|
|
パッチワーク 21
(21)
7月頭、父が転勤することが決まった。
父は家では縦のものを横にもしないひとなので母が付いて行くのは決まりだったが引っ越しの準備もあり
当分母はこちらに残り、その間父は食事付きの単身赴任者用のマンションで母が行くまで待つことになっ
た。姉はこの春地方の公立大学に進学しもう家を出ていた。わたしも両親について行くつもりで担任の先
生に相談してその地方のマンモス私立から編入試験の願書を取り寄せていた。書類もそろい明日受験料を
振り込もうとした晩、ニュースでその高校を含む学校法人が倒産・廃校になったと報道された。九州の高
校・短大に次いで学校の倒産第二号だったらしい。担任の先生がその地方の中学で教えているお友達に問
い合わせたところ普通科・商業科・体育科などあわせて高校だけで1,500人以上生徒がいて回りの高校で
は救済策でこの高校の生徒を優先的に引き取ることになりどこもあと数年は編入試験を行わないだろうと
いうことであった。
両親と一緒に行けなくなり私の身の振り方が問題になった。父方も母方も祖父母のところは今病人を抱え
ているし、叔父や伯母のところも受験生がいて頼むことはできない。姉のところは小・中学校と大学しか
ない村で高校に行くには1時間に1本のバスで30分かけ駅まで行き、30分に1本の電車で1時間かけて町に
出て、さらに駅からバスで20分かかり、村の高校生は全員が町に下宿しているそうで一緒に住むのは無理
とのことだった。
東京か、叔父の住んでいる名古屋、伯母の住んでいる大阪で寮のある高校を探すことになった。誕生日を
憂鬱な気分で迎えたけれど買い物でヒカルのおばさんにあった母が愚痴ったらおばさんが自分のところに
下宿すれば転校しなくていいじゃないと言ってくれて私は8月からヒカルの家に下宿することになった。
|