番外編2 冷静と狂気の間 2


(2)
俊彦の訪問は明らかに迷惑そうだったが、強引に上がりこんで話すことに
した。
「どうしたんだ。昼間もいったけど、お前、ヘンだよ。
こんな時は酒でも飲みながら悩みをブチまけるのが一番だ。いっちまえ
よ。」
部屋に入っても沈黙が続いた。
これまで断わったタメシなどなかったのに、酒を勧めても、
「イヤ、オレはいい」
と断わる。隅で膝をかかえてうずくまったまま、嘉威は動こうとしなかっ
た。
「俺は飲むぜ。」
見回しても、部屋の中に変わったところはなさそうだった。
長い沈黙に耐えられず、俊彦は急ピッチで発泡酒を1本空にした。
「俺じゃダメか。役には立たないか」
そういいながら、新しい缶に手を伸ばした。
突然、ウッという嗚咽が洩れてきた。嘉威は体を丸めて泣いていた。
しばらく気の済むように泣かせた後、俊彦は嘉威のそばにいった。肩に手
を掛けようと思ったが、昼間の姿が目に浮かんで、声をかけるだけに留め
た。
「落ち着いたか」
「オレがバカだったんだ。でも、本因坊ともあろう人があんなことをする
なんて…」
「飲むか」
改めて酒を勧めると、今度は素直にうなずいて口をつけた。
「この味、この味だよ。オレにはこの味があってるんだ。分相応にこの味
で満足してりゃあ、あんなことにはならなかったんだ。」
ポツリポツリと話し始めた内容は、俊彦を驚かせるのに十分だった。
棋院の前でサインを求めた桑原本因坊に連れられて高級料亭にいき、酒を
飲んで前後不覚のところを犯されたというのだ。桑原本因坊――。嘉威の
影響で碁を始めた俊彦でも名前くらいは知っていた。
「だってお前、酒強いじゃないか。そんなに飲まされたのか。」
「ううん。酒、日本酒だったんだけど、あの中に何か入ってたんだと思う。
体が全然きかなくなっちまって…」
話しているうちにまた声がうるんできた。
「ちょっと苦い気がしたんだ。でも、いつもの安酒と違うから、オレ、舞
い上がっちまって…」
「今から思うと、あれはヤメロって合図だったのかもしれないな。本因坊
の前に進藤って若手にサインをもらってたんだけど、オレが本因坊と話し
てる時にしきりに目をパチパチさせてて…。オレ、本因坊の前で緊張して
るのかと思ったんだけど…」
重荷を解き放って、嘉威は少しずつ平静さを取り戻してきたようだった。
一方、俊彦はふつふつと怒りがこみ上げてきた。
――本因坊ともあろうものが。しかも、ジジイだろう。やっていいことと
  悪いことがある。そいつに謝らせずにおくものか。でも、本因坊なん
  て、いったいどこにいったら会えるんだ。
ふと頭をあげると、机の上に手付かずで放り出されていた「週刊碁」が目
に入った。この中になにか書いてあるかもしれない。手にとって裏側にな
っていた1面をみると、『粘る桑原』なんと当の桑原の本因坊戦の勝利を
伝えている。俊彦は猿のようなその老人の顔を脳裏に刻み込んだ。めくっ
ていくと今週の手合いの欄に本因坊戦最終局があさって開始とある。だが、
会場は東北だ。どうする。この問題に一刻も早くケリをつけてやりたい。
一瞬悩んだが、いい考えが頭に浮かんだ。行こう、と俊彦は心に決めた。「週
刊碁」は借りて帰ることにした。
部屋を出る時、嘉威は呆けたように缶を手にしていた。
「でも、痛いだけじゃなかった。よかったんだ。」
背中から聞こえたつぶやきに思わず振り向いた。嘉威の暗い瞳は、俊彦を
ゾクリとさせた。



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