平安幻想異聞録-異聞- 20 - 24
(20)
佐為は自分が知ったこと、ヒカルの体の具合から察したことを、
包み隠さずアキラに話して聞かせた。
「重ねて言いますが、この話は、まだ私の推測でしかありません。
ヒカルの目が覚めて事情をきけないことにはなんとも…」
「わかりました。こちらでも座間一派の昨晩の動向には、
気づかれないよう、さぐりを入れてみましょう」
そう返したアキラの声音は一見落ち着いているようだったが、
その中に激しい怒りが押し殺されているのを佐為は感じ取っていた。
アキラは佐為に見送られる帰り際、木戸のところで振り返って
「佐為殿、この家にはかすかですが呪の匂いがします。十分お気をつけ下さい」
と、不思議なことをいった。
ヒカルの意識が戻ったのは、その日の夜、子の刻も近くなってからだった。
相変わらず熱が下がらず、肌を紅潮させているヒカルを、
佐為はじっと枕元で見守っていた。
自分が見ていたからといって、ヒカルの熱が下がるわけでもなかったが。
明り取りの窓の隙間から僅かに洩れる月明かりに照らされた、
幼い輪郭の顔を眺めていると、
そのヒカルのまぶたがゆっくりと開いた。
ひとつ瞬きして、佐為の姿を認めると、擦れた小さな声で
「水」
とつぶやいた。
慌てて浅い器に水を入れて持ってくる。
佐為が持ってきたそれをすべて飲み干すと、ヒカルはまた
スウっと眠りの世界に入ってしまった。
それでも一刻前にくらべると大分よくなった顔色に安心し、
佐為が自分の寝所にもどろうと起ち上がろうとすると、
何か着物の裾を引っ張るものがある。
見れば、いつの間にかヒカルの手が、佐為の着物の裾を握りしめていた。
佐為は小さく苦笑して、もう一度座り直すと、そっと、
そのヒカルのまろみを帯びた手の上に自分の手を重ねた。
結局、朝までそのまま、佐為はずっとヒカルの寝顔を眺めていた。
(21)
「ヒカル!駄目って言ったら、駄目です!」
「やだ!絶対行く!」
次の日の朝、ヒカルはきちんと目を覚まし、佐為が差し出した粥を食べた。
その時はまだ、まるで自分がどうして此処にいるのかさえ判っていないような
ぼんやりした表情だったが、佐為がその食事の後、
ヒカルを近衛の家に送ってから内裏に出仕する、と言ったら、この騒ぎになった。
ヒカルは、自分もいつも通り佐為の護衛として内裏に付いて行くと言いだしたのだ。
「まだ、熱だって下がってないのに無理に決まっているでしょう!」
「無理でも行く!」
「だいたい、もう立てるんですか?!」
「う……」
ヒカルは口ごもった。この時とばかり佐為はまくしたてる。
「太刀をふるうどころか、体を動かすのだって満足にできないでしょう!
そんなので私を守るなんていうつもりなんですか?
おとなしく自分のうちに帰って休んでいなさい!」
「でも…」
「でも、なんです?」
思いきったようにヒカルは口を開いた。
「内裏に行けば、座間や菅原がいるじゃんか!
あいつらに佐為を一人で会わせたくないんだよ!」
佐為は目を見開いた。やはり彼らがヒカルをあんな目に合わせた
犯人なのかと思うより先に、(あんな目に合わされながらも、
それでも彼らの前から、身を張って私を守ろうとしてくれているのか、この子は…)
と、そんな思いで胸がいっぱいになった。
だが、それでは尚更、ヒカルを内裏に連れて行くわけにはいかない。
だから佐為はヒカルを問い詰めた。
「では、やはり一昨日、あなたを襲ったのは座間殿の手の者なのですね」
ヒカルは一瞬、その瞳を揺らしたが、佐為から視線をそらすことはしなかった。
(22)
「……わかりました」
佐為の言葉にヒカルがパッと顔をあげる。
「私も内裏に行くのをやめます」
「はぁ〜〜〜〜??」
驚いて立ち上がりかけたヒカルだが、まだギシギシという体と、
ほとんど感覚がないままの下半身ではそれもかなわず、
目の前の佐為の腕の中に崩れ倒れる形になってしまった。
佐為はその細い体を胸で受け止めた。
「ヒカルを近衛の家に送っていって、そのままヒカルが床から逃げ出さないか、
ずっと見張っていましょう」
「な、何言ってんだよ、おまえ。仕事ざぼるつもりか?」
「ヒカルじゃあるまいし…。ちょっと風邪を引いたことにするだけです」
「それをさぼるってんだよ!」
「もう決めました。ヒカルがなおるまで、私はヒカルの傍に付いていることにします」
「治るまでって…、そんなのお前みたいな重要人物に許されるわけないだろう!」
「重要人物でも風邪はひくし、風邪をひいたら仕事は出来ないんです」
「帝の囲碁指南は!」
「帝に風邪が移っては大変ですからねぇ」
「だけど…!」
「それにね、ヒカル」
ヒカルの目の前で、佐為の美しい顔が、花が咲くようにほころんだ
「今の私には、帝より、ヒカルの事の方がずっと大事なんですよ」
ヒカルは、黙って、香の焚きしめられた佐為の白い狩衣の胸に顔をうずめた。
佐為はズルイ。
そんな風にやさしく甘やかされたら、もう自分には何も言えないじゃないか……。
(23)
佐為は言葉通り、ヒカルと一緒に牛車で近衛の家に行くと、
そのまま居座ってしまった。
藤原佐為といえば、今や権勢を誇る藤原一派の中でも
最重要人物といっていい人間だ。
そんな人間に予告もなく上がり込まれたヒカルの母は、
何か失礼があっては大変と右往左往して、祖父にたしなめられていた。
本来の家長であるヒカルの父は、ヒカルと同じく検非違使を勤めていたが、
若くして殉職した。だから今は一人息子であったヒカルがこの家の家長だ。
そのヒカルは、今、静かな奥の間に整えられた床に伏していた。
横には佐為が礼儀正しく座って、にこにことヒカルの顔を見下ろしている。
当のヒカルは、やはり住み慣れた家に帰って気が抜けたのだろう。
着いてすぐに再び高熱を出し、薬を飲まされて、今は床で寝息を立てていた。
時折、薄目を開け、そこに佐為がいるのを確かめると、
また安心したように目を閉じる。
そんなことの繰り返しだった。
ヒカルは、うつらうつらと眠りながら、すぐそばの佐為の気配を
感じていた。
熱のせいか、意識が雨雲に包まれているみたいに不明瞭で重い。
あまりに鬱陶しいので、せめてその雲の紛れをさがそうと歩き回ると、
何かに足首を捕まれた。足元を見るとそれは座間だった。
頭と手だけが地面から生えるようにしてヒカルの足に絡みついている。
(24)
振り払おうと体をよじると今度は手首を誰かにつかまれ、
まさかと思ってみれば、そこには菅原の顔。
自由になるほうの手で、捕まれた手首にからみつく菅原の手の指を
一本一本引きはがそうとするうちに、座間がその手を足首からふくらはぎへ、
ふくらはぎから太ももへと這い登らせてくる。
せめてその座間の顔を叩ききってやろうと太刀を探すが、
腰にあるはずの太刀がない。
ヒカルは必死で太刀を探す。
あれは父上から譲り受けた大切な品なのに。どこへやってしまったんだろう?
ヒカルの太ももをなで回しながら座間は笑う。
「佐為殿ももったいないことをする。このような美味い肴を据膳にして喰らわぬとは」
「佐為がそんなことするもんか!佐為と俺はそんなんじゃない!!」
「何を言う。佐為殿にもかわいがられておるのだろう?ここも…ここも…」
言いながら、座間の手は太ももをさらにはい上がり、せまい股の付け根へと……
「やめろ!」
自分の声に驚いてヒカルは目を覚ました。
佐為が心配そうに、こちらをのぞき込んでいる。
手は強くヒカルの手を握ってくれていた。
「大丈夫ですか?」
そういって、形の整った綺麗な指が、ヒカルの目じりをやさしく拭った。
「オレ、泣いてた?」
佐為はそっと微笑んだ。
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