クチナハ 〜平安陰陽師賀茂明淫妖物語〜 2 - 10


(2)
はしたない姿を見られ凍りつく明たん。
己は清浄を保ち禁中を守護すべき陰陽師であるのに・・・
男はそんな明たんの手首をひねり上げ、白魚の如き指に付着した
欲望の証を見て哂う。「ふん。陰陽師殿も人の子というわけですな」
――暗闇の中、男の顔は見えない。


(3)
「些か己を失っておりました。己の立場にして有るまじき不覚悟。
が、このようなことが外に知れては禁中の護りとして示しがつきませぬ。
勝手なお願いではありますが、出来ますればこの件はどうぞご内密に」
明は咄嗟に手をついた。立場はこちらが圧倒的に不利だが
楚々とした風情の己がしおらしくうなだれて見せれば
大抵の相手は蕩かされてしまうことを知っていた。
だが男はくっくっと哂い欲望に塗れた明の掌を己が口元に持って行くと
チュルリと音を立てて舐めた。瞬間、明の背筋に震えが走る。
蛇か何かの長く割れた舌で撫でられた気がしたのだ。
「ッ・・・!」


(4)
おぞましさに手を引こうとする明だが、
男の異常なまでの剛力にがっちりと手首を取られ叶わない。
「そなた・・・人では・・・!」
「陰陽師殿。貴方の精は大変に美味だ・・・私は、もっとそれを長く味わいたい」
闇の中で男がチュルリと舌なめずりする音が響いたかと思うと、
男の影が次第に細く長くなってゆく。
――これは妖。対抗しなければ。
必死で呪を唱えようとする明だが金縛りに遭ったように舌が動かない。
巨きく黒く長い影が哂う。
「無駄な足掻きはお止しなさい。今の貴方が私に敵うはずもない。
都一の陰陽師殿とは言えまだ子供・・・
貴方にとっては不幸、私にとってはまことに好都合」
そう告げると影は一閃、弾けるような音を立てて天井近くまで跳ね上がるや
ズルリと明の表袴の裾に潜り込んできた。
「あ・・・っ!?嫌!?あっ、あっ!」
ズルリ、ズルリッ。
巨きい影は床に長々と尾を引いて這い回りながら袴の中で明の秘所を探り当て、
ずぶずぶずぶとその狭い肉の内部に身をねじり込んでゆく。
――嘘だ。こんな巨きい長いモノがこの身の内に・・・
「あ、嫌、嫌っ・・・!ア、アーッ!」
限界を超えて内部を拡げられ、拡げられてなおぎっちりと満たされ、
強烈に奥の一点を圧迫される刺激とおぞましさに耐え切れず明は絶叫し、
精を放つと同時に気を失った。


(5)
「賀茂っ。・・・大丈夫かよ?賀茂!」
聞き慣れた声に明はゆっくりと目を開いた。
陽の色の前髪を持つ友人が心配そうに覗き込んでいる。
はっとして己が身を見たが着衣のどこにも乱れはなく、指も汚れてはいなかった。
「・・・ゆめ・・・?だったのか・・・?」
「あー?居眠りして怖い夢でも見てたのか?すげェ悲鳴が聞こえたから
慌てて来たってのに。賀茂でも、そんなことあるんだなー」
近衛光は名前そのままの翳りない明るさでにぱっと笑った。
闇の中に居た身にはそれが眩しく感じられて、明は思わず目を細める。
「ホラ、いつまで寝てんだよ。まだ勤務時間中だろ?
どこも悪くないなら、起きた起きた!」
普段は自分のほうこそ昼間から眠いだの退屈だのと騒いでいるくせに、
強引に明を起き上がらせようとする。
子供のように元気な声を微笑ましく思いながら、先刻――夢の中で?――
はしたない行為に及んでいた右手を取られそうになり、思わず払い除けてしまった。
パシ、とやけに高く音が響く。
光が呆気に取られた顔をする。
「あ・・・」
謝らなければ。
そう思うのに喉が詰まったように言葉が出ない。
明はこういう場面に慣れていなかった。物言わぬ式神を家族として十数年も、
謝罪の言葉も感謝の言葉も口にする機会がほとんどないまま過ごしてきた。
だが今目の前にいる光は生きた人間で、自分の友人で、
自分は今彼の親切に対して無礼を働いた。
ここは謝っておかねばなるまい。
そうだ、こんな時のための言葉は――
「近衛、すまなかっ――」
「ちぇっ、イッテーの!人がせっかく親切にしてやってんのに!」
明の謝罪の声は、頭の後ろに手を組んだ光の大声で掻き消されてしまった。


(6)
「・・・・・・」
「へっへー、オマエどうせ、怖い夢見て悲鳴上げちゃったのが恥ずかしいとかだろ?
でもオレ、もう聞いちゃったもんね。いつもツーンと澄ましてる、
都一の天才陰陽師として名高い賀茂サマが――」
「・・・別にそんなつもりじゃない。ただ、床から起き上がることくらい
キミの手を煩わせなくとも出来るから、こうしただけさ・・・」
自力で身を起こしながら、地の底から響くような声で明は言った。
光が軽口を止めた。
「あ・・・ごめ、・・・オマエもしかして何か怒ってる?・・・うん、確かにオレちょっと
言い過ぎた・・・かも・・・?えーと・・・」
顔を引きつらせてチラチラとこちらの様子を窺いながらエヘヘ、と笑って誤魔化す
その表情もまた、悪戯を見つかった子供のように素直過ぎて憎めない。
明は溜め息を吐いた。
その溜め息をまた悪い方向に取ったらしく、誤魔化し笑いも止めて
真顔になった光がしゅんと肩を落とす。
そうじゃない、キミは何も悪くはないのだと言葉を掛けてやりたかったが、
謝罪の言葉一つ口にするにもエネルギーを使う明にとって、そんなことは更に
難易度が高すぎた。

面倒臭くなって明は話題を変えた。
「それで・・・キミは今日も、佐為殿のお供でここに?」
「え?あー、ウン!でも佐為は今日帝の指導碁で遅くなるから、
オレ先に帰れって言われたんだ」
先刻まで肩を落としていたのに、明が話題を変えた途端またにぱっと笑って
何事もなかったかのように話に乗ってくる。
自分が誤解させておいて云うのもなんだが、一秒前のことを覚えていないのだろうか?
――わけがわからない。
だがそれを云うなら自分の話題の切り替えも相当唐突だったから
おあいこなのかもしれないと明は思った。


(7)
「そう・・・じゃ、気をつけて帰るといい」
「あ、何だよそれ、そっけねェな。オマエだってそろそろ帰る時間だろ。
オレ待ってるから、一緒に帰ろうぜ!」
「・・・一緒に?なんでボクが」
「そろそろ涼しくなってきたし、オマエちょっとは運動したほうがいいぜ?
いっつも牛車ばっかりじゃ、イザって時にすぐへばっちゃうぞ。
・・・ホラ、この間だってさぁ、」
珍しく目を逸らし口の中でごにょごにょと何か云いながら、光が少し赤くなる。
いつのことを云われているのか明にもすぐ察しがついた。
頬がカァッと熱くなる。
「あ、あぁ。・・・うん、まぁ、・・・」
「・・・だろ?」
「・・・そうかな」
「そーだよ。だからこれからはどんどん食わせて、運動させてオマエに体力
つけさせるから。夏の間にオマエちょっと痩せたし。だから、なっ。
オレ外で待ってるから、今日は歩いて一緒に帰ろうぜ。決まり!」

真っ赤な顔をして返事も聞かずに光が出て行った後を、明は温かな思いで眺めた。
昼間だというのに薄暗く閉ざされた闇のような空間に、
光が灯を灯して行ってくれたような気がする。
大体にして、先刻の夢――?の中で明があるまじき行いに及んだ原因も
あの能天気な、太陽のように明るい友人との関係にあるのだった。


(8)
桜の頃に出会った二人は、橘が白い花弁を開く季節に
どういうわけか友人の一線を越えて結ばれた。
初めて覚えた性交の味をいたく気に入ったらしい光は、それからしばらく
事あるごとにニコニコと明に擦り寄ってきた。
明もまたそれを拒むことなく要求されるままに身を任せていたが、
一月ほど前に睦みあっている最中、残暑の疲れもあって貧血を起こしてしまった。
それを光は、自分が明に無理強いした結果と取ったらしい。
以来、滅多に明に触れて来ないようになってしまった。
触れても、人目につかない所で口を吸ったり、猫でも膝に乗せて撫でるように
明を抱擁して髪だの頬だのを撫でるだけだったりという具合である。
「オマエ、あんま思ったこととか口に出せない奴だもんな。
オレばっかりいい思いしてオマエにきつい思いさせちまって・・・ごめんな。
これからは気をつけるから」
そう光は云っていたが、明にしてみればそれこそ青天の霹靂だった。

確かに多忙な時や疲労が溜まっている時などに光に抱かれることは、
肉体的に負担を感じることもあった。
だが一度たりとそれを嫌だと感じたことはなかったのだ。
寧ろ、この友人が自分と共に一定の時間を過ごすことを望んでくれるのが嬉しかった。
生身の相手と会話するのは苦手だけれども
肉と肉との交わりならばそれほど気を遣わずに済むのも有難かった。
生きた人の肌の温もりに触れるのも新鮮だった。
そして何より、求めてくる光よりも求められる明のほうが、
実は「その味」に夢中になってしまっていた。


(9)
そうしたことを光に伝えていれば今のような事態にはならなかったのだろうが、
生憎とそれもまた明にとっては難しすぎた。
ただでさえ気持ちを伝えるのが苦手で、性交の最中はあまり言葉を交わさずに
済むことを有難く思うような人間が、ボクもキミと寝るのは大好きだから
これからも遠慮しないで誘ってくれなどと云えるだろうか?
そんな自分の本心を自覚しただけで明は赤くなってしまう。
望みを口に出せないまま火照った体を持て余す日々だけが続いて、
ついに先刻――夢の中のことであったらしいのが救いだが――
あのような浅ましい振る舞いに及んでしまったのだ。
「しかし、さすがに連日これだと困るな・・・」
仕事の場での集中力は欠いていないつもりだったが、現に先刻は居眠りして
淫らな夢を見てしまったらしいのだ。
寝付けない夜が続いて、体調にも影響が出ている。
職務を全うするためにも、時々はさりげなく光を誘って交わり、
欲求を満たしたほうがよいのかもしれない。
あまり頻繁に誘うのは恥ずかしくてとても出来ないが、世間にはそうした欲求を
満たすための道具なども数多く存在すると云う。
手を回してそれらを入手し、光で足りない分はそれで補えばよい。
そう考えると急に心が軽くなった。
まずは今日の帰りに、光を邸に誘ってみよう。
久しぶりに他人と夕餉を共に出来るのも楽しみだ、そうだ、そうしよう――

その時、明の身内でズルリと蠢いたものがあった。
瞬時に恐怖で体が凍りつく。
――あの若者と交わるですと・・・?この私を身内に宿しながら・・・
「あ、あぁ、ああああっ、」
――貴方の美味なる精は私だけのもの。一介の人間風情には惜しい・・・
先刻の急激な動きとは打って変わって焦らすように緩やかに内部をうねり刺激する
その得体の知れない何かに、明は声にならない叫びを上げた。


(10)
「あれ、光、まだ内裏に居たのですか」
涼しげな声に振り返ると、女のようにたおやかな容貌の友人が
きらきらと傾きかけた日差しに長い黒髪を輝かせてこちらに向かってきた。
「佐為。指導碁終わったのかよ」
「ええ、先刻。帝のもとに、訪ねて参られた御方がありまして。
光は、ここで立っているということは・・・明殿と待ち合わせですか」
「あぁ、そのはずなんだけど。・・・遅ェなぁ」
「一度様子を見に行っては?」
「う・・・ん、でも・・・オレ、外で待ってるって言って返事も聞かないで
出てきちまったんだ。賀茂にとっては迷惑だったかも・・・」
頭を掻きながら語尾を小さくして俯く光に、佐為は微笑んだ。



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