クチナハ 〜平安陰陽師賀茂明淫妖物語〜 20 - 28
(20)
「あぁ?何だこれ」
「魔除けの護符よ。何日か前に宮中に訪ねて見えたみこ様からいただいたの」
「みこさまぁ!?・・・って親王様かよ?オマエいつの間に、そんな高貴な方を
通わせてたんだ」
確かにこの幼馴染みは黙っていればなかなかの美少女だ。
この年になれば、そろそろ通う男が居てもおかしくはあるまい。
だが親王などという非現実的に高貴な男が相手となれば話は別だ。
はねっ返りの幼馴染みがやんごとなき相手と雅な恋をする図が
どうしても想像出来なくて、光は素っ頓狂な声を上げた。
だがあかりは顔を赤くして光をどついた。
「いでっ」
「もうっ、違うわよ!一の宮様って云ってね、帝の腹違いのお兄様に当たる方。
ずうっと都を離れてらしたんだけど、何日か前に急に帝のもとを訪ねてらしたの。
えーとあれは、そうそう、この前佐為様が帝に指導碁をされた日よ」
数日前、明を待ちながら佐為に会った時。
もう指導碁は終わったのかと聞く己に佐為は何と云っていたか。
――帝のもとに、訪ねて参られた御方がありまして。
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「あぁ、あの方か」
「光も知ってる?最近評判だもんね!その一の宮様がね、帰りがけに女房の局にも
訪ねて見えて、指導碁をしたり護符を分けて下さったりしたんだよ」
「その一の宮様ってのも碁を打つのか?ってか、何で宮様が護符なんてくれるんだよ。
陰陽師や法師でもねェのに」
「もうっ光、本当に一の宮様のこと知ってるの?あの方はね――」
あかりが説明を始めようとした時、空からあの小鳥が急かすように高く鳴いた。
――そうだった、こうしちゃいられねェ。
「あかり、ごめんな。その話は今度聞くよ。オレ、賀茂のとこに行かなきゃ」
「う、うん、そうだったね。とにかくこの護符は持って行ってよ。
冷え性が治ったとか恋人が出来たとか、今女房たちの間ですっごく評判なんだから」
「ありがとな、ちゃんと賀茂に渡すよ。じゃ、なせの君や佐為にもよろしく!」
「気をつけてね。明様にもよろしくねーっ」
小鳥の後を追って駆け出した光に、あかりが後ろから声を掛け手を振った。
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もう、どれくらいこうしているのだろう。
意識を回復しても起き上がる気になれなくて、明はただ死んだようにじっと横たわり
身体を休めていた。
今のうちに少しでも食事を摂っておかなければ――
近衛にも云われたし、と考えてから、だがその近衛はもう自分に会いに来てくれるか
わからないのだ、と思い至る。
ならばいっそこのまま死んでしまってもよいのかもしれない。
食べて命を保っても、このままおぞましい妖しに精を与えて養ってやるだけの
生ならば、乳を搾られる牛と変わりがないではないか。
牛はいい、牛は牛として生まれた務めを果たしているだけだ。
己は牛ではない。陰陽の術で都を護る務めの賀茂家に生まれた身であるのに――
そう考えると妖しに敵わない己がふがいなくて悔しくて、涙が込み上げてくる。
――今頃、近衛はどうしているのだろう。
彼に一目会って、あの明るい声で「きっと何とかなるさ!大丈夫!」とでも云って
もらえたなら、暗く濁ったこの魂にも新しい光が灯りそうな気がするのに。
涙が頬を伝って床を濡らしていくのを感じながら、疲れ切った明は一時の眠りに落ちた。
眠りの中の――これは夢だろうか。
いつものように光がうるさいくらいに門を叩く音が聞こえる。
門には中から錠がかかっているはずなのに、それが外れた音がする。
鳥が高く鳴いて騒ぐ声が聞こえる。
聞き慣れた足音が庭をずんずん進んできて、床を踏み鳴らす音が聞こえて、
そして――
「賀茂!」
薄目を開いて見たそこに、朝方の眩しい青空をしょって、
懐かしい光が立っていた。
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「この・・・え?」
声が嗄れて巧く出ない。
一晩中呻いたり喘いだりした後、水の一滴すら口にしていないのだ。
夢でも、会えて嬉しい。
だが己を見る光は何だかひどく青ざめて怖い顔をしている。
――夢なら、もっと優しくしてくれればいいのに。
いつものように己の名を呼んで、事あるごとにニコニコ擦り寄って、
抱き締めてくれたらいいのに――
そう思うと止まっていた涙が再び溢れてぽろぽろと頬を濡らし、
それが恥ずかしく思えた明はそっと横向きに顔を伏せた。
そんな明を見て、光はますます表情を固くしていた。
「賀茂・・・オマエ――」
「?」
「誰が・・・誰がこんなこと!」
声の調子に明が驚いて見ると、光の大きな目からボロッと大粒の涙が溢れ出した。
「近衛――」
どうしたんだと云いかけて、ハッと己の今の格好に気づく。
衣裳が乱れ解けて半裸となった上に唇は破け、身体は痣だらけ。
この姿を見て光は何か勘違いをしているのではないだろうか。
事情を説明しようと焦って言葉を探しているうちに、光が大股で駆け寄ってきた。
「オレがついてりゃ、オマエをこんな目に遭わせたりしなかったのに――
ゴメンな、賀茂。ゴメン――」
そう云って光は明を抱き締め、
大丈夫だ、もう大丈夫だぞ、と繰り返してわんわん泣いた。
・・・ただでさえ生身の相手と会話するのは苦手な上に、
今抱き締めてくれる光の腕はとても力強くて温かくて、心地よい日溜りの匂いがする。
慌てて説明するのも面倒臭くなった明は、ひとまず目を閉じその心安らぐ感触に酔った。
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「じゃあ、この痣とかは、妖しのせいなんだな」
自分でやるからいいと云うのに、光は強引に明を座らせテキパキと水を用意して、
固く絞った手拭いで明の全身を拭いてくれていた。
下袴を外し、微妙な部分にまで手を差し入れて他人に拭かれるのは恥ずかしかったが、
明はこうして光のなすがままに扱われるのが嫌いではなかった。
邪念のない手つきで、ごしごしと清められていく感覚が心地よい。
「うん」
「そうか、良かった。オレはてっきり・・・」
「夜盗にでもやられたと思ったかい?」
「ウン。でも、どっちにしたってオレが来たからにはもう大丈夫だ!
オレがそいつ倒して、オマエ護ってやるから」
たすき掛けした腕でジャッと水を絞り、笑顔で胸を叩いた光に明は溜め息をついた。
「簡単に言ってくれるね。ボクでも対処出来ない相手に、
キミがどうやって勝とうっていうんだい」
「この間一緒に妖し退治した時は、オマエに貰った御神刀で倒せたじゃん。
あれもう一遍貸してくれよ。夜になってそいつがオマエの中から出てきたら、
オレがやっつけてやる」
「あの御神刀は宮中に代々伝わる神宝。前回は都の危機ということで
特別に使用を許可されたが、一介の陰陽師のためになど軽々しく持ち出せる
ものじゃない。それに、もしキミが妖しの立場だったら、自分が刀で斬られる
かもしれないとわかっている状況で外に出ようだなんて思うかい?
・・・ずっとボクの体内にいれば安全なのに」
「う、それもそうだな。ってことは・・・じゃあどうすりゃいいんだよ!?」
「何か別のやり方を考える必要がある。未熟なボクでは対処出来なかったが、
他の陰陽師・・・たとえば倉田さんにこの状況を知らせれば、あるいは・・・」
明は目の裏に、陽気で騒々しいが腕は立つ先輩陰陽師の姿を思い浮かべた。
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「よしっ、わかった!倉田さんを呼んで来りゃいいんだな!」
勢いよく起ちあがった光の袖に、だが明は思わず取りすがってしまった。
「ま、待ってくれ近衛」
「ん、どーした!?」
振り向いた光の瞳は、今にも駆け出していきそうに前向きで力強かった。
その瞳を見て明は、一人で再びこの場に残されるという事態に対して
一瞬弱気になってしまった己を恥じた。
「・・・何でもないさ。ただ、ボクも一緒に行くから少し待っていてくれ。
すぐに支度をする」
光が行ってしまったら、クチナハがまた体内で暴れ出すかもしれない。
またあのような思いをするくらいなら、だるさの残る身体を引き摺ってでも
光について外に行くほうがましだった。
だが、起ちあがろうとした途端喉の奥から細い悲鳴が洩れ、
明はその場に蹲ってしまった。
「はぅっ!・・・くっ・・・」
「賀茂!?どうしたんだよ」
「あぁ・・・」
光が助け起こすと、明はうっすらと頬を桜色に染めて耐えるように目を閉じている。
「んっ・・・んん・・・、あぅ・・・っ、・・・このえ・・・」
「・・・もしかして、そいつがまた中で暴れ出したのか!?」
目の縁に涙を滲ませて、明はこっくりと頷いた。
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日中は夜よりは力が弱るらしいとは云え、クチナハは明が外に出ようとしたり
助けを求めようとしたりするたびに身内から明を責め、動きが取れなくさせる。
今また内部でうねるような運動が始まったのを感じ、明は身震いをした。
――だが、今までに比べるとこの動きは・・・?
体の芯からどうしようもなく甘い疼きが広がっていくのを覚えながらも、
訝しい思いが頭をかすめる。
妖し如きに責められて快楽を感じてしまう浅ましい己の姿など光の目から隠して
しまいたいと思うのに、置いていかれるのが怖くて、知らず知らずの内に明は
光の狩衣を握る手にぎゅっと力を込めていた。
そんな明の様子を見て、光は決意したように云った。
「よし、オレひとっ走り行って乗り物調達してくる!賀茂、そんなんじゃ
歩くの無理だろ。ホントは、外に出るのも辛いかも知れないけど・・・
車ん中でオレがずっと抱いて、手ぇ握っててやるから!それで、いいよな?」
乱れた息の下から薄く目を開いて明は光を見た。
いつも底抜けに明るい光が、ひどく真剣な男の顔をして己を見守っている。
そのことが可笑しくて、嬉しくて、泣き出したいような気持ちになった。
それと同時に、己のために奔走してくれる光の足手まといには決してなるまいと思った。
光の衣を握り締めていた手をそっと離して明は云った。
「気を遣わせてすまない、近衛。・・・でも、ボクはやっぱりここに残ることにするよ」
「なんで?遠慮してんのか?」
「いや・・・それもあるけど、いつもに比べると今日はどうも・・・動き、が大人しい
ような気がするんだ。これくらいなら一人で待っていられると、思う」
今までならこういう状況では、クチナハが分泌する疼きを生む淫液に
内部をジクジクと灼かれ、その上で更にクチナハに激しく動かれて、
明はなす術もなくのたうち悶えるより他に手がなかった。
それがどういうわけか、今日に限ってクチナハの動きが妙に緩慢だ。
奥の一点を突く動きも今までのような荒々しい勢いがないし、分泌される淫液も
普段より量が少ない気がする。
――弱っている、ような印象を明は後門で感じ取った。
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「へ、そいつ今弱ってんの?どういうことだ?」
「わからない。特別なことは何もしていないはずだが・・・」
「特別なこと・・・?あっ」
光は急いで懐から一枚の紙片を取り出した。
「何だい?それは」
「護符なんだってさ。オマエの見舞いに渡してくれって、あかりから貰ったんだ。
さる親王様・・・一の宮様とか云う方がくれたんだって、云われたけど」
「一の宮?」
「知ってるのか?」
「帝に腹違いの兄宮が御ひと方おいでになるという話は聞いたことがあるが、
どのような方かまでは・・・近衛、ちょっとそれを見せてくれないか」
それは、明が見たことのない図柄だった。
一本の太い線が中心に向かって渦を巻く様子は、奇しくも蛇――クチナハを連想させる。
その護符を明が光から受け取る瞬間体内のクチナハが苦しむように大きく一つくねり、
次いでもともと緩慢だった動きが更に弱くなった。
――これだ。
明はにやりと赤い唇の端に微笑みをのぼらせた。
我が身が苛まれているさなかだと云うのに、妖しを追いつめられるかも知れぬ手立てが
見つかって心に攻撃的な歓びを覚えるのは、陰陽師としての血の成せる業だろうか。
妖しいまでに艶かしく美しいその表情に、己を抱きかかえる光が一瞬目を丸くし
ぞくりと身を震わせたことにも明は気づかない。
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「あかりの君にはよくお礼を云っておいてくれ。この護符が効く妖しだということを
手がかりに、対処法が見つかるかもしれない。近衛、そこの筆と料紙を取ってくれ」
「あ、ああ」
さらさらと筆を走らせて護符の形状と図柄を写し取ると、明はそれを光に渡した。
「これを倉田さんの所に持って行って、事情を伝えて欲しい」
「わかった。任しとけ!」
渡された紙を大事に折り畳んで懐にしまい込み、光は改めて胸を叩いてみせた。
「じゃ、行ってくる!」
「すまないね。頼んだよ、近衛」
「あ、ちょっと待った」
いったん階を下りていきかけた光が、小走り気味に舞い戻ってきた。
「?」
「ちょっとだけな」
云うなり光は明を抱きしめその柔らかな唇を吸った。
面食らう明からぱっと顔を離し、背を向けて立つ。
「近衛・・・」
「・・・最近はオレとだって全然してないのに、妖しなんかにやられやがって。
オマエの中のそいつ、追い出したら、オレ思いっきりオマエのこと抱くからなっ!
覚悟しとけよ!?賀茂!」
答える暇も与えずにそれだけ云うと、光は照れ臭そうに振り返りもしないで
階から飛び下りて行ってしまった。
「・・・・・・」
自然と唇に指を遣る。
まったく光はいつも強引で素直で予想を超えていて、それでいてそんな光の
なすがままに扱われるのが、己は決して嫌いではないのだ。
緑がかった丸っこい小鳥が、チッ、チッ、と鳴きながら室内へ跳ねてくる。
「・・・ボクを、心配してくれたんだね」
懐かしい小さな友達を両手に掬い上げ、頬を寄せる。
あの頃は知らなかった温かな想いに満たされて、明はどちらに云うともなく
――ありがとう、と囁いた。
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