落日 21 - 22
(21)
そっと元通りに籠に詰め直し、先程のように蹴倒される事のないように、部屋の隅に置かれた御台
の上に籠ごと置く。
明日になって彼が目覚めたら食べさせてやろう。きっと喜ぶだろう。「甘い」「美味しい」といって笑っ
てくれるだろう。
そして自分も今度は何か彼を喜ばせるようなものを持ってこよう。
あどけない寝顔に思わず頬が緩む。こんなに愛しいものがいただろうか。こんなに誰かを愛しいと
思った事があっただろうか。彼の顔を見つめ、そっと髪をなでていると、眠っているはずの彼の手が
伸びて自分の手を捕らえる。
どうした、と呼びかけようとすると、彼がぼんやりと目を開けてこちらを見た。
その視線が何かを探すように宙を彷徨う。虚ろな眼差しに胸がきりきりと痛むのを感じる。衝動の
ままに彼の身体を抱き寄せると、ああ、と、彼が胸の中で小さな息を漏らす。彼の目からこぼれる
涙が胸を濡らす。ぎゅっと細い身体を抱きしめてやると、震える身体は小さく誰かの名を呼ぶ。
目をきつくつぶり、奥歯を噛み締めながら、それでも彼を抱く腕に力を込めた。
いいんだ。それでもいい。たとえ今は他の男の名を呼んでいようとも。
そう、彼はもういないのだから。彼がこの少年を守ってやる事はもうできないのだから。
だから。
だから、と、伊角は自分に言い聞かせるように言う。
「何も、おまえは何も思い煩らう事はない。俺が守ってやる。
誰にも、おまえを傷つけさせたりしない。
おまえを守れるのは俺だ。俺だけだ。だから、」
だから、他の男になどその身体を預けるな。
他の男におまえを抱かせるな。
おまえは俺のものだ。俺だけのものだ。
(22)
半ばまだ眠りの中にいるようなぼんやりとした意識の中に届いた言葉が、混乱を呼んだ。
「守る」?
誰が、誰を、守るのだ?
よく似た言葉を前に聞いた事がある。
「俺がおまえの事は守ってやるから、ずっと一緒にいてやるからさ。」
そう言ったのは誰だった?
「だから誰かに苛められたら真っ先に俺に会いに来いよ。」
誰に向かって言った言葉だった?
そして自分は、今ここにいる自分は、一体何物だ?
「誰にも、おまえを傷つけさせたりしない。おまえを守れるのは俺だ。」
次いで聞こえた言葉に頭を振る。
なんだ、それは。
そんなもの、要らない。
守ってなんか欲しくない。
守りたかったのは自分だ。自分の方だ。
彼を守れなかった自分を、誰がどうやって守るって?
そんなものは要らない。庇護など必要ない。
傷つく事など恐れていない。傷が癒える事など望まない。
守ってやれなかった、大事なひと。
守るどころか、彼がどのような目にあって、どのような思いで自分を訪ねてきてくれたのか、気付き
もしなかった。
あの時俺は嬉しかった。幸せだった。
佐為が俺に会いに来てくれて、俺を頼ってくれて。そして優しくしてくれて。初めて俺を抱きしめて
くれて、俺を愛してくれて。
俺は幸せだった。
同じ時に佐為が、どんな思いをしていたかも知らずに。
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