身代わり 20 - 21


(20)
「いかんな、こんなことでは」
弱気になってはいけないと自分を叱咤する。
明日に十段戦第三局を控えているのだ。気持ちを萎えさせてはならない。
深呼吸をし、気持ちを落ちつける。外は明るくなりはじめていた。
結局、一晩明かしてしまった。そのせいか頭が重い。
廊下のきしむ音が聞こえてきて、行洋は盤面を崩した。
「お父さん、おはようございます」
「早いな」
「はい、目が冴えてしまって……」
言いながら対面にアキラは正座する。
その表情は今までにないくらい引き締まっていた。
特別な相手との対局を待ち望んでいる顔だ。
息子がどんなに進藤ヒカルと打ちたいと思っていたかを、行洋は知っている。
それが今日、叶えられるのだ。
うらやましい、と心の底から思った。
そしてそう思った瞬間、身体中の力が抜け出ていくような心地がした。
息が苦しい。
周りが急速に色褪せはじめる。
代わりにくっきりと浮かんできたのは、せまい肩幅、細い腕、小さな手――――
『塔矢先生……』
幼い声が自分の名を呼ぶ。明るい黄色の前髪が揺れている。
行洋は手を伸ばそうとして、身体がかたむくのを感じた。
遠くからアキラの叫ぶ声が聞こえた。


(21)
病室に近づくにつれ、足取りが重くなってくる。母がそんな自分を早くと急かす。
だがどうしても速度を速めることができなかった。手のなかの荷物が重い。
アキラは自己嫌悪に陥っていた。
父が倒れたあの日、アキラがまず思ったのはヒカルとの対局のことだった。
打てない、と悟ったあの瞬間、アキラは父が恨めしくなった。
なぜこんな日に倒れるのだと。ようやくヒカルとの対局が叶えられる、その日に。
そしてそう思った自分が信じられなかった。
これが倒れた父を思う息子の心情かと、疑いたくなる。
「アキラさん、こっちよ」
気付くとアキラはちがう方向に行こうとしていた。慌てて母の後を追いかける。
病室はせまく感じられた。もっと広い部屋にしてもらえばいいのにと思う。
容態が落ち着いたと聞くと、ひっきりなしに見舞客がやってきて今日は大変だった。
一段落つくと、緒方にまかせて二人は家に入院に必要なものを取りに行ったのだ。
明子が入ってくると、緒方はすぐに頭を下げてあいさつした。
「主人の面倒を頼んでごめんなさいね。だれか、いらしたかしら」
「棋院の記者が来ましたけど、すぐに帰りましたよ」
「心配してくださるのはうれしいのだけれど、こうたくさん来られますとねぇ……」
最後まで言わないが、緒方はその内心を察した。ただでさえ夫がいきなり倒れて大変なのに、
多くの見舞客の相手までしなくてはいけないのは、正直とても気疲れがするだろう。
「あら、わたしったら。ごめんなさい」
少し愚痴を言ってしまったことを恥じたようだ。
「いいえ、お気になさらずに。少し休まれたらいかがですか。先生のお相手も、これがして
くれるでしょうし」
そう言って緒方はノートパソコンを指差した。
その画面のなかには碁盤と碁石があった。



TOPページ先頭 表示数を保持: ■

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル