平安幻想異聞録-異聞- 199 - 200
(199)
「それでも、あれは最後の手段にとっておきたい――せめて後3日は
間を開けたいのです」
苛立った佐為は思わず言葉を荒げていた。
「私はそんなには待てません、アキラ殿! アキラ殿はあの座間の屋敷で
ヒカルがどんな目にあっているか知らないから…!」
「知っています」
場がほんの一時だけ静まり返る。夜風が佐為の髪をなぶった。
「――知っていたのですか」
「座間殿の性向性癖を考えれば多少は予測がつきます。そして今日の朝、
伊角殿の話を聞いて確信を得ました」
「ならば、なぜ――! アキラ殿はあの状況から、ヒカルを一刻も早く
救い出したいとは思わないのですか?」」
「佐為殿……、陰陽師が妖しや魔物と同じく氷のように冷たい心を
持っているとお思いですか?」
そう言いながらアキラは、それこそ魔物のような冷たい視線で佐為を睨んだ。
「近衛の事を自分より深く思っている者はいないとでも?」
「アキラ殿……」
「今、事を急いては、すべての努力が無に帰します。近衛の事を思えばこそ、
私は申し上げているのです」
さすがに佐為も黙った。せいいっぱいの事をしてくれているアキラに、ヒカルを
心配するあまりとはいえ、子供のように駄々をこね困らせているのは自分の方だ。
「申し訳ない事を言いました。アキラ殿。そうですね、ここは貴方に
従いましょう」
「いえ、僕のほうこそ、きつい口を聞きました。お許し下さい。それから
貴方の御心労を考えて、伊角殿の話の全てをお耳に入れなかったことも」
何も言わずに佐為は首を振った。
「とにかく今は、まず、桜の宮への道のまわりにそれらしい場所がないか、
探しにいきましょう。夜明けまでは間がある。今晩のうちに少しでも
調べられるのならそうした方がいい。――僕も近衛の身が心配な事には
変わりありません」
(200)
アキラが黒い布をかぶりなおし歩き出した。その背を見ながら、佐為は
何かを思い出しかけていた。今まで他のことに気が行っていて、心に
止まらなかった言葉だ。
「……竹林です。アキラ殿」
その言葉にアキラが肩越しに佐為を見た。
佐為は今日の、そして以前にヒカルを伴って座間達に遭った時の事を思い出して
いた。あの時も今日も、座間達は確かに言っていたのだ。『あの下弦の月の夜』
『竹林で』と。
「ヒカルが襲われたのは竹林です。間違いありません」
京と西の宮の間は四里。その道中にはいくつの竹林があるかしれない。十か、
二十か。
それでも、何の手がかりもなく闇雲に荒れ野を探し回るよりは遥かに
ましだった。
その女は白檀の香りをさせていた。
乳色をした肌は、磨かれた珊瑚のようなつややかさだ。
微笑めば牡丹の花が咲いたようにあでやかだった。
手招きで呼ばれて、ヒカルはフラフラとその女のそばに寄っていた。
女はその唐衣でヒカルを包むように抱きしめた。
ヒカルは女の顔を見上げた。その顔は美しかったが、その瞳の黒目は、ヤギの
ように横長につぶれて広がっていた。
これは人ではない。
とたんに正気が返り、ヒカルの全身の肌が泡立った。
女の口が開いた。真っ赤な口腔から蛇のように長い舌が垂れ下がった。
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