パッチワーク 21 - 23


(21)
7月頭、父が転勤することが決まった。
父は家では縦のものを横にもしないひとなので母が付いて行くのは決まりだったが引っ越しの準備もあり
当分母はこちらに残り、その間父は食事付きの単身赴任者用のマンションで母が行くまで待つことになっ
た。姉はこの春地方の公立大学に進学しもう家を出ていた。わたしも両親について行くつもりで担任の先
生に相談してその地方のマンモス私立から編入試験の願書を取り寄せていた。書類もそろい明日受験料を
振り込もうとした晩、ニュースでその高校を含む学校法人が倒産・廃校になったと報道された。九州の高
校・短大に次いで学校の倒産第二号だったらしい。担任の先生がその地方の中学で教えているお友達に問
い合わせたところ普通科・商業科・体育科などあわせて高校だけで1,500人以上生徒がいて回りの高校で
は救済策でこの高校の生徒を優先的に引き取ることになりどこもあと数年は編入試験を行わないだろうと
いうことであった。

両親と一緒に行けなくなり私の身の振り方が問題になった。父方も母方も祖父母のところは今病人を抱え
ているし、叔父や伯母のところも受験生がいて頼むことはできない。姉のところは小・中学校と大学しか
ない村で高校に行くには1時間に1本のバスで30分かけ駅まで行き、30分に1本の電車で1時間かけて町に
出て、さらに駅からバスで20分かかり、村の高校生は全員が町に下宿しているそうで一緒に住むのは無理
とのことだった。

東京か、叔父の住んでいる名古屋、伯母の住んでいる大阪で寮のある高校を探すことになった。誕生日を
憂鬱な気分で迎えたけれど買い物でヒカルのおばさんにあった母が愚痴ったらおばさんが自分のところに
下宿すれば転校しなくていいじゃないと言ってくれて私は8月からヒカルの家に下宿することになった。


(22)
部屋は2階のヒカルの隣の部屋でこれまではおじさんが書斎に使っていたそうだ。荷物の運び込みが終わって
台所にいた母とおばさんに報告に行くといろいろな約束事の確認をした。約束事は母とおばさんがこれまで
話し合って決めたことで私も母から説明されていた。確認が終わるとおばさんが言いにくそうに話を切りだ
した。

「実はね、ヒカルが昔ほどじゃないけれど夜中にうなされてることがあるの。碁をはじめてから安定していた
から安心していたのに、碁をやめるって言い出したときにぶり返して。復帰してからは落ち着いてきたけれど
まだ週に一度くらいね。」

小学校にはいる前、三日ほどヒカルが行方不明になったことがある。公園で隠れん坊をしていたときいなく
なって、それまでにも何回かヒカルが急にいなくなったことがあるから私たちも気にしていなかった。大体
は知らない人に御菓子を上げると言われて付いていってしまったからでそれまでの人は夕方までにヒカルを
帰してくれてヒカルもけろっとしていた。幼稚園の園長先生もヒカルだけおいしいケーキがあるからと家に
呼んだり、お祭りの子ども山車の途中でトイレ行きたいと行った子に我慢しろっていっていた町内でも怖い
おじさんもヒカルがトイレ行きたいって言ったとたん山車止めて近所の家にトイレ貸してもらうように頼ん
だり、公園とかに遊びに行くときでも途中の家の人やお店の人が「ヒカルちゃん、お菓子があるから寄って
らっしゃい」って言われるのはいつものことだった。でも、このときは違ってヒカルが帰ってこなくて見つ
かったのは三日後だった。ヒカルはこのときのことを何も憶えていなくて、でもそのあとずっと自家中毒を
起こしたり、急に意識を失ったり、ぶつぶつ独り言を言ったり、記憶が飛んでいたりした。学校でもヒカル
は授業中にふらふら歩き回ったりしていた。先生も事情を知っているのでとがめなかった。低学年のとき授
業を聞く習慣ができなかったので高学年になっても、中学になっても成績は悪いままだった。だから、碁を
するようになるまでヒカルにあんなに集中力があるなんて思いもしなかった。


(23)
夜もひどくうなされておばさんは四年生になるまでヒカルに添い寝していた。
ヒカルの家に遊びに行って一緒に昼寝をするときにはおばさんにヒカルがうな
されたら「大丈夫」って何回でも言って上げてと頼まれたこともある。だから
昼寝するとき手を繋いだりもした。私も母からヒカルから目を離さないように
言われし、ヒカルがまたいなくなるのが怖くて私はいつもヒカルのあとにくっ
ついて行くようになった。おじさんやおばさんも自分たちか私が一緒でなけれ
ばヒカルを外へ出さないようにしていた。おばさんがずっと添い寝をしていた
反動か5年生のときうちとヒカルのうちで一緒に海の民宿に泊まったときや6年
生の修学旅行でも人が一緒だと眠れないと言って廊下で寝ようとして先生に怒
られた。小学校に入ってから無責任な噂で惚けたおばあさんが孫と間違えたと
か男の人が自殺の道連れにしようとしたとかいろいろなことが耳に入ったけれ
ど私には身近すぎて母に事件のことを聞くことはできなかった、だから私は今
でも何があったか知らない。私にわかっているのはあの時ヒカルがどこにいる
のか私たちにはわからなかったこと、憶えているのはヒカルにもう会えないか
もしれないと言う恐怖感だ。 段々良くなっていったけれど独り言などは中学
になっても続いていた。



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