平安幻想異聞録-異聞- 192
(192)
常なら、帝への囲碁指南の務めのあとは紫宸殿へと出てから、宜陽殿、
春興殿と渡って内裏を出る佐為だったが、この日は反対側、校書殿、安福殿を
渡って内裏を出た。それは、座間達が宜陽殿の方向に去っていくのを
見たからだ。今は彼らと顔を合わせたくはなかった。
途中ではそれぞれの殿に務める女房達が、この珍しい人影に驚きの声を
あげ是非とも言葉を交わそうと、あわよくば囲碁指南のお約束も…と、
渡殿へと出てきたが、佐為の発する深い怒りの波動の色に気付くと、
皆言葉を失い、すぐに波が引くように道を開けた。
内裏から大内裏へと出る。
わき目も振らずに自宅に帰り、内側から閂をかけて、誰も入れないようにする。
日が傾きかけた秋の空は、澄み渡って心地よく遠くまでその蒼穹を広げて
いたが、佐為の目には入らなかった。
自室に引きこもり、心を落ち着けるために碁盤を前に碁石を手にしたが、
目の前にちらつくのは座間に無惨に嬲られるヒカルの想見ばかりで、
冷たい碁石の肌触りさえも、煮えたぎる佐為の腹のうちの温度を下げる
ことはできなかった。
そんな、今なら猛虎さえ素手で取りひしぐのではないかとさえ思われた
その怒りが収まった後、佐為を襲ったのは、深い哀しみだった。
(ヒカルは自分と出会いさえしなけでば、こんな目に遭う事もなかった
のではないだろうか?)
それを言えばヒカルは「そんなことないよ。おまえと出会えてよかったよ」と
言って笑ってくれるに違いない。
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