うたかた 2 - 3


(2)

「進藤、お前目ェ赤いぞ?どうしたんだ?」
 毎週土曜に和谷のアパートで行われる、若手プロたちの研究会。検討の途中でヒカルは少しぼんやりしていたようだった。
「えーと…、き…昨日、徹夜でゲームしてたら目が腫れちゃって…。」
 少し苦しいかな、と思いながらも何とかごまかす。
「おいおい、なに無茶してんだよー!!」
 和谷が、しょうがないやつだと苦笑した。
 その後も幾度となく注意を受けるヒカルに、和谷は段々本気で心配になったらしい。研究会がいつもより早く終わるように取り計らった。

 家まで送ってやると真剣に言う和谷に、その都度平気だと笑って断った。和谷のアパートを出て、独り歩き出す。

 ────どうして今更、佐為の夢を見るんだろう…。

 自分はもう乗り越えたと思っていた。

(佐為はオレの碁の中にちゃんと居るんだから、大丈夫。)

 呪文のように唱える。こうやって自分を安心させようとするそれは、伊角との対局のあと身に付いた術(もの)だった。

(……ダイジョーブ…)

 つま先に視線を落としながら、あてもなく彷徨う。素直に家に帰るのは嫌だった。いま閉鎖的な空間に入ると、気分がますます滅入ってしまうような気がした。
 この心を反映したかのように、どんよりと暗く潤った空が、ついにぽつりと雫を落とす。
「あー…降ってきちゃったか…。」
 一つ溜息をついて傘を広げる。今日は少し肌寒い。これ以上外にいても風邪をひくだけだということは、わかっていた。

(そういえば…)

 傘がワンタッチで開くのを見て、佐為が大騒ぎしたことがあった。

 不意に目頭が熱くなり、慌てて頭を振ったその瞬間────
「うわっ!!」
 いきなりすさまじい風が吹いた。傘が全身でそれを受けて、あっという間にヒカルの手から離れる。
 宙を舞って車道に落ちた傘を見留め、急いで拾いに行ったヒカルの目には、右から迫り来るバイクの姿は映っていなかった。


(3)

「オイお前!!死にてぇのか!!」
 バイクから降りた男の怒鳴り声に、びくりと我に返った。
 一瞬のうちに起こった出来事を、ヒカルはすぐには理解できないでいた。ただ、バイクのタイヤとアスファルトの強く擦れる音が、自分の鼓膜をひどく振動させたのは覚えている。
「────…ッ」
 道路に座り込んだまま、ガクガクと震えの止まらない身体を両腕で抱きしめた。

 男がバイクのハンドルをもう少し遅く切っていたら、確実に重症だっただろう。道路に大きくJの字に付いたタイヤの跡が、事故のリアルさを物語っている。雨で濡れたアスファルトでバイクが転倒しなかったのも奇跡に近い。
 ヒカルの代わりに轢かれた傘からは、痛々しく骨が突き出していた。

「オイ、どっか怪我してんのか?」
 身動きしないヒカルの前に、男がしゃがみ込む。
「ん?お前…進藤じゃねぇか!!」
 いきなり名前を呼ばれ、驚いて頭を上げる。

 懐かしい顔がそこにあった。

「────かが…」



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