平安幻想異聞録-異聞- 200 - 204
(200)
アキラが黒い布をかぶりなおし歩き出した。その背を見ながら、佐為は
何かを思い出しかけていた。今まで他のことに気が行っていて、心に
止まらなかった言葉だ。
「……竹林です。アキラ殿」
その言葉にアキラが肩越しに佐為を見た。
佐為は今日の、そして以前にヒカルを伴って座間達に遭った時の事を思い出して
いた。あの時も今日も、座間達は確かに言っていたのだ。『あの下弦の月の夜』
『竹林で』と。
「ヒカルが襲われたのは竹林です。間違いありません」
京と西の宮の間は四里。その道中にはいくつの竹林があるかしれない。十か、
二十か。
それでも、何の手がかりもなく闇雲に荒れ野を探し回るよりは遥かに
ましだった。
その女は白檀の香りをさせていた。
乳色をした肌は、磨かれた珊瑚のようなつややかさだ。
微笑めば牡丹の花が咲いたようにあでやかだった。
手招きで呼ばれて、ヒカルはフラフラとその女のそばに寄っていた。
女はその唐衣でヒカルを包むように抱きしめた。
ヒカルは女の顔を見上げた。その顔は美しかったが、その瞳の黒目は、ヤギの
ように横長につぶれて広がっていた。
これは人ではない。
とたんに正気が返り、ヒカルの全身の肌が泡立った。
女の口が開いた。真っ赤な口腔から蛇のように長い舌が垂れ下がった。
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ヒカルは渾身の力をこめて、その女を突き飛ばそうとしたが、どういうわけか
女の十二単衣の着物それ自体が、意思を持つ生き物であるかのように体に
絡みついて来た。
その信じられない重さに絶えられずヒカルが尻餅をつくと、そこに女が
体ごとのし掛かってきて、押し倒されたような形になってしまう。
ヒカルが更に女の体を押し戻そうと抵抗すると、女の長い髪がするすると
延びて絡みついてきて、まるでクモの巣に腕をとられたように 身動き
できなくなってしまった。
女の顔を見上げると、その瞳の奥にたぎる淫欲がまるで触れるように
はっきりと見える。
長い舌が延びて、ヒカルの夜着をはだけて、その肌をあらわにした。
「……ィヤ…ダ…っっ……」
舌が、ヒカルが昼間に作った糸のように細い首の傷跡に触れてたどった。
気色悪いはずなのに、思わず鼻にかかった声が口をついて出た。
女のその細い指先がヒカルの肌をつねる。痛いのにそこから不思議と熱が
広がる。爪の先を使って、ヒカルの全身に散らばる快感のツボを刺激するように、
体中を細かについばまれた。
ヌルヌルと長い舌はヒカルの肢体を下へ辿り、そのまだ柔らかいままの
陰茎に巻き付く。
その下肢の間のものをしごく絶妙の舌技と、奇妙な指技とに、時間が経つうちに、
すっかりとヒカルの体は解きほぐされていってしまった。
そうやって、ヒカルの体を喰らいやすいように柔らかく調理しておいて、
妖女はヒカルの足を開かせ、陰茎に巻き付いていた舌をほどくと、秘門の
入り口に押し当てた。
押し当てられたそれは、いつかの蠱毒の蔓にも似て、人の血の通ったもの
ではない。
粘土のように冷たく弾力のない物体だった。
(202)
妖女の手管にまんまとはまって、夢心地にたゆたっていヒカルの背中に
冷気が走った。
逃れようと必死に肘を床について、体をずりあげると舌も延びてヒカルの
体を追いかけてくる。
ヒカルが更にずり上がる。舌が追いかける。それを何度か繰り返すうち、
緩んだ拘束をやり直すように、再び十二単衣が重くヒカルの体を縛った。
舌がヒカルの後腔から滑るように入り込んだ。
人では絶対にありあない奥深くまで届く、おぞましいだけの筈のそれに、
ヒカルは感じて声を上げていた。
それは、今までヒカルを抱いた誰も達していない奥の処女地を犯し、
自在に動くその尖端を使って、そよそよと内部を苛む。
中でウネウネとくねるそれは、身の内に巨大なミミズを入れているような
ものだった。
ヒカルはいつの間にか、それが一番いい所に当たるように、自ら腰を使い
始めていた。
「どうしました?」
佐為が、突然立ち上がったアキラを怪訝そうに見た。
竹林での探索は困難を極めた。
あの暴行からすでに十五日以上たっている。成長の早い竹は、一度立ち切られた
根もすぐに再生して地中の壺を押し包み、地面に降り積もった葉は、その土が
掘り返された痕跡も隠してしまう。ましてや、ヒカルが暴行を受けた痕跡など、
どう探せばいいのか見当もつかない。
それでも二人は鋤で落ち葉をかき分け、竹の傷に不自然なものはないか、
新しいものはないかと、懸命に目をこらしていた。
落ち葉が踏みしだかれ、竹が荒々しく踏み倒されているのを発見して、
そのあたりにこんもりと積もった枯葉をかき分けてみれば、争った揚げ句に
相討ちに終わったらしい猪と野犬の死体だったりした。
その光景に佐為が嘆息した横で、アキラが突然立ち上がり東の空を仰いだのだった。
「何か、嫌な気配がします。よくは分かりませんが、良くない気配です」
(203)
翌朝、出仕した佐為を待ち受けていたのは常ならない内裏の喧騒だった。
事情がわからず戸惑う佐為を賀茂アキラが内裏の外に連れ出した。
「いったい何の騒ぎです?」
「梅壺様が倒れられたのです」
「梅壺様が?」
アキラの話によれば、夕べ子の刻程だろうか、突然、帝の後宮の宮の
ひとつである凝華舎に雷が落ち、その直後、そこに住まわされている梅壺の
女御が倒れた。慌てて駆けつけた女房は、その梅壺の女御の頭に子供ほどの
大きさの鬼が二匹取り付いているのを見たという。女房の悲鳴に驚いた衛士が
駆けつけた時にはすでに鬼の姿はなかったが、梅壺の女御はそれきり目が
さめない。
「それで、僕達が呼ばれました。陰陽寮の人間が総出で祈祷をしてますよ。
僕も今朝、貴方と別れて家で寝つき、一刻もしないうちに起こされました」
そういえば、アキラの目の下には連日の壺探しによる以上のクマがある。
「梅壺様は確か今、帝の御子を身ごもってらっしゃると思いましたが」
「しかも、あの方は藤原行洋様の姪でいらっしゃる。…先ほどから藤原様も
珍しく青い顔をして清涼殿に詰めておいでですよ」
その梅壺女御が何らかの呪詛により倒れた。
いったい、その呪を放ったのは誰なのか?
「中途半端な呪詛ではありません。普通は誰かを殺めようとなどと考えても、
こうは急に倒れたりしないものです。少しずつ体が弱り心が弱りして命を
やせ細らされていくものです」
「よほど、力にたけた術師のしわざでしょうか?」
佐為の言葉にアキラは小さく首を振った。
(204)
「それほどの力を持った者ならとっくに殿上の陰陽師にも名を知られている
でしょう。よしんば、名もない外法の術師が呪をかけたのだとしても、
これだけの大規模な呪法をおこなえば、陰陽寮のだれかが儀式の気配
に気付きます。まぁ、抜け穴がないこともないのですが」
「抜け穴ですか?」
「はい。この方法なら、力の劣る陰陽師でも大きな呪を放つことができます。
――僕達が式神を呼びだし契約して主従関係を結ぶように、もっと力の大きな
異界のものを呼びだして契約を結び、それに人を呪わせるのです。もっとも、
その魔物が納得するだけの、それ相応の代償を用意することが必要ですが」
話を聞きながら佐為は、ふと母のことを思い出していた。自分の母も帝を
呪った呪詛を放った者として死に追いやられたのだ。
「行きましょう、佐為殿」
アキラの方を見ると、その手には大きな袋が握られ、そこから鋤や何かの
柄が見えて、彼がこれからすぐにでも例の蠱毒の壺をさがしに行くつもりなのが
わかった。
「いいのですか、アキラ殿? 陰陽師としての御仕事があるのでは…?」
「この件のせいで内裏は今、陰陽師だらけですよ。僕ひとりぐらい消えたって
わかりはしません」
二人は、連れ立って歩き始めた。アキラがそのつもりなら、佐為も一度家に
帰って探索の道具を持ってこなければならない。
「佐為殿…、もし今夜中に壺が見つからなければ、式神を飛ばして近衛に
直接例の場所を聞きだしましょう」
道すがら、小声で語りかけたこの年若い陰陽師の顔を、佐為は怪訝そうに見た。
「しかし、アキラ殿。昨日、3日ほど間を開けたいとおっしゃられたばかり
では……?」
「事情が変わりました。――このままでは、近衛の命が危ない」
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