Happy Little Wedding 2 - 5
(2)
「これからどうするんっすか?」
高原の空気と同じくらい爽やかな声で芦原が言った。
声変わりが始まってもその声音は相変わらず弾むように明るい。
緒方が小学生の頃、音楽教師に「頬骨を上げて明るい顔で歌いましょう、
そうすれば自然と明るい声が出る」と注意されたことがあった。
その理屈で行けば、いつもニコニコ楽しそうにしている芦原から
その表情にぴったりの朗らかな声が出るのは、全くもって道理というものだ。
――何故そんなことをしたくなるのか自分でも分からなかったが、
緒方は芦原から目を逸らし遠くの山を見た。
芦原に負けず劣らず、いつも柔らかな微笑みを湛えている明子夫人が答えた。
「まず宿で荷物を置いて、それから少し早いけれど主人と私はお昼にするわ。
午後になったらすぐ会場へ向かわなきゃならないものだから。
アキラさんもその時一緒に食べさせてしまおうと思っているんだけれど、
緒方さんと芦原さんはどうなさる?ペンションの昼食は11時から2時半までの間なら
融通が効くらしいから、若い人たちは今は軽食だけにして、後でちゃんとお昼を
摂っていただいたほうがいいのかしら・・・」
「や、オレもう入りますっ。朝メシが早かったですし」
「あら、そう?緒方さんはどうなさる?」
正直な所、午前中はあまり食欲が出ない質である。
だから昼食ももう少し後のほうが有り難いのだが、どうせこれから食卓のある所へ行くのに
後で改めて一人で昼食を摂るというのも二度手間のようで面倒だった。
(3)
「オレも、先生たちと一緒でいいです」
「そう?それじゃ五人分、今から電話でお願いしちゃうわね。
アキラさん、そこねぇ、とっても美味しい苺のアイスクリームもあるんですって」
「いちごのアイス・・・」
「そう。だからちゃあんと目が覚めて、ご飯をたくさん食べられたら、
デザートに頼みましょうね」
さすが母親は我が子の扱いに慣れている。
眠そうに開いたり閉じたりを繰り返していたアキラの目が、急にキラキラキラと輝き出した。
「うんっ、ボク、たくさん食べる!」
アキラの母である人は、息子の反応にニッコリと頷いて電話を探しに去っていった。
宿からの送迎バスを待つ間も、アキラはずっとクマのぬいぐるみを抱きしめながら
その耳元に向かって何やら囁いていた。
内緒話のつもりなのだろうと思って、気づかれないように耳を澄ますと、
「いちごのアイスだって〜。おいしそうだねぇ?・・・」
と聞こえる。
もともと動物好きで、動物の形をした人形や菓子などにも深く思い入れる質の子供だった
アキラだが、去年の冬に師匠が買い与えたそのぬいぐるみは特にお気に入りおもちゃの
殿堂入りを果たしたらしく、最近では見るたびにそれを抱いていた。
単純に今まで持っていた中で一番大きなぬいぐるみを買ってもらって嬉しかったということも
あるのだろうが、どうやらそれだけではない。
(4)
明子夫人が困ったように打ち明けた事情によれば、四月に幼稚園の組替えがあってからずっと
アキラは他の子供たちと馴染めず、いじめとまではいかないまでも仲間外れのような状況に
立たされているらしい。
いったん異物と見做した者に対する子供の残酷さは、緒方もよく知っていた。
近頃では、幼稚園へ行っても朝から帰りまで一言も他の子供から口を利いてもらえずに
しょんぼりと帰ってくることすらあるという。
アキラがクマのぬいぐるみを片時も離さない背景には、そんな寂しさがあるのかもしれなかった。
――詳しい事情は知らないが、去年の秋頃にはアキラが幼稚園で色々なことを覚えてくると、
夫人がころころ笑いながら語っていたくらいだったのに。
緒方は何となくアキラの横に移動して、寄り添うように立った。
その気配を察したアキラが、振り向く代わりにピタッと秘密のおしゃべりをやめて、
もじもじとクマのぬいぐるみを抱え直す。
最近緒方が忙しくなってあまり話せない時期が続いたせいもあるのか、
今日のアキラは少しこちらの出方を窺うような、緊張した雰囲気を漂わせている。
久しぶりに会ったら喜んで駆け寄ってくるかと思っていたが、
睡眠不足のアキラは道中ずっと目を閉じて、小さな寝息を立てていた。
「アキラくん」
「ン・・・?なに」
真っ直ぐに切り揃えられた素直な髪の向こうで、アキラの小さな手が緊張を誤魔化すように
クマの手をいじっている。
「・・・昼メシ食ったら、いっぱい遊ぼうな」
膝の先でちょっと突付きながらそう言ってやると、アキラは今日初めて緒方を振り向き、
はにかむような笑顔で「いいよぉー、」と答えた。
(5)
そのまま何か話しかけてアキラの気持ちをほぐしてやるようなことが出来ればよいのだが、
緒方はそういうことが得意ではなかった。
それは自分が大人になってしまったからなのか、
それともまだ大人になり切れていないからなのか分からないが、
とにかく基本的に子供は苦手なのだ。
行動の予測がつかないし、小さな頭の中で彼らが毎日何を考えて生きているのか分からない。
普段アキラが機嫌良くお喋りしてくる時なら相槌を打つのにもさほど苦労はしないのに、
こういう時に限ってかける言葉が見つからない。
アキラが言葉少なにしているこんな時こそ、年長者の自分がリードしてやらねばと思うのに――
「・・・・・・」
アキラはしばらく緒方の顔を見上げたまま、じっと話しかけられるのを待つ風にしていたが、
緒方が何か言いたげにアキラを見つめるばかりで結局何も言葉が出て来ないのを見て取ると、
またそっとクマのぬいぐるみの上に顔を伏せてしまった。
それは当たり前と言えば当たり前の反応だったが、
何かアキラに見切りをつけられたような気がして、かなりの挫折感が緒方を襲った。
――つまらない奴と、思われただろうか。
それ以上に、折角開きかけたアキラの心が目の前で再び閉じていくのを
見す見す許す自分のふがいなさが腹立たしかった。
だが次の瞬間、腿の横辺りに羽が触れるような感触があった。
見ると、ちんまりとした頭が遠慮がちに緒方の脚に寄り掛かっている。
視線を感じたのかアキラは少し心配そうにちらっと緒方を見上げたが、
何も文句は言われないと判断すると、さっき父親にしたようにそのままゆっくり
小さな体重を預けてきた。
「・・・・・・」
手を動かして、いつも並んで歩く女よりはかなり下方にある未発達な肩を抱いてやった。
アキラが幾分明るい声で、
「いちごのアイスって、お代わりしてもいいのかなぁ〜・・・?」と呟いた。
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