Trick or Treat! 19 - 20
(19)
「あれは――おまえがそのうち彼女でも作って、そっちとキスするようになると
思ってたからさ」
「・・・何ですか。それ」
アキラはますます表情を硬くして、チーズをガシガシと卸し始める。
さぞや自分勝手な言い分に響くだろう。
だが、実際それがあの頃の自分の気持ちだったのだ。
甘い匂いのする小さな唇が自分の唇に触れた日の夜、アキラの母である人が
自分に言った言葉がずっと胸の奥に蟠っていた。
――アキラはやがて好ましい異性を見つけて、その本当に好きだと思う相手と
本物のファーストキスをするのだと。
それは実に尤もだと思った。
それに、乱れた世相の中で大人に肉体を売るようになった少女たちが、
金のために体は許してもキスは許さないといった話も耳にしたことがあった。
他の全てを奪っても、そこは自分などが侵してはならない部分だと
自分に言い聞かせていたのだ。
そこを触れずにおくことによって、まだ自分は理性を残した大人であり、
アキラから全てを奪い去ったわけではないと逃げ道を作りたかったのだ。
――一日も早く、丸ごと奪って全部自分のものにしてやればよかった。
沈黙の中、強張っていたアキラの横顔が少し緩んで哀しそうな顔になる。
パサパサとチーズを鍋の中に放り込み、目尻をほんの少し濡らしながら
おとなしくシチューを掻き混ぜるアキラがいとおしかった。
だがそれと同時に、昔自分自身がしたことはすっかり棚に上げて緒方一人が悪いような
顔をしているアキラに「それはないだろう」と思った。
何やかやの気持ちが混じり合ってむらむら込み上げてくるものがあり、
少し思案してから、緒方はアキラの顔を覗き込んで呪文を唱えた。
「・・・Trick or Treat!」
(20)
「・・・えっ?」
アキラが怪訝そうに振り向く。もう一度繰り返した。
「Trick or Treat!」
「何ですって?」
「お菓子をくれなきゃ、悪戯するぞ」
唐突に妙なことを言い出した緒方にアキラが面食らった顔で答えた。
「・・・お菓子なんて、持っていませんよ」
「だろうな」
緒方は不敵に笑ってアキラの顎を持ち上げ、瞳の中を覗き込んだ。
「なら、おまえを寄越せ」
「・・・ふざけてるんですか?」
「くれないのか?」
「駄目ですよ。お鍋ついてなきゃ、焦がしちゃう」
「そうか。くれないなら・・・」
緒方は焜炉の火を止め、アキラの身体に腕を回すとそのまま抱き上げた。
「おまえに、悪戯する」
「ちょっ・・・緒方さん!?」
アキラがシチューを掻き混ぜていた杓子が手から落ちて床に当たった音がした。
大股で寝室まで運びベッドの上に投げ出すと、アキラが怒りを含んだ声で言った。
「・・・ボクをからかってるんですね?」
「からかってるように見えるか?」
「そうとしか見えません」
「心外だな」
さっさと覆い被さって唇を塞ぐと、そこにはまだ少し澱粉質の甘い味が残っていた。
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