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(21)
今にも喉をごろごろと鳴らしそうなほど幸せな顔で、ヒカルは粥を食べていた。
「お前食わねぇの? こんなに美味いのに」
「君の為に作ったものだし、そんなにお腹が空いてる訳じゃないからいいよ」
本当はそういうわけじゃなく、ただ幸せそうなヒカルを見ていて胸がいっぱいになっただけなのだが。
アキラがそう答えると、ヒカルは不服そうに眉間に皺を寄せた。
「お前、いっつもそんな調子で飯食ってねぇんだろ」
スプーンをアキラの鼻先に近付けて言う。
図星だった。
「そんなだから和谷も霞食って生きてるんじゃねーかなんていうんだぜ、きっと」
「……一日一食は、流石にちゃんととってるよ」
「そーゆーのは『ちゃんと』って言わねぇの。ホラ」
ヒカルはそう言って、アキラの前に粥を掬ったスプーンを突き出す。
「?」
「食ってみろって。少しでも口に含めば食欲が湧くかも知れないだろ」
アキラが困惑していると、ヒカルが怒ったように急かした。
「ほら、早く。汁が零れる」
アキラはおずおずとスプーンを口に含んだ。
ヒカルは内心「キレ−な食べ方すんだなー」とこっそり感心していた。
一方アキラはアキラで、ヒカルから与えられるそれを不思議な思いで味わっていた。
味見した時にはそれ程美味しいとは思わなかったのだが、何故美味しく感じられるようになったか
という理由を『ヒカルに食べさせてもらっているから』という事に結び付けられる程、
アキラは恋愛に夢を抱いてはいなかった。
「な、美味いだろ?」
「……うん、美味しいね」
さも自分が作ったと言わんばかりの誇らしげな口調に、自然とアキラの口元は綻んだ。
「だったら、一緒に食おうぜ。オレだって一人で食べるのはちょっと居心地悪いし、味気ないし。
料理は一人より二人で食べた方が美味しいもんな」
アキラはそういうものなのだろうか、と少し考える。
ヒカルとアキラは同じ一人っ子だったが、こういう所に家庭の違いが表れていた。
ヒカルはプロとして忙しくなった今も、出来うる限り家で親と一緒に食事をしていたし、
アキラは現状の通り、親と離ればなれになっている事も多いので
自分で摂取出来る時に摂取していたと云う感じだ。
塔矢夫妻は一見お堅いように見えて割と放任主義だったし、ヒカルもアキラがこの広い家で
一人でいる事が多い事を話すと驚いていた。
割と気ままで自由奔放な性格から、ヒカルもきっと手放しに近い状態で育てられてきたのだろうと
アキラは思っていたが、思っていた以上にヒカルは家庭を大切にしているようだった。
アキラが父から離れたかった、というと、ヒカルはいつかはどうせ離れるんじゃん、
なんでそんなに急ぐんだ? と心底不思議そうに言った。
その時アキラは、初めてヒカルは自分よりも大人だと思った。
ここでいう大人びているというのは決して大人社会に揉まれているとか、
世間慣れしているとか、そんな事じゃなく。
もっと精神的な事だ。
アキラは自分の父親が偉大であれば偉大である程、自分にのしかかるものも大きいということは
幼い頃から肌で感じていた。
そんな事に捕らわれず自分の碁を打つんだと思っていたのに、父親から離れたくなったのは
やはり変なしがらみを越えたかったからではないのか。
父親を越えたいと思う事と、実際に距離をとる事とは結びつかないという事をその時点では気付かなかった。
だから、同じ家にいても、絶対親離れはするし自分から周囲を遮断しようと思えば
いくらだって遮断出来るさ、というヒカルの言葉を聞いた時は、正直驚きを隠せなかった。
自分は甘えているのだと言われたようだった。
その頃から、アキラは今までとはまた違った意味で進藤ヒカルから目が離せなくなったのである。
(22)
アキラが考えに耽っている間に、ヒカルは勝手知ったる様子で食器棚から茶碗をだし、アキラの分の粥をよそった。
「また随分沢山作ったな〜。オレどっちにしろこんなに食べられないよ」
「一合分しか炊いてないんだけど……四倍近くの量になるって言われてたの忘れてて」
自分の目の前に茶碗を置いて、向いの椅子に座り直したヒカルに小さくありがとう、と言うと
ヒカルはどーいたしまして、と笑った。
「しかし良く食べるな、君は……」
「だって、ずっと食ってなかったんだもん」
「実際はあんなに細いし軽いのにね」
言ってから、アキラは思わず口を塞いだ。
ヒカルは信じられない事を聞いたかのように目を見開いて顔を真っ赤にしている。
「な、な、な、なんで…… ……!」
「い、いや…ここに運ぶ時に……それに、服も着替えさせなきゃいけなかったし」
おかしくないな? これで理由として成立するはずだ、と必死で脳をフル回転させるアキラを他所に、
ヒカルは机に突っ伏したまま頭を抱えている。
余りの過剰反応に、一瞬自分の疚しい感情に気付かれたかと思ったが、
流石にそこまで解る訳がないと思ってアキラは漸く落ち着きを取り戻した。
「オレ……そんなに細いかぁ?」
テーブルに顎をのっけたまま、ヒカルは眉を顰めて上目遣いにアキラを見た。
その表情が、なんともいえず可愛らしいものだったので、アキラは思わず唾を飲み込んだ。
アキラの返事を待たずに、ヒカルは両手で髪を掻きむしり言葉を続ける。
顔は依然として真っ赤だ。
「……和谷に、鶏ガラみてぇって言われた」
「鶏ガラ?」
先程煮込んだ殆ど皮ばかりのそれを思い出して、アキラは軽く噴き出した。
「笑うなよっ! 気にしてんのに」
「ご、ごめんごめん。確かにそれは言い過ぎだな」
「だろ? 大体そんなに痩せてねーっての!」
頬をぷぅと膨らませるヒカルを可愛いと思う思考と、一体どこで進藤の身体を見たんだ、畜生
という思考がアキラの脳内でほんの一瞬鬩ぎあう。
その思考の脳内伝達は通常あり得ざる速度で処理された為、アキラの返事を待つヒカルに
全くタイムラグを感じさせなかった。
「いや、確かに痩せてる事は痩せてる」
「う…… …… …… ……見たのか?」
無意識にだろうが、浴衣の合わせを両手で握り締める。
肌を隠すようなその仕種が妙に色っぽく、見たと告げることが、アキラにはまるで犯罪のような気がしてきた。
椅子の上に足を乗せて膝を抱えたヒカルがまた、じっとアキラを見つめる。
目がなんか言え、と訴えている。
「着替えさせる時に……少しだけ」
「そ、そっか……」
ヒカルはなんともいえない表情で頬を赤らめたまま俯いた。
『少しだけ』は余計だーーーーーーーーー!
まるで意識していると言わんばかりじゃないか!!
アキラが自分の発言にノックアウトされていると、ヒカルが、小さく「あ」と言った。
一頻り打ちのめされたアキラがそれでも平静を装いつつ、「何?」と聞くと。
「そーいや、なんでオレここにいんの?」
今度こそ脱力した。
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