戻り花火 2 - 8
(2)
「なぁ、ちょっとこっち見て」
「どうして?」
「どうしても」
「理由を言え」
「・・・かっ、かわいくねーな。いーだろ、ちょっとくらい!減るもんじゃなし」
「減る」
「減らねーよ!」
「・・・こうしている間にも、どんどん燃え尽きていってしまうだろう?」
「ん?・・・あー」
整いすぎるほど整ったアキラの横顔は、静かに揺れ輝く光を映している。
自分の手の中で一時明るく熱く燃え上がっては瞬く間に尽きていく儚い命を惜しむように、
アキラは慈しみにも似た眼差しで手元の熱の花を見つめていた。
たまにアキラはこんな表情をする。
静かで安らかな、全てを許し慈しむような。
アキラをこちらに向かせるのは諦め、その代わりにヒカルはアキラに寄り添うように
肩を触れ合わせてしゃがみ込んだ。
アキラは何も言わない。
「・・・ちょっと寒くなってきたから、こうさせてくれよな」
「うん」
アキラの花火が一際明るい緑がかった白い光を放ち、燻すような音を立てて燃え落ちた。
同じ袋詰めにされて一時の慰みのために売られる花火でも、アキラの手の中で
アキラの視線を一身に受けて燃え尽きるならこの世に生まれてきた甲斐もあろうと思う。
アキラと同じ生身の人間でさえ、その手に触れることもその視界に入ることすら困難だというのに。
(3)
後を追うようにヒカルの花火もまた持ち主の頭髪のような金色の光を放って燃え尽きた。
途端に辺りの温度が下がる。
風に揺れる小さな蝋燭の灯りを頼りにヒカルはがさごそと派手な色の袋を探り、
新しいのを二本取り出してババ抜きのようにアキラの前に並べて突き出した。
アキラはちょっと指を迷わせてから、濃い赤紫の芯にキャンディのように先が捩れた
黄色と赤の紙飾りがある一本を選んだ。
もう片方の、銀と青の縞模様がついた細身の一本をヒカルが右手に持ち直す。
「・・・オマエ、こーゆー時は必ずハデなほう選ぶよな」
「え、そうかな。すまない。キミがこっちのほうがいいなら・・・」
「いいよ、オマエが好きなほう取ってくれたほうが。ただ・・・」
「・・・何」
「・・・意外と、ガキっぽいよな」
返事はない。
ちらりと横を見ると薄暗い中でアキラの端正な横顔が不服そうに唇を尖らせていた。
そういう所も意外と子供っぽくて、意外と可愛いと心の中だけでヒカルは思う。
小さな蝋燭の炎の上に二人して花火をかざす。
風があるせいもあってどちらもなかなか火が点かない。
暗い中で会話が途切れると互いの吐息の音と心音が伝わるようで、ヒカルは息苦しくなってしまう。
だがアキラは何も言わない。
ぼんやりとただ、黄色と赤の紙飾りの先をちろちろと焼く小さな炎を眺めている。
(4)
今夜アキラが言葉少ななのは、美しい花火の短い命を惜しむためだけではないのだろうと
ヒカルは思った。
全てを忘れさせるような美しい光を瞳に映しながら、アキラの目はどこか遠い所を見ている。
遠い誰かの姿を幻のように、光と熱の中に追っている。
小さな炎がヒカルの胸の奥をもちろちろと焼いた。
胸の奥底で焦がれた火の粉が気管を通って口から出るように、ヒカルはつい言葉を洩らしていた。
「・・・社も、今日ここにいられれば良かったのにな」
他の人間ならきっと気づかないほどの一瞬の沈黙があって、それからアキラが小さな声で
「うん」と答えた。
二本の花火が同時に炎を宿し、精一杯に花開いて夜の暗闇を輝かせた。
(5)
アキラがいつ頃から社に惹かれるようになったのかは知らなかった。
単に碁打ちとしてということだけであれば、北斗杯予選の自分と社の闘いを見た時点で
アキラは既にあの自分たちと同い年の有望な打ち手に惹かれていたのだろう。
だが碁の実力で惹きつけるだけなら、自分が社に劣るとは思わない。
それとは別の所で、いつの間にか、本当にいつの間にか、アキラの心は社に攫われてしまっていた。
今まで自分がアキラと過ごしてきた年月はいったい何だったのかと思うくらい呆気なく。
北斗杯が終わってから、アキラとあの激戦の数日間を振り返る機会は何度もあった。
だが不自然なほどにアキラは自分からは社について触れることがなかった。
ヒカルのほうから社の話題を振ると、アキラは一見平然とその話題を受けながら、
今までヒカルの前では見せたことのなかった少し哀しそうな遠い瞳をした。
そうしてその後は決まって、物思いに沈むような、何か考え事をしているような、
ヒカルの知らないおとなしいアキラになった。
不自然なのは社も同じだった。
北斗杯の後で何度か連絡を取って碁のこと、社の進路のこと、色々なことを語り合ったのに
社もまた、アキラの棋譜やアキラの父塔矢行洋について口にすることはあっても
アキラ本人については決して自分から話題にすることがなかった。
それだけなら、二人があの数日の間に喧嘩でもして仲が険悪になっているのかと
ヒカルも思ったかもしれない。
だがそうではなかった。
二人はずっと連絡を取っていたのだ。ヒカルの知らない所で、ヒカルとの会話では決して
互いの名前を出さないままで。
その頃既にアキラは、日常的にヒカルと体を重ねる間柄だったというのに。
(6)
時季外れの二人だけの花火大会の最後を締めくくるのは線香花火だった。
風に消されないよう二人が掌をかざして見守る中、
星を散らすような火花が夜の闇に弾けてジッ、ジジッと生き物が鳴くような音を立てた。
火花はやがて小さくなり、オレンジ色の熱が凝って綺麗な火の玉が出来上がる。
まるく凝った熱は自らの重みに堪えかねて、まずアキラの持っているほうが
ポトリと雫のようにオレンジ色の光の尾を引いて暗い地面に落下した。
「あ、」と少し残念そうな声を上げてから、アキラは再び沈黙した。
ヒカルが視線を上げると、アキラはしゃがんだ膝の上に手を揃えて置き、最後に残った
ヒカルの線香花火をじっと見守っている。
蝋燭と線香花火のかすかな灯りに照らされて、伏し目勝ちの睫毛が滑らかな頬に長い影を作っている。
ヒカルが花火でなく自分を見ているとは思いもしないのだろう。
僅かに唇を開いた無防備なアキラの顔からヒカルは目を離すことが出来なかった。
だから自分の線香花火が燃え尽きたのも、アキラがまた「あ、」と声を上げたことで初めて知った。
しばらくの間アキラはなお、花火の火滴が落ちていったのだろう地面の方向に視線を注いでいたが
やがて顔を上げると感心したように「凄く大きな玉だったね」とヒカルに言った。
本当はアキラの顔ばかり見ていたから花火の終焉間際の輝きなど見ていない。
だがヒカルは「あぁ」と答えた。
自分にずっと顔を見られていたなどと、アキラは知りたくないだろう。
(7)
「・・・今日は、付き合ってくれてありがとう」
「いーよ。・・・オレもこの時季に花火が出来るとは思わなかったしな」
そう、アキラがまた花火を買っていたことさえ知らなかったのだ。
「先に上がっていてくれ。ボクはこの水を流したら戻るから」
小さな青いバケツを軽く持ち上げて見せながらアキラが言ったので、
「あぁ、」と頷いて縁側から家の中に上がり込んだ。
月明かりだけが差すひっそりとした廊下を渡り障子を開けたそこは、かつて二回――
日数にすれば数日間――ヒカルが泊まったことがある部屋だ。
一人ではなかった。
いつも社が隣に布団を並べていた。
北斗杯前夜も、その後夏にこの家に滞在した時も、夜はこの部屋で社と二人で眠った。
そうしてヒカルがこの部屋に泊まった一番最後の夜には、そこにアキラが加わって
三人になっていた。
「・・・進藤。どこにいるんだ、進藤」
電気を点けていなかったから、ヒカルがどこにいるかわからないらしい。
自分の名前を呼びながら月明かりの廊下を渡ってくるアキラを、ヒカルは不意打ちのように
部屋に引き入れ抱きすくめた。
外で肩を触れ合わせている間は想像することしか出来なかったアキラの温もりを腕の中に味わう。
「しんど・・・」
瞬時に身を強張らせたアキラの唇に噛みつくようなキスをする。
アキラがそれに驚いて気を取られている隙に、ヒカルはアキラの体を宙に浮かせるようにして
部屋の隅まで移動した。
そうしてそこに畳まれてあった布団の上にアキラを投げ出すと、覆い被さって股間に手を入れ
激しく揉みしだき始めた。
(8)
アキラが息を呑み、体をよじってヒカルを押しのけようとする。
その抵抗を封じるように、服の上から股間をきつく握り込む。
「や、進藤っ・・・!放せ」
「イヤなの?・・・オレがイヤ?」
「そういうわけじゃないが・・・こんな、い、痛いよ、アァッ、」
痛いと言われてさすがに力を緩め、代わりにゆるゆると捏ね回すような動きでその部分を揉む。
瞬時に、アキラの喉の奥から押さえ切れない甘い呻きが洩れた。
掌全体でそこを包み込んでぶるぶると強めの振動を加えてやりながらヒカルは言った。
「こんな風に強引にされんの、オマエ大好きなくせに」
「そ、そんなこと・・・ぁ、・・・はぁ・・・ん、・・・あぁっ・・・!」
「社の時だって・・・」
自分の下でそのまま快楽に落ちていくかに見えたアキラが、目を見開いた。
ヒカルは唇を噛み締め、アキラの足の間に潜り込ませていた手を一旦引き抜いた。
アキラに聞かせるようにはっきりと呟きながら、手を彷徨わせる。
「・・・あの時は、どうやったんだったかな?確か・・・」
「や・・・嫌だ・・・嫌だ、進藤・・・」
アキラの声に怯えが滲むのを無視して、ヒカルは自分の両手でアキラの両手首を掴み
束ね合わせるようにしてアキラの頭上の布団の上に押さえつけた。
「確か俺がこうして、それから社が・・・」
「進藤!」
アキラが悲鳴を上げた。
それに構わずヒカルは片手でアキラの両手首を押さえつけたままもう片方の手でアキラの衣服を
剥ぎ、早鐘を打つ胸から蒼白な腿までを露わにした。その中央には、既に熱く昂り立ったものがある。
「――それでもオマエ一言も、やめろとは言わなかったんだ」
自分の影に覆われたアキラの、大きく見開かれた濡れた瞳に一瞬視線を合わせると、
ヒカルはきゅっと目を瞑りアキラの首筋に顔を埋めた。
そこはアキラの肌の控えめな甘い匂いと、火薬と煙の不穏に刺激的な匂いとが混じり合っていた。
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