クチナハ 〜平安陰陽師賀茂明淫妖物語〜 20 - 24


(20)
「あぁ?何だこれ」
「魔除けの護符よ。何日か前に宮中に訪ねて見えたみこ様からいただいたの」
「みこさまぁ!?・・・って親王様かよ?オマエいつの間に、そんな高貴な方を
通わせてたんだ」
確かにこの幼馴染みは黙っていればなかなかの美少女だ。
この年になれば、そろそろ通う男が居てもおかしくはあるまい。
だが親王などという非現実的に高貴な男が相手となれば話は別だ。
はねっ返りの幼馴染みがやんごとなき相手と雅な恋をする図が
どうしても想像出来なくて、光は素っ頓狂な声を上げた。

だがあかりは顔を赤くして光をどついた。
「いでっ」
「もうっ、違うわよ!一の宮様って云ってね、帝の腹違いのお兄様に当たる方。
ずうっと都を離れてらしたんだけど、何日か前に急に帝のもとを訪ねてらしたの。
えーとあれは、そうそう、この前佐為様が帝に指導碁をされた日よ」
数日前、明を待ちながら佐為に会った時。
もう指導碁は終わったのかと聞く己に佐為は何と云っていたか。
――帝のもとに、訪ねて参られた御方がありまして。


(21)
「あぁ、あの方か」
「光も知ってる?最近評判だもんね!その一の宮様がね、帰りがけに女房の局にも
訪ねて見えて、指導碁をしたり護符を分けて下さったりしたんだよ」
「その一の宮様ってのも碁を打つのか?ってか、何で宮様が護符なんてくれるんだよ。
陰陽師や法師でもねェのに」
「もうっ光、本当に一の宮様のこと知ってるの?あの方はね――」

あかりが説明を始めようとした時、空からあの小鳥が急かすように高く鳴いた。
――そうだった、こうしちゃいられねェ。
「あかり、ごめんな。その話は今度聞くよ。オレ、賀茂のとこに行かなきゃ」
「う、うん、そうだったね。とにかくこの護符は持って行ってよ。
冷え性が治ったとか恋人が出来たとか、今女房たちの間ですっごく評判なんだから」
「ありがとな、ちゃんと賀茂に渡すよ。じゃ、なせの君や佐為にもよろしく!」
「気をつけてね。明様にもよろしくねーっ」
小鳥の後を追って駆け出した光に、あかりが後ろから声を掛け手を振った。


(22)
もう、どれくらいこうしているのだろう。
意識を回復しても起き上がる気になれなくて、明はただ死んだようにじっと横たわり
身体を休めていた。
今のうちに少しでも食事を摂っておかなければ――
近衛にも云われたし、と考えてから、だがその近衛はもう自分に会いに来てくれるか
わからないのだ、と思い至る。
ならばいっそこのまま死んでしまってもよいのかもしれない。
食べて命を保っても、このままおぞましい妖しに精を与えて養ってやるだけの
生ならば、乳を搾られる牛と変わりがないではないか。
牛はいい、牛は牛として生まれた務めを果たしているだけだ。
己は牛ではない。陰陽の術で都を護る務めの賀茂家に生まれた身であるのに――
そう考えると妖しに敵わない己がふがいなくて悔しくて、涙が込み上げてくる。
――今頃、近衛はどうしているのだろう。
彼に一目会って、あの明るい声で「きっと何とかなるさ!大丈夫!」とでも云って
もらえたなら、暗く濁ったこの魂にも新しい光が灯りそうな気がするのに。
涙が頬を伝って床を濡らしていくのを感じながら、疲れ切った明は一時の眠りに落ちた。

眠りの中の――これは夢だろうか。
いつものように光がうるさいくらいに門を叩く音が聞こえる。
門には中から錠がかかっているはずなのに、それが外れた音がする。
鳥が高く鳴いて騒ぐ声が聞こえる。
聞き慣れた足音が庭をずんずん進んできて、床を踏み鳴らす音が聞こえて、
そして――

「賀茂!」
薄目を開いて見たそこに、朝方の眩しい青空をしょって、
懐かしい光が立っていた。


(23)
「この・・・え?」
声が嗄れて巧く出ない。
一晩中呻いたり喘いだりした後、水の一滴すら口にしていないのだ。
夢でも、会えて嬉しい。
だが己を見る光は何だかひどく青ざめて怖い顔をしている。
――夢なら、もっと優しくしてくれればいいのに。
いつものように己の名を呼んで、事あるごとにニコニコ擦り寄って、
抱き締めてくれたらいいのに――
そう思うと止まっていた涙が再び溢れてぽろぽろと頬を濡らし、
それが恥ずかしく思えた明はそっと横向きに顔を伏せた。

そんな明を見て、光はますます表情を固くしていた。
「賀茂・・・オマエ――」
「?」
「誰が・・・誰がこんなこと!」
声の調子に明が驚いて見ると、光の大きな目からボロッと大粒の涙が溢れ出した。
「近衛――」
どうしたんだと云いかけて、ハッと己の今の格好に気づく。
衣裳が乱れ解けて半裸となった上に唇は破け、身体は痣だらけ。
この姿を見て光は何か勘違いをしているのではないだろうか。

事情を説明しようと焦って言葉を探しているうちに、光が大股で駆け寄ってきた。
「オレがついてりゃ、オマエをこんな目に遭わせたりしなかったのに――
ゴメンな、賀茂。ゴメン――」
そう云って光は明を抱き締め、
大丈夫だ、もう大丈夫だぞ、と繰り返してわんわん泣いた。
・・・ただでさえ生身の相手と会話するのは苦手な上に、
今抱き締めてくれる光の腕はとても力強くて温かくて、心地よい日溜りの匂いがする。
慌てて説明するのも面倒臭くなった明は、ひとまず目を閉じその心安らぐ感触に酔った。


(24)
「じゃあ、この痣とかは、妖しのせいなんだな」
自分でやるからいいと云うのに、光は強引に明を座らせテキパキと水を用意して、
固く絞った手拭いで明の全身を拭いてくれていた。
下袴を外し、微妙な部分にまで手を差し入れて他人に拭かれるのは恥ずかしかったが、
明はこうして光のなすがままに扱われるのが嫌いではなかった。
邪念のない手つきで、ごしごしと清められていく感覚が心地よい。
「うん」
「そうか、良かった。オレはてっきり・・・」
「夜盗にでもやられたと思ったかい?」
「ウン。でも、どっちにしたってオレが来たからにはもう大丈夫だ!
オレがそいつ倒して、オマエ護ってやるから」
たすき掛けした腕でジャッと水を絞り、笑顔で胸を叩いた光に明は溜め息をついた。
「簡単に言ってくれるね。ボクでも対処出来ない相手に、
キミがどうやって勝とうっていうんだい」
「この間一緒に妖し退治した時は、オマエに貰った御神刀で倒せたじゃん。
あれもう一遍貸してくれよ。夜になってそいつがオマエの中から出てきたら、
オレがやっつけてやる」
「あの御神刀は宮中に代々伝わる神宝。前回は都の危機ということで
特別に使用を許可されたが、一介の陰陽師のためになど軽々しく持ち出せる
ものじゃない。それに、もしキミが妖しの立場だったら、自分が刀で斬られる
かもしれないとわかっている状況で外に出ようだなんて思うかい?
・・・ずっとボクの体内にいれば安全なのに」
「う、それもそうだな。ってことは・・・じゃあどうすりゃいいんだよ!?」
「何か別のやり方を考える必要がある。未熟なボクでは対処出来なかったが、
他の陰陽師・・・たとえば倉田さんにこの状況を知らせれば、あるいは・・・」
明は目の裏に、陽気で騒々しいが腕は立つ先輩陰陽師の姿を思い浮かべた。



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