七彩 2 - 3
(2)
塔谷行洋の碁会所はいつも盛況だ。
だが今は遅い時間帯のせいか人気が少ない。まばらに席を埋める他の客達は
マイペースに自分の碁を愉しみ、若先生方の周囲に取り巻きはいない。
アキラは碁石を摘む手を休め、盤を挟んで向こうに座るヒカルの顔を見詰めた。
「・・・・・・・・・なんだって?」
そこでヒカルはやっと我にかえった。魅入られていたのだろうか、ぼんやりと
していたのが急に現実に引き戻され、しかも先の無意識の発言内容に慌てて
パニックに陥ってしまう。
「・・・いやっ!何でもない!!気のせい、何も言ってない、今の無しっ!!」
アキラは終始無表情だった。何の感情も見えない顔でヒカルを見据えている。
「・・・出ようか」
アキラは海王中学からエスカレーター式で海王高校に進み、ヒカルは高校進学
していない。よってヒカルはアキラに比べて時間に余裕があり、もっぱら
ヒカルがアキラのスケジュールに合わせて打つ約束をしている。二年に進級
した春頃からアキラの背丈は益々伸びて、冬を迎えた今ではヒカルと五センチ
以上の身長差がついている。
緋色の夕日が道に二人の細長い影をゆらゆらと描いている。
ガードレールがある歩道を、アキラとヒカルは黙々と歩く。長い影をひっそり
連れて。
「・・・ボクが好きなの?」
「・・・・・・・・・うん」
「恋愛感情か?」
「・・・・・・・・・うん」
ヒカルは既に隠す事を諦めていた。
最初はごまかしていたのだが、碁会所を出てからアキラにしつこく言及され
続け、とうとう観念させられたのだ。
(3)
ヒカルが通っていた中学校の女子よりも綺麗な顔をしたアキラが、今は
能面のような無表情で前を見据え、いつもより更に口数少なくひたすら
歩いている。ヒカルは切なくて惨めで泣きたくかったが、アキラに見えない
ところで拳を固めて我慢していた。これ以上アキラに迷惑をかけたくなかった。
海王高校の中学と同じで白の上着に青灰色のスラックス。左胸を飾るワッペンの
デザインが少しだけ違うが、それ以上は変わり無い。清潔でモダンな印象は
アキラにこの上なく似合っている。対してヒカルは今、私服だ。いつもの
ジーパンにトレーナー。でもシューズだけにはちょっと拘りがある。ヒカルの
足元はいつもお洒落だ。
沈黙に耐えられなくなったヒカルは隣を歩くアキラの顔を盗み見た。
「・・・ごめん。もちろん返事、いらないから。・・・・・・・・・マジでごめん。
キモイよな。オレもさ、自分の事キショって思うんだよ。・・・でもさ、おまえって
すごい奴だろ。尊敬・・・・・・とか、憧れ、とか。そーゆーのがごちゃごちゃに
なっててさ。・・・すごい奴だと思うんだ、ほんとに・・・」
ヒカルはアキラを追ってプロ棋士にまでなった。追うのがアキラだったから、
ヒカルはやる気になったのかも知れない。先に待っているのがアキラで
なかったら、もしかしたらここまで燃え上がらなかったかもしれなかった。
しかし、それをアキラに言う気は無い。碁を愛するアキラに不純だと取られる
ことを恐れたのだ。アキラだったから、確かにそれも理由の一つだが、
ヒカルは真剣に碁が好きなのだ。でもそういった事を上手に説明出来る自信が
無かった。ぼそぼそと想いの丈を綴るうち、ヒカルの目に涙が浮かんできた。
(佐為・・・・・・)
大丈夫ですよ、頑張って。そんな風にいつもいつも励ましてくれた、慰めて
くれた佐為は、今はもうどこにも居ない。どうしようもなく佐為に会いたかった。
「・・・・・・」
日の入りが何て早いんだろう。今日の最後の輝きを放って家々の間に沈んでいく。
今のヒカルには朱金のそれが、この世の何かが死に往く間際の最期の悲痛な煌きに
見えた。電柱の張り紙が頼りなく、今にも風に剥がれそうに揺れている。
どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。
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