パッチワーク 2 - 7


(2)
現在各リーグ戦の常連というと緒方・芹澤・倉田・塔矢・進藤・社だが
この中でもタイトル戦に絡むとなると緒方・倉田・塔矢・進藤の4人に
絞られてしまうという状況がもう15年近く続いていた。越智・伊角・福
井・冴木・芦原あたりは各リーグに入ったり落ちたりと安定しない。白
川は数年前から院生師範になっている。門脇は棋界ではめずらしい会社
員だった経験を買われて棋院の運営に関わる方が主になっている。

この状況のきっかけと思えるのが第一回の北斗杯である。同年進藤が初
のリーグ入り、一方塔矢も全てのタイトルでリーグ入りした。さらに社
も二十歳前にリーグ入りし、気が付くとこの3人は同年代の棋士たちと
は一線を画く存在となっていた。

和谷は煙草を吸いたくなり部屋備え付けの案内で喫煙場所を探すと3階
の空中庭園にあるようだ。
部屋を出るとき塔矢が部屋に入ろうとする後ろ姿を見かけた。何か違和
感を感じたが気にせず3階の喫煙場所にゆき一服したとたん先ほどの違
和感の正体が分かった。あの部屋は進藤の部屋じゃないのか。だがそん
なことはあり得なかった。いまでは当たり前のようになってしまってい
て、いつからか思い出せないが進藤と塔矢は対局の後の検討では言葉を
交わすこともあるがそれ以外では棋院などですれ違ってもお互い相手が
存在していないかのように振る舞うのが常であった。


(3)

水曜日

対局は大方の予想を裏切って塔矢が早碁で仕掛けてきた。予想していな
かったらしい進藤は顔色を蒼白にしながら丁寧に対応していた。打ち掛
けになりいつも昼を取らない塔矢だけでなく進藤も昼食を取らなかっ
た。再開から1時間後、控え室での検討では今のところ塔矢有利であっ
た。だが会場に響いた「ありません」の声の主は塔矢であった。立ち会
いの和谷が声をかけようとしたとき進藤の体が崩れた。


ホテルの車で地元の病院に運ばれた進藤の病名は俗に言う盲腸炎であっ
た。なんでも前夜のうちに本人がホテルに対局後すぐに手術を受けられ
るように病院の手配を依頼していたと後日棋院の職員にきいた。


(4)

土曜日

和谷は当日は後始末におわれ病院に寄ることもできなかったので三日後
に進藤を病院に見舞った。妻には駅に着いたら果物店で詰め合わせを買
うように言われたのを思い出したのは病室のドアの前に立ってからだっ
た。「ままよ」病室のドアを開けるとベッド脇に幼児を抱いた同年代の
女性と子どもが3人、ベッドの中の進藤と話をしていた。「よぉ、元気
そうだな」「あ、和谷、迷惑かけたな。すまない。」「ご心配をかけま
して」「家内のあかり」「お父さんの友達の和谷さん」こどもたちも
いっせいに和谷に挨拶する。進藤が結婚をして十年以上になるが家族の
顔を見たのははじめてであった。少女のような雰囲気の妻、朴訥な感じ
の兄、母親にそっくりな弟、父親にそっくりな姉、おかっぱ頭の妹。


「じゃぁ、子供たち預けたら戻ってくるからおとなしくしててね」「何
のおかまいもできなくてすみません。」あかりと子供たちは病室を出て
行き、病室は和谷と進藤だけになった。「昨日、棋院から事務方が来て
いろいろ教えてくれたけど対局の時にはいなかったやつだからあの後ど
うなったのかは知らないって言うんだ。」


(5)

和谷は当日のその後を話し出した。
進藤はいなかったが塔矢は残っていたので有利と思われた塔矢がなぜ投
了したのかのかを問いただそうという雰囲気になったが塔矢も顔色が悪
く失礼したいと言いだし棋院の人間が駅まで送ると言ったのを親のとこ
ろへゆくからと断ったこと。
「塔矢先生、今ここ(箱根)で暮らしてるンだっけ。」「多分、俺が倒
れたの見てあのときのことをおもいだしたんだとおもう」「あのときっ
て」「三星火災杯の決勝で塔矢先生が二度目の発作起こしたとき。俺も
あそこにいたから。」
進藤が結婚した前の年だ。前年の決勝は準決勝で塔矢元名人を破った進
藤と高永夏を破った塔矢が対戦し進藤が優勝した。その翌年今度は元名
人が進藤を破り決勝は公式戦としては初の親子対決になった。塔矢が投
了した直後元名人が2度目の発作を起こしこれが原因となり元名人は完
全引退した。そのあと塔矢はスランプになり、勝つことは勝つが辛勝と
いった対局が続いた。それに連られてか進藤も調子を落としていった。
回りはチャンスと見たが、地力が勝る二人はタイトル戦に絡むことはな
かったが各リーグからは陥落しなかった。そして進藤の結婚のあたりか
ら二人ともスランプを脱したのだった。そして二人が十代の頃から塔矢
元名人の碁会所で行っていた検討会をやめたのもこのあたりではない
か。


(6)

十段戦の方は残った人間で行った検討は塔矢の半目勝ちで釈然としなかっ
たが当事者たちがいないので中途半端なまま終わった。

マグネット囲碁で先日の棋譜を再現しながら進藤は「それはあの次に俺が
ここに打てば塔矢の半目勝ちだけど、俺だったらこっちに打つ」と進藤は
検討で出てこなかった手を示した。「そうすると白はこうせざるを得ない
から俺の三目半勝ちだよ」

義父である師匠が引退してから研究会は冴木が主催している。進藤は忙し
い手合いの合間を縫って参加しているようだが和谷は成績が落ち込むに連
れ脚が遠のいて行ったので進藤と話をするのは久しぶりで気が付くと外は
すっかり暗くなっている。進藤の妻が帰ってきたのを潮に和谷は病室を出
た。


(7)

和谷は東京へ帰る電車の中で自分と進藤を比較して落ち込んでいた。

自分たちが検討でも思いつかなかった手を進藤も塔矢も気が付いていたという棋
力の差。
一番下の子が3歳になる来年まで育休を取っているという進藤の妻と生活のため産
休をとるのもままならなかった自分の妻。
今回の会場となった箱根のホテルにしてもそうだ。進藤の家では毎年夏に家族で
あのホテルに一週間滞在していると言っていた。一方自分たちは数年前駅ビルの
福引きで旅行券があたってあのホテルに一泊したのが最後の家族旅行だ。
たしかアイツもできちゃった結婚だったがこっちは古いアパートだったが向こう
はじいさんが住んでいたとか言う蔵つきの一戸建て。

新宿で私鉄からJRに乗り換えようとして雑踏の中を足早に歩いていたとき見
知った顔を見たような気がして和谷は振り向いた。それは自分の娘なのか幼い女
の子を父親が抱いた家族連れだったが知人ではなかった。「そうだよな、塔矢は
独身じゃないか」その時思い出したのは数年前の家族旅行の時バスの車窓から見
た風景だった。箱根の坂道を塔矢にそっくりなおかっぱ頭の女の子を抱いた塔矢
が歩いている。その後ろには朴訥な感じの男の子、しんがりは進藤に似た女の子
の手を引いた女性。「なにを思い違いしてるんだか」

和谷は帰宅の足を早めた。

パッチワーク 2026.05 和谷 了



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