身代わり 21 - 22


(21)
病室に近づくにつれ、足取りが重くなってくる。母がそんな自分を早くと急かす。
だがどうしても速度を速めることができなかった。手のなかの荷物が重い。
アキラは自己嫌悪に陥っていた。
父が倒れたあの日、アキラがまず思ったのはヒカルとの対局のことだった。
打てない、と悟ったあの瞬間、アキラは父が恨めしくなった。
なぜこんな日に倒れるのだと。ようやくヒカルとの対局が叶えられる、その日に。
そしてそう思った自分が信じられなかった。
これが倒れた父を思う息子の心情かと、疑いたくなる。
「アキラさん、こっちよ」
気付くとアキラはちがう方向に行こうとしていた。慌てて母の後を追いかける。
病室はせまく感じられた。もっと広い部屋にしてもらえばいいのにと思う。
容態が落ち着いたと聞くと、ひっきりなしに見舞客がやってきて今日は大変だった。
一段落つくと、緒方にまかせて二人は家に入院に必要なものを取りに行ったのだ。
明子が入ってくると、緒方はすぐに頭を下げてあいさつした。
「主人の面倒を頼んでごめんなさいね。だれか、いらしたかしら」
「棋院の記者が来ましたけど、すぐに帰りましたよ」
「心配してくださるのはうれしいのだけれど、こうたくさん来られますとねぇ……」
最後まで言わないが、緒方はその内心を察した。ただでさえ夫がいきなり倒れて大変なのに、
多くの見舞客の相手までしなくてはいけないのは、正直とても気疲れがするだろう。
「あら、わたしったら。ごめんなさい」
少し愚痴を言ってしまったことを恥じたようだ。
「いいえ、お気になさらずに。少し休まれたらいかがですか。先生のお相手も、これがして
くれるでしょうし」
そう言って緒方はノートパソコンを指差した。
その画面のなかには碁盤と碁石があった。


(22)
入院後、行洋と面会した緒方は愕然とした。
なぜなら塔矢行洋独特の、覇気とも言える雰囲気がなくなっていたからだ。
緒方はそれにひどく慌てた。こんな師匠は見ていたくなかった。
元気にする一番の薬は、やはり碁であろう。
しかし緒方が付きっきりで打つということなどできない。何よりも身体への負担が大きい。
そこでインターネット囲碁を思いついたのだ。これなら無理せずできる。
しかし緒方は少なからずがっかりした。行洋があまり興味を示さなかったからだ。
「……やはり碁は碁盤で打つものだな……」
そうつぶやいた声には、力が無かった。
囲碁界の覇者には見えなかった。
「アキラさん、ほら見てごらんなさい。すごいわね、これで囲碁ができるのですって。世の
なか便利になったわねぇ。どうするのです、緒方さん」
母が無邪気にはしゃいで緒方の説明を聞いている。
アキラはパソコンに近づいて、その画面をのぞきこんだ。
「ネット碁……」
その単語はアキラに否応なく一つの名前を思い出させる。
(……sai……)
自分との対局を最後に姿を消した、インターネットのなかの覇者。
みながその正体を知りたがった。だが結局は闇のなかのままだ。
しかしアキラだけは、ある人物を思い浮かべていた。
もう考えたくないのに。
アキラが物思いに沈んでいくのを緒方は横目で見ていた。
なにを考えているかは聞かずともわかる。自分だって同じだからだ。



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