失着点・龍界編 2 - 3
(2)
三谷と供に男達にこの人気のないマンションの一室に連れ込まれてどれくらい
時間が経ったのだろう。
その日、ヒカルは午前中の指導碁の仕事を終え、空いた時間にたまには他の
碁会所をのぞいてみようと街を歩いていた。
つい先日、ヒカルは名古屋の親類の家から東京の自宅に戻った。
明日は、久々に東京の棋院会館での大手合いだ。アキラと同じ空間で打てる。
もちろん伊角と和谷もいる。だが、アキラと二人だけで過ごした日々の中で、
彼等との出来事は紅茶の中の角砂糖のように小さくなりやがて消えて行った。
当然失踪騒動のツケはかなりのものになった。自分よりアキラの方がより多く
のものを失ったはずである。大きなタイトル戦への挑戦権もはく奪されかねな
かった。だがアキラは何一つ日本棋院や棋士会の決定に異義は申し立てないと
いう意思表示をした。
結果的にはイベントなどの対外的な活動を3ヶ月停止することに留まった。
後は本人達の精進の精神に寄る所と判断してもらえたのだ。二人は再度、
囲碁の高みを目指す事を誓った。離れていても目指すべき場所は一つなのだ。
「…強くなっているんだろうな、塔矢…。」
そういう明るい気分で、いつもは行かない場所にまで足を延ばしていた。
碁会所の中にはいかにも怪し気な看板に囲まれたビルの一角にあったりして、
当然そういうところは避けていた。どんな相手でも怯まず戦えるようになる
のが理想ではあったが。
そういう類の場所から2人の男と連れ立って出て行く三谷を見かけたのだ。
(3)
どう見てもかなり年上で、とても堅気には思えない服装の男達に両脇を
挾まれるようにして路地の奥へと三谷は消えていった。
ヒカルは胸騒ぎがした。
(三谷のやつ、また何か揉め事を…?)
三谷の存在は胸の奥に残ったままの小さな爪痕だった。何故か消えない爪痕。
ヒカルは携帯電話を手に握り、そっと後をつけた。彼等が三谷に暴力を
振るうような事があったら通報するつもりだった。ヒカルの勘は的中した。
路地奥の彼等が入り込んだ方向から罵声と共に争う物音がした。
「約束が守れねえってどういうことだ、このガキ!!」
ガッと鈍い音が響いてくる。
「…あんたらが一方的に言って来た事だろ。オレは同意したつもりは…」
三谷の声は、再び何回かくり返す鈍い音の中で呻き声に変化する。ヒカルは
携帯のボタンを押そうとした。その腕を背後から誰かに掴まれた。
「かわいい“仔犬”がもう一匹、迷い込んだなあ。」
体の大きな、サングラスをかけた中年の男が立っていた。彼等の仲間にヒカル
自身も後をつけられたのだ。ヒカルが声をあげようとした瞬間腹部に拳が入り
うずくまりかけたところを襟首を掴まれ壁に背中を叩き付けられて、
そのまま強い力で押し付けられた。
「う…ぐっ…」
「おとなしくしてな。」
その男は地面に落ちたヒカルの携帯を取り上げると自分のポケットに入れ、
ヒカルの肩を抱いて路地奥に連れていった。
そしてヒカルは、二人の男達の足下にうずくまっている三谷を見た。
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