平安幻想異聞録-異聞-<外伝> 19 - 22


(19)
「たぶん、自分の死ぬのわかってたんだろうな。だから最後の挨拶に来たんだろう
 と思う。私のね、部屋の床下にもぐって死んでたの」
なるほどと、ヒカルは合点がいった。「死」は血の穢れと同様、内裏では忌み嫌わ
れる。人の死だけでなく、犬などの動物の死も同様。あかりはその穢れを受けたとして
里――実家に下がってきたのだ。
もちろん、こういった場合は下がった里でも、門を締め切り物忌みを示す札を上げ
静かに過ごすのが本来だが、今回は穢れの元が人ではなく犬ということで、その辺の
意識が緩んでいるらしい。このあかりの里帰りは、穢れ払いの物忌みというより、愛娘
の予定外の帰宅休暇という風に藤崎家の人間には捉えられているのだ。確かに、この
頃では、犬猫の死ひとつに陰陽道の教えをひも解いて一喜一憂するような神経質な
人間は、笑い話の中にしか存在しないが。
「どうせ、死ぬんならさ。最後に床下なんかじゃなくて、私のところにちゃんと来て
 くれればいいのにって、そしたら、最期に息をしなくなるまで抱きしめてあげるの
 にって思った」
あかりが、まるで遠くを眺めるように、傍のついたての中に描かれた秋草の野を見る。
今にも風に揺れだしそうなその草の葉の色映える、今日の彼女の着物の色は紅菊襲ね。
一番上の小袿は目にも鮮やかな紅の色。
その紅の肩から、明るめの色をした髪が、一房、幽かな音をさせて肩から落ちるのを
ヒカルは見た。ここに流れる時間は柔らかい。
息を吐きながら、ヒカルがあかりの横顔を眺め、膝を崩そうとした、その時。
「ヒカルもそう思った? 佐為様のこと聞いた時、そう思った?」
突然に話をこちらに放り投げられて、ヒカルは崩しかけた足を強ばらせた。
「せめて、死に目にぐらい会いたかったって思った?」
十二単の袖から覗く細い指先が、膝の上に置かれていたヒカルの指に、そっと触れる。
それで初めてヒカルは、自分の手が震えていることに気付いた。
「ちょっと、寒いみたいだな。おばさんに言って、火鉢、貰ってくる…」
「ごまかさないで」
あかりが、逃げようとしたヒカルの指を両手でつかんだ。まるでヒカルの震えを止め
ようかとするように強い力だった。


(20)
「昨日はごめんね。会えなくて。でも、他の人がいると、今のヒカルは居心地が悪い
 かなって思って。昨日の人達、佐為様の指導碁とか受けたことある人達だったから、
 ヒカルも顔知ってて、嫌かなって思ったの」
「別に、そんなの……」
声が掠れた。
「犬が死んだ後、私が落ちこんでたら、友達が教えてくれたんだ。犬はね、好きな
 人の前では絶対に死にたくないんですって。好きな人が悲しむ顔を見たくないから
 なんだって」
「なんで、そんな話俺にするんだよ」
「だからね、ヒカル。佐為様も、ずっと最期までヒカルのこと考えてくれてたんだと
 思うよ。最期までヒカルのこと好きだったんだと思うよ」
「だからどうして、そこで佐為が出てくるんだよ! 関係ないだろ、あいつは…、
 俺が仕事でずっと警護してやってただけで、なのに、あの馬鹿、ちょっと目を離した
 隙に勝手に……」
胸の奥で波がうねるような感覚がして、喉が詰まり、それ以上の言葉が出なかった。
あかりがヒカルを見た。
「ほんと、勝手だよね。好きな人の悲しむ姿を見たくないなんてさ。独りよがりも
 いいとこ。こっちにすればさ、悲しくてもいいから一緒にいたかったと思うし、
 最期まで辛くてもいいからずっと手をつないでたかったって思うよね」
あかりの両手に包まれたままの手の震えはいつの間にか止まっていて、その代わりに
何本もの針を飲み込んだような酷い痛みと熱さが胸を襲った。耐えかねたヒカルは、
自分でも気付かぬうちに、もう片手で自分の胸元をぎゅっと掴んでいた。
包み込んだ指ごと、その体を自分の方に引き寄せ、あかりはこつりと自分の額をヒカル
の額にあてる。
「知ってたよ、ヒカルが、佐為様を好きなこと。佐為様とそういう風に好きあってるっ
 てこと」
「あかり…」
「ずっと私は知ってたよ…」
ヒカルの胸の奥、その言葉に、何かのつかえが取れた感覚がした。さっきまで、胸を
苛んでいた針の痛みが熱い雫と変わって目からこぼれ出し、今は次々と滴り落ちて
あかりの膝の上に染みを作っている。


(21)
「好きだから、最後ぐらい何か言って欲しかったよね。一緒にいたかったよね」
噛んだ唇に押さえこまれ、行き場を失って体の中を彷徨っていた言葉が、やっと出口を
見つけたように口をついて出た。
「ホントだよ、……あの馬鹿、俺の気もしらないで……」
悲しいのに、出てくるのは憎まれ口だというのは、どいうわけだろう。
あかりが、言葉の続きを即すように、ヒカルの指を強く握りしめた。
自分が彼女に何を言おうとしてるのか、ヒカル自身にもよくわからなかった。
「佐為が、……佐為が死んじゃったんだ……」
「うん」
ただ、胸の奥からせり上がってくる痛みに任せて、言葉を口に登らせる。
「佐為が、俺を置いて……、俺に何にも言わずに死んじゃったんだ……」
「うん」
「俺とずっと一緒にいたいみたいなこと言ってたくせに、全部ウソにして……!」
「うん」
「あの馬鹿……っ!」
今さっき、聞いた言葉が耳に蘇った。
どうせ、死ぬんなら、ちゃんと自分の元に来て欲しかった。そしたら――最期に息を
しなくなるまで抱きしめていてやるのに。
気がつけばヒカルは、あかりの膝の上に身をすがらせるように伏せて、泣いていた。
佐為がいなくなって以来、初めてだったのだ。大声を出して泣くのは。
そんな風に、我を忘れて泣くのは。

泣いている間は、ようやく吐き出せたもので頭が一杯で、声が誰かに聞こえるかも
知れないとか、男のくせに恥ずかしいとか、そんなことは考えられなかった。
自分が将来、どこかの姫君と結ばれて跡継ぎを作ってくれることを夢見る家族には
言えない事だった。友人である以上に、分野は違えどお互いに技の高さを競い合う
仲間と思っていた賀茂アキラには見せたくない醜態だった。ともすれば、そうした
人の関わり合いや死をいいように脚色して、わざとらしく涙にくれたり笑いものに
したりする殿中の人々には、決して知られたくないことだった。
しかし、幼いころ裸でじゃれあったこともあるこの幼なじみの前では、そんなことを
いちいち考えるのが馬鹿馬鹿しいように思えた。


(22)
あかりは、ヒカルの悲しみも悔しさも後悔も、そのまま真っすぐに受け取ってくれる。
昔、河原で遊んで、一緒に笑ったり怒ったりしていた時みたいに。
あかりの手が、自分の髪を猫を撫でるみたいに梳いてくれているのがわかった。
ようやく、涙の止まりかけたヒカルの鼻に、新しい絹の匂いが心地いい。そして、
その奥のふわりとした、女独特の甘酸っぱいような懐しいような体臭。
それに酔ったみたいに、ヒカルは無意識に、顔をあかりの腹に押し付けるようにして
いた。そのあたりは布地の匂いの方が強かったので、目を閉じ、あかり自身の香りを
求めて、強く胸のあたりに顔をうずめる。
そして、気付いたら、あかりを下に組み敷いていた。
自分のしたことに驚いたみたいに動きを止めてしまったヒカルに、あかりが組み伏せら
れたまま笑いかけた。
「ヒカル、目が真っ赤だよ」
ちょうどその時に、喉から泣きじゃっくりまで突いて出て、ヒカルはようやっと少し
恥ずかしくなった。
「俺、カッコ悪いかな?」
「ヒカルが格好良かったことなんてあったかなぁ」
「言ったな」
ヒカルはまだ涙の乾かない赤い目のまま、あかりの首筋に軽く噛みついた。

初めて触れる女の子の肌は、ふわふわと危なっかしいほどに繊細で、今まで自分が
知っているどんな肌よりも皮膚が薄くて、すぐに破けてしまいそうだった。そのくせ、
どんな強く圧しても、より強くこちらに押し戻してくるような弾力があって、変な
感じだ。
昔、じゃれあって遊んでいたころのあかりとは全然違っていた。体のどこもかしこも
まろみを帯びて温かく、ふわふわしている。
中の襞はぬるくヒカル自身を包んで、抜き差しを続ければ次第に熱を持って、しまい
には焼けるように熱くなった。



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