敗着-透硅砂- 21 - 22
(21)
(コミ七目半――。厳しいな…)
インターネットでコミを巡る記事に目を通していた。
後手のハンディが七目半となれば、白番にとっては相当に厳しい戦いとなる。
(白でどう打ち回すかが芸の見せどころ――か。名人にも伺いたいね)
中国では地でなく石を数える。
そのため、韓国が採用した「六目半」でコミが設定できず、いきなり五目半から七目半に飛んだ。
(白番は…技に長けてこそ勝率が上がる。例え六目半が日本で採用されても、若手は黒を持ちたがるだろう…)
夕刻も過ぎ、そろそろ飲みに行こうかと思っていたが、進藤を待つ癖が抜けないでいた。
その時、呼び鈴が鳴った。
(進藤か…?)
慌ててパソコンを終了すると玄関へ向かった。
「――絵理。」
扉を開けて少し面食らった。
「――こんにちは。じゃなくて、今晩は…ね」
華奢なブレスレットのような腕時計を確認すると微笑んだ。
落ち着いた黒いワンピース姿の絵理が洒落た紙袋と小振りのバッグを持って立っていた。
「入れてくださる?」
「あ、ああ…」
前を通る時、香水の匂いがふわりと鼻腔を突いた。
玄関できちんとハイヒールを脱ぐと楽しそうに部屋へと入っていく。
(何事だ――?)
いきなりの再会に、嬉しさではない驚きで胸がドキドキしていた。
「電話しようと思ったけど、驚かせたくて」
久しぶりに訪問した場所を懐かしむように、部屋をぐるりと見回した。
唇にはいつもよりも華やかな色の口紅が塗られている。
上等そうな生地の黒いドレスは、照明の下で更に高級感を醸し出していた。
髪はアップにまとめられ、うなじに細く柔らかそうな後れ毛がふわふわとかかっている。
(惜しいな…。あの服の背中がもう少し開いていたら、背中のホクロが見えたのに……)
綿の開襟シャツとチノパンという、こちらのラフな格好が恥ずかしくなるようなドレスアップした姿だった。
(22)
「ハイ、これ」
細長い紙袋を渡された。その中から瓶を取り出すと、底の窪みに親指を入れクルリと回してラベルを見た。
(ポメリー……)
「何か祝い事か――?」
腕を後ろで組んで部屋の中をゆったりと見て回っていた絵理に尋ねた。
「そ。あなたと私が初めて会った日のね。」
「バカバカしい」と口から出掛かった言葉を慌てて飲み込んだ。
「思ったとおり、嬉しそうな顔はしないわね――」
さして気にもしてないように「フフ」と笑った。
「冷やすか?」
瓶を少し掲げて訊いた。
「ううん、いいわ。出る直前まで冷やしてたから。飲みましょう」
甘えるような目で促した。
なるほど、瓶には細かい雫が無数に付いていた。
「グラスはこっちね」
サイドボードの方へ行くとひざをかがめて中を見た。
スカートの脇に入った少し深めのスリットから、黒いストッキングを履いた脚の太ももがちらりと見えた。
「ふうん…。相変わらず、カクテルグラスは買ってないのね…」
「入れ物で味が変わるわけじゃない」
「フフ…、あなたらしいわね…。今度プレゼントしましょうか?」
「遠慮しておくよ…」
サイドボードの中に他人の趣味を入れたくはなかった。
並んでいるグラスの中からフルートグラスを二本取り出すと、絵理に渡す。
「そのわりに、私が初めてこの部屋に来た時――、つくってくれたわ。――”エリカ”」
シャンパンの瓶のホイルをめくり、ワイヤーを緩める。
「で…、”9月になった”って言って…今度は”セプテンバー・モーン”…」
緩めたワイヤーごとタオルで上部を包むと、指をあて力を込める。
「あなたってやることはベタだけど、カクテルをつくる腕は良いのよね」
「それはどうも」
手に包んだタオルの中で、瓶の中に閉じ込められていた気体が小さく爆発した。
絵理が差し出した二つのグラスに、溢れないよう慎重にシャンパンを注ぐ。
グラスを持つ絵理の左手の薬指には、指輪を外した跡がうっすらと残っていた。
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マメ知識
珪石:無水珪酸を主成分とする鉱物名。大部分は石英から成る。結晶したものを水晶という。
水晶:無色透明の石英のこと。
珪砂(けいしゃ):珪石、石英の粒の小さなもの、砂状のものを指す。
一般には「珪」の字が用いられる。
エンジェル・フェイス:32度(ジン・ベース)ドライ・ジン、アップル・ブランデー、アプリコット・ブランデー
スリー・ミラーズ:40度(ブランデー・ベース)ブランデー、ラム、グレナデン・シロップ、レモン・ジュース
エリカ:30度(ウィスキー・ベース)スコッチ・ウィスキー、クレーム・ド・カシス、グレープフルーツ・ジュース、グレナデン・シロップ、レモン・ジュース
セプテンバー・モーン:18度(ラム・ベース)ラム、ライム・ジュース、グレナデン・シロップ、卵白1個分
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