裏階段 アキラ編 19 - 20
(19)
子供が持つ独特の甘い香りがふわりと匂う。
背中に羽根でも生えているようなアキラの軽い体重が膝に掛かる。
何の事はない。アキラに距離感を取られて我慢出来なかったのはこちらの方だったのだ。
子供のように意地を張って眼鏡を外さなかった事を後悔した。
それでもアキラはまだ少し震えているようだったので軽く抱きしめて頭を撫でてやった。
ふとその時、嫌な予感が頭の片隅をよぎった。
―何か学校であったのだろうか。
「また学校の先生に叱られたのかい?」
そう尋ねた時、アキラの全身が強張るのを感じた。アキラは左手をこちらの首に回し、
右手の親指の爪を噛みながら顔を胸に臥せている。
―まさか…
あやすようにそんなアキラの背中をさすり、寝巻きの襟元を開いた。
アキラが少し怯えたように肩を竦める。
「何もしない、見るだけだ。…いいかい?」
アキラは黙ってコクリと頷いた。
何故そう思ったのか、そんな気がしたのか判らない。そういう経験をした者だけが感じる
嗅覚というものかもしれない。
アキラの胸元に近い首筋にその印はあった。殆ど消えかかってはいたが間違いなく
何度も自分の体に焼きつけられた見覚えのある痕跡だった。
寝巻きのボタンを外す指が震えた。腕の中でアキラはただ黙ってじっとしている。
さらに寝巻きを開いていくと胸元に新たな印が一つと腹部に殴られたようなアザがあった。
(20)
「お父さんとお母さんには、言っちゃダメなんだ…。」
ポツリとアキラが小声で呟く。
「先生がそう言ったのか。」
コクリとアキラが頷き、心配そうにオレの顔を見る。
「大丈夫。言わないよ。」
直ぐにボタンをはめて寝巻きの前を閉じると、アキラを抱きかかえて布団の中に寝かせ、
ポンポンと上から軽く叩いてやった。
幼い胸の中に抱えていた秘密を吐き出した事で気が楽になったのか、すぐにアキラは
小さな寝息を立てて眠りについた。
その寝顔を見ながら、オレは怒りで震えが止まらない両手を膝の上で握りしめた。
夜のアパートの駐車場で見つけたその相手は、ひどく貧相で弱々しく見えた。
身長こそ同じ位あったが、神経質そうに痩せこけた頬をして、そして眼鏡をかけていた。
自分の車から降りて部屋に戻ろうとするその男に声をかける事無く近寄って行った。
安っぽい黒鞄を抱えて、その男はぎょっとしたようにこちらを見た。
「な、何か用でしょうか。」
おどおどと、上目遣いに後ずさりしながらこちらを見る。
こんな人間でも教室の中では王者だ。社会的に何の権限もない力もない者が、教師と言う
仮面を与えられた時から自分の担当するクラスの子供たちの支配者となる。
「…貴様に教師の資格などない。」
一瞬、相手が動揺した顔つきになった。
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