月下の兎 2 - 5


(2)
今自分がどこにいるのかさえ分らなかった。
走り続けて壊れそうに激しく鼓動を打ち続ける胸を抱え、荒い自分の呼吸を
出来るだけ押さえてヒカルは感覚を研ぎすまし辺りを伺う。
今来た道を辿って、アキラを見つけなければ。
アキラもきっと待っている。どこかに身を潜め、奴らが通り過ぎるのを待って、
「もう大丈夫だよ」とオレが声をかけて来るのを待っているはずだ。

港の近くで道に迷った。すぐ引き返せば良かったのに、つい人気のない方にアキラの手を
引っ張って行ってしまった。
月を見るつもりがいつのまにか目的が変わってしまっていた。
アキラの唇の感触が欲しくなった。強く抱きしめて細く華奢でそれでいてしっかりとした
骨格を感じる不思議な感覚を思いっきり味わいたかった。

そんな自分達を見ているのは月だけのはずだった。


(3)
“ピュー”という口笛と供に数人の足音がこちらに向かってくるのを
アキラが先に気付いた。
情けない事に自分は久しぶりにアキラと唇を深く重ねた触感に夢中になって
アキラが体を離そうとしているのを力で押さえ込んでいた。
「進藤、人が…」
僅かに離れたアキラの唇がそう動いた時は相手からすっかりこちらの姿が
見える距離だった。
「おやあ、こりゃあ驚いたな。」
「最近のガキは…やるもんだねえ。」
5〜6人の大学生風の男達だった。体育会系らしくみな背が高くがっしりしていた。
だがお世辞にもちょいと声をかければ街で女の子をゲット出来る、というタイプでは
なさそうな連中だった。
「オレはてっきり女の子同士のアレかと思ったぜ。」
そう言って冷やかすように笑いながら彼等はそれぞれの間隔を広げ、
こちらを包囲しようとして来た。
彼等が何をしようとしているのかは分らなかった。
だが危機を感じてアキラと横目で見合い、彼等に背を向けて一緒に駆け出した。
無気味だったのは彼等が手慣れた様子で無言ですぐに追って来た事だ。
後はただ、夢中で走った。その途中でアキラが消えた。


(4)
嫌な直感が走った。
アキラはオレを逃がす為に何らかの方法で彼等の気を引こうとしたのではないか。
そう思いながら壁伝いに歩いていると3人の男達が何やら話しながら
向こうから走って来たので慌ててその場のコンテナと壁の間に身を隠した。
連中もふた手に分かれたらしい。
息を潜めて彼等が通り過ぎるのを待つ。
「くそっ、どこへ行きやがった」
「まあいざとなったらあっちがあるさ。なかなか綺麗な顔していたじゃないか。」
「オレはこっちが好みだったなあ。」
壁に接しているせいだけでなくヒカルの背中に冷たい感覚が走った。
ぎりぎりと心臓が痛む。アキラは捕まってしまっている。
―オレのせいだ。
警察を呼ぼう、そう思って携帯を取り出した。

「どこへかけるつもりかなあ?坊や。」
ヒカルが驚いて振り返ると通り過ぎたはずの連中の1人がコンテナと壁の隙間を
覗き込むようにして立っていた。
その男が伸ばして来た手から身を引いてかわす。
「チッ」
男は若干身体の幅が大き過ぎてヒカルが居る所まで寄って来るのに間があった。


(5)
ヒカルは急いで隙間を奥へ奥へと入り込んだ。
背後で男が仲間を呼ぶ声がした。反対側に待ち伏せされたらおしまいだった。
隙間の奥に木の板が立て掛けてあってその先へ進めない。
ヒカルは行けるところまで行った。
駆け付けた男達の仲間で細身の者が追って来た。
ヒカルは立て掛けてある板の下の部分がまだ余裕があるのに気付き、四つん這いに這ってその下をくぐった。
男の手が僅かでヒカルの足首を掴もうと伸ばされたが届かなかった。
その板をくぐり抜けると倉庫と倉庫の間の通路が右にあって、ヒカルはそこに入り込んだ。
反対側で見張っていた男が何かを叫んだ。ぐるりと回って再びヒカルを挟み撃ちに
するつもりなのだろう。
ヒカルは狭い通路を走りながら、壁に上に向かう樋があるのを見つけてそれを登った。
いちかばちかだった。

樋と途中の窓枠やダクトをたよりに倉庫の屋根に上がった。
ヒカルは下の男達に見られないよう身を屈めて屋根伝いに移動した。
男達もすぐ気付いて登って来るだろう。港の方に戻る方向へ動き、
下へ下りられる場所を探す。



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