の花枝だった。
花は、すでにわずかに俯き始めている。
自分はあの日、この花がしおれるまでに必ず近衛の家に帰れるように
算段すると、ヒカルに約束したのではなかったか。
佐為は立ち上がると、部屋の片隅の棚の中をを探し、久方ぶりに笛をとった。
激しい怒りと哀しみと愛おしさに、散々と乱れる心を落ち着けるために。
日が暮れれば、自分はまた賀茂アキラとともに、蠱毒の壺を探しに出かける。
それまでに、平静を取り戻しておきたかった。
庭に出ると黄昏時の風に尾花が穂をゆらしていた。
佐為は笛に口を付けた。
笛の銘を「青紅葉」という。
秋の紅葉の優雅さはないが、夏の青い紅葉の林を吹き抜ける風にも
似た涼やかな音色に、その笛を作った名工が、その笛に与えた銘であった。


(194)
座間邸に帰り着き、太刀も取り上げられて、自室でぐったりと体を休めていた
ヒカルは、耳を撫でるその風の音に、頭をもたげた。
懐しい音だった。
自分の体の重さも忘れ、ヒカルは庭に飛びだしていた。
侍女があわてて連れ戻そうとヒカルの腕を取ったが、振り払った。
ヒカルはその風の音をよくしっていた。
かの妖怪退治の時にいつも聞いていた旋律だった。
佐為が指示した場所にたどりつき、妖怪の出現を待つ間、じれて落ち着きの
ないヒカルのために佐為がよく奏でてくれた曲だった。
楽曲には疎いヒカルだったが、佐為の笛の音色だけは絶対に間違えない
自信があった。
ヒカルは、笛の音が絶えるまで、じっと庭に立ち尽くしていた。


錦秋の空を渡って、ヒカルに届いたその笛の音が、本当に佐為のものだったのか。
座間邸は二条、佐為の自邸は四条、風の方向さえあえば届くという距離ではない。
だが、その音色は確かにヒカルの耳に残って、頭の中で反響していた。



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